1868(明治元)年 現西区川口にて大阪港開港
2016年2月15日
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1868(明治元)年 現西区川口にて大阪港開港
1854(嘉永7)年に締結された日米和親条約により下田と函館が開港されましたが、アメリカは、さらに、大阪開港による大規模な貿易を望んでいました。そこで、交渉の結果1858(安政5)年、米修好通商条約を結び、兵庫を開港し大阪を開市(外国と貿易を行う都市)することにしました。
大阪の開市は、当初1863年に行うことになっていましたが、下田・函館の開港の結果、物価が高騰し各地で一揆や打ちこわしが続出するなど世情が不安定になったため、兵庫・大阪の開港・開市を延期し1868年1月に行うことにしました。
1868年1月、幕府から政権が移った新政府は、幕府の開国和親の方針を継続し、5月に今の西区川口に川口運上所(現在でいう税関)を開くとともに、外国人居留地の造成を急がせました。このとき、大阪は窮屈な開市ではなく開港とされ、7月15日、川口に大阪港が開港しました。
開港はしたものの、川口港は川幅も狭く度重なる洪水により川底も浅かったため、大規模な浚渫工事を実施し、1871(明治4)年、川口波止場を設けました。
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