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記念碑

2012年12月28日

ページ番号:196300

波除山跡の碑

昔、淀川の河口付近の九条島には池山新兵衛によって開かれた池山新田がありました。しかし、この新田は九条島が淀川の流れをはばみ、川水を逆流させるため、しばしば水害に見舞われていました。幕府の命を受けた川村瑞賢は、当時上流から流れてくる土砂で川底が浅くなった淀川の流れを変える工事を行いました。この工事は、貞亨元年(1684年)に着工、同4年に竣工し、川は「安治川」と名づけられました。(一説には20日間の突貫工事で完成したとも)

「波除山」はこの工事で出た土砂が、安治川の南岸一帯に積み上げられてできた高さ15メートルの小山のことです。その後、松が植えられて九条島の沖を航行する船の目印となりました。以来、この山は「波除山」あるいは「瑞賢山」ともいわれ、明治の終わりまで今の弁天埠頭のあたりにありました。現在はその面影もなく、弁天東公園に「波除山跡」の碑が残るのみです。当碑は、安治川開さく300年を記念し、昭和591218日、建立されたものである。

市岡新田会所跡の碑

「市岡新田会所跡」碑は波除公園内にあります。この付近はもともと九条島浦と呼ばれ、葦の切り捨て場とされていたところでした。元禄時代(1700年頃)、港区は新しい開拓地で、各所に新田がつくられ、なかでも「市岡新田」は元禄11年(1698年)に伊勢の人・市岡与左衛門により開発された大阪湾河口の最大の新田でした。

「新田会所」とは、地主が新田管理のために設置した事務所のことです。地主が開発した土地の管理や、小作人の支配、小作米の収納などのために支配人をおきました。市岡新田会所は、石垣をめぐらした広大な屋敷でしたが、現在、当時のものは何も残っていません。

 

市岡新田会所跡

風水害記念碑

昭和9年9月21日、風速60メートルに達する室戸台風が大阪を直撃し1,800名余りの死者が出ました。室戸台風の被害を忘れず、犠牲者の霊を慰め、全国からの救援に感謝する趣旨で昭和11年(1936年)9月に「風水害記念碑塔」が建てられました。しかし戦災にあい、築港中学校の敷地となるために撤去され、現在は碑文のみが昭和51年(1976年)に新たに造られた「水防碑」とあわせて、築港南公園入口に設置されています。また水防碑には「災害は忘れたころにやってくる」と記され、災害の恐ろしさを伝えています。

風水害記念碑

勝利の女神像

港区は太平洋戦争で空襲にみまわれ、一面焼け野原になりました。また、戦後は地盤沈下のためジェーン台風などで大きな水害にもあいました。そのため災害に強いまちをつくるために、平均2メートルの地面のかさ上げ(盛土)や道路・上下水道工事など大規模な土地区画整理事業が、45年もの歳月をかけて行われました。これを記念して「勝利の女神像」が、池島公園に設置されています。

勝利の女神像1
勝利の女神(近)

災害モニュメントパーク

過去の災害の記憶を風化させないようにと、平成10年に開設されたコミュニティ公園です。被害状況等の説明や災害時の心得を記した掲示板のほか、浸水時の水位をしめすモニュメントなどが設置されています。

西村捨三翁の像

大阪港の開港と発展のために尽くした、大阪築港事務所初代所長の西村捨三翁の功績をたたえるために建てられました。西村捨三翁の像が天保山公園から中央突堤に向かって、自分の手がけた築港を見守るように静かに座っています。

明治初期の大阪港の中心は川口波止場でしたが、小規模のため、入港する外国船はしだいに神戸へ移り、港は不振に見舞われていました。そのため、大阪の発展には一大商港、つまり築港が必要であるとの声が高く、財政難による再三の計画挫折ののち、当時の市予算の20数倍にあたる2249万余円の工事費・公債費が市会で認められ、明治30年、川口居留地(現西区)に大阪築港事務所が設置されました。同年10月、築港起工式が挙行されて以後、工事は苦難の連続でしたが、「日本のために大阪港を作ろう」という強い意志に支えられ同36年8月に大桟橋が完成しました。これが現在の中央突堤となり、経済都市大阪の港の基礎となりました。

西村捨三翁の像

明治天皇観艦記念碑

天保山公園北端の、海の見える所にあります。明治元年326日、天皇の大阪行幸の際にわが国最初の観艦式がこの天保山で行われたことを記念し、昭和410月、大阪市青年連合会が記念として建てたものです。歳月を経た今、この地からは軍艦ならぬ多数の商船の出入が眺められます。

天皇観艦記念碑

プリアムーリエ号火災事故犠牲者追悼の碑

この碑石は、昭和63年5月18日未明に中央突堤北岸壁で発生した、ソ連(当時)船籍の客船「プリエムーリア号」火災事故により亡くなられた11名の犠牲者を追悼するために建立しました。碑石にあるオブジェは、平成3年にご遺族が製作され、これまで築港高野山釈迦院で安置されてきましたが、傷みが激しくなったため、事故現場に近い此の地へ追悼の碑として移設されました。

プリエムーリア号犠牲者追悼碑

浪曲塔

浪花節(のちの浪曲)の元祖として知られる藤原澄憲の碑がありましたが、戦災により焼失。昭和29年に関西出身の浪曲師たちを供養するため、浪曲親友協会によりこの塔が建てられました。かつて港湾労働者のために浪曲師が雇われ、さまざまな浪曲をこの地で演じたといいます。

浪曲塔

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