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大阪のメインストリート「御堂筋」は、一人の男の情熱から誕生しました

大阪市の中心部(梅田―難波間)を走る御堂筋。その誕生には第7代大阪市長・関一が深く関わっていました。

大正12年(1923)、市長に就任した彼は「都市の大改造」を打ち出し、「御堂筋」の拡幅工事を計画。その頃、「淀屋橋筋」と呼ばれ、 道幅6メートル、北の淡路町から南の長堀まで1.3キロメートルの狭く短い道に過ぎなかった道路を幅44メートル、4キロメートルの道にするという、 当時の常識からは考えられない大事業でした。市民は「市長は船場の真ん中に飛行場を作る気か」と肝をつぶしたといいます。

着工から11年、昭和12年(1937)に晴れて完成。近代的な都市機能を象徴する御堂筋には、機能美を感じさせる建物が必要という方針から、 周辺に建築されるビルもそれを踏まえ計画されました。心斎橋の大丸や本町のガスビルなどを見ると当時の建築家たちの意気込みが、 今にも伝わってくるようです。そして電線もすべて地下に配されるなど、都市計画としての先見性を窺うことができます。

カフェやショールームが出店し、新たな賑わいをみせています

御堂筋は高度経済成長期時代には、それを支える幹線道路として、1970年代に入ると、都市銀行、全国の地方銀行の本支店が集まり、 関西一のビジネスゾーンとして繁栄し、大阪市民に広く親しまれてきました。

平成4年(1992)には、御堂筋を文化の香る風格のある道とするため、沿道企業の寄付により、27体の彫刻作品が設置されました。いちょう並木の中にロダンや高村光太郎などの著名彫刻家の作品が並び、道行く人の目を楽しませています。

90年代半ばになると、経済状況の後退、金融機関の統廃合が進み、沿道ビルの1階から金融機関が抜け始めました。美しい景観形成を保ちながらも御堂筋再生のために、95年(平成7年)に従来の31m規制が緩和。その後の景気回復を受け建替えが少しずつ進んでいます。近年では、沿道ビルの低層部にカフェやショールームが出店するなど、オフィス一辺倒だった街が新たな賑わいをみせるようになりました。

御堂筋はいちょう並木は大阪を代表するものであり、大阪市は平成12年度(2000)に市の指定文化財に指定しています。 府民投票によって選ばれる「大阪みどりの百選」にも御堂筋のいちょう並木が選出されていることからも、市民に広く親しまれていることがわかります。 淀屋橋から難波までの区間では、毎年樹齢に至ったものを新しく植替えて景観を維持するなどの努力が続けられています。