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西淀川区の自慢の景観17件を都市景観資源に登録しました

2017年4月21日

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西淀川区の自慢の景観17件を都市景観資源に登録しました

大阪市では、西淀川区の都市景観資源の発掘のため「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成29年3月17日に17件を都市景観資源に登録しました。

見どころ・まち歩きマップ

西淀川区 見どころ・まち歩きマップの情報はこちらから

西淀川区役所では、登録された17件の景観を紹介しながら実際に歩いてご覧いただく際の案内地図として、「見どころ・まち歩きマップ」を作成しました。
ぜひ、この「見どころ・まち歩きマップ」を手に、西淀川区の自慢の景観を訪れてみてください。

見どころ・まち歩きマップ」は、西淀川区役所総務課(企画)(5階52番)にてお渡しできますので、お気軽にお申し出ください。

 

【景観01】大野川緑陰道路(おおのがわりょくいんどうろ)

所在地

大阪市西淀川区歌島2丁目~福町2丁目

概要

公害対策と環境改善を目的として、昭和45~47年度(1970~1972年度)にかけて大野川筋の埋め立て工事が行われた。跡地利用として、緑豊かな散策道路、サイクリング道路とすることが決定された。

この大野川緑陰道路は、八丁大橋跡から淀の水橋跡間の約3.8kmで、幅員は19~47mある。

整備工事は昭和46~54年度(1971~1979年度)にかけて行われた。

この道路には、高木約1万本、低木約12万本の100種類にも及ぶ樹木があり、その中には、30数種類の薬用植物も見られる。樹木への施肥、枝の剪定、虫害 防除、雑草の除去、清掃等々、多くの人々の手により健康づくりの場として親しまれ、区民の憩いの場となっている。
大野川緑陰道路の写真

【景観02】淀川河川敷(よどがわかせんじき)

所在地

大阪市西淀川区柏里1丁目~西島2丁目

概要

西淀川区内の淀川河川敷は、淀川の河口にあることから川幅も広く川べりに群生するヨシ原などの自然環境がみられる地域となっている。

河川敷には、スポーツや遊びが楽しめる広場などがあり、また、対岸の街並みや大阪湾の方角には夕日などが見られる眺望の良い場所であり、多くの人たちに親しまれている。

この辺りは、古くから淀川が大小の川に分かれ、「難波八十島(なにわやそしま)」と呼ばれる島を縫うように流れていた時代もあったが、明治18年(1885年)に発生した淀川の大洪水をきっかけに現在の北区長柄付近から此花区常吉までの約11kmにわたってほぼ直線的に開削され、明治42年(1909年)に新たな河道と河口が生まれた。

淀川河川敷の写真

【景観03】歌島橋交差点(うたじまばしこうさてん)

所在地

大阪市西淀川区御幣島1丁目、2丁目、千舟1丁目、2丁目

概要

歌島橋交差点は国道2号線、府道(大阪池田線)、市道(淀川北岸線)の3路線が交差する5差路であり、かつては大阪の中でも主要渋滞ポイントに挙げられていた。大気質・騒音などの環境面も厳しく、歩行者・自転車が安心して横断することが難しい状況であったためバリアフリーの横断空間の構築、交差点のコンパクト化・信号サイクル等の改善による交通渋滞の緩和や沿道環境の改善を目指して地下横断歩道が設置され、平成21年(2009年)に全方向への地下横断が可能となった。

地下には平成9年(1997年)開業のJR東西線「御幣島駅(みてじまえき)」が立地し一日あたり約19,000人が利用しており、また同交差点周辺には特徴的な外観を持つ区役所、保健福祉センター、図書館が複合した施設(平成17年竣工)
歌島橋交差点

【景観04】スモカ歯磨株式会社 本社(スモカはみがきかぶしきがいしゃほんしゃ)

所在地

大阪市西淀川区御幣島1丁目3番9号

概要

赤い瓦屋根にクリーム色をした壁を持つ洋館仕立ての本社は、昭和11年(1936年)築。寿屋(現サントリー)で創製されたタバコのヤニ取りに特化した歯磨きを大正14年(1925年)発売。英語の『SMOKER』をもじって商品名を『SMOCA』と名付けた。しばらくして寿屋は、スモカ歯磨部門を売却し、昭和11年(1936年)住吉区から西淀川区の現在地へ移転された。
スモカ歯磨株式会社本社

【景観05】江崎記念館(えざききねんかん)

所在地

大阪市西淀川区歌島4丁目6番5号

概要

企業ミュージアム「江崎記念館」は、江崎グリコ株式会社が昭和47年(1972年)3月、創立50周年記念事業の一環として、従業員に創業の志を伝え、社業の発展に寄与するため設立したものである。館内には創業以来の江崎グリコのあゆみに関する資料、製品・販促品をはじめ、創業者江崎利一(えざきりいち)ゆかりの品々を展示している。展示品の一部は、国の近代化産業遺産に認定されている。
江崎記念館

【景観06】矢倉緑地(やぐらりょくち)

所在地

大阪市西淀川区西島2丁目1番

概要

淀川と神崎川河口にはさまれた矢倉緑地は、昭和9年(1934年)の第1室戸台風で水没した田畑を埋め立てた土地で、平成 9年(1997年)から造成を行い、平成12年(2000年)にオープンした都市公園である。

市内では珍しくコンクリート護岸のない海水面と接する公園で、自然石を用いた荒磯自然護岸や水に触れ合うことができる潮だまりがあり、通水管を通ってきた小魚が泳いでおり、カニ・フジツボ・フナムシなども見られる。

周辺は、渡り鳥の滞留地になっているので、公園内に設けられた野鳥観察所から、カルガモやユリカモメなどが観察できる。

また、矢倉緑地から眺める夕景は、阪神高速道路湾岸線のシルエットを浮かび上がらせ、西淀川区の新しいシンボルとなっている。

面積:24,000㎡。
矢倉緑地の写真

【景観07】矢倉緑地から望む阪神高速(やぐらりょくちからのぞむはんしんこうそく)

所在地

大阪市西淀川区中島2丁目~此花区常吉1丁目

概要

関西国際空港から本州四国連絡道路明石海峡大橋までの約80kmをつなぐ、海上をメインに走る高速道路(阪神高速道路5号湾岸線)で、矢倉緑地から望める区間は湾岸線4期(西淀川区の中島~此花区の北港の3km)で昭和56年(1981年)に工事に着手し、平成3年(1991年)9月に開通した。神崎川、淀川河口の海上部に位置し、湾岸線のほぼ中央に位置する。中でも右手に望める中島パーキングエリアは大阪湾上にある我が国最初の海上パーキングエリアで、中島本線料金所とあわせると、海上20mの高さに幅員100mにも及び、航空母艦にも比喩される広大な構造物である。

矢倉緑地から望む阪神高速

【景観08】大野せせらぎの里(おおのせせらぎのさと)

所在地

大阪市西淀川区大野2丁目4番117号

概要

平成9年(1997年)7月、大野下水処理場内に完成し、約9700㎡の面積をもつ「安定池」には水生植物をはじめ、池周辺にも常緑樹・落葉樹が植えられている。

また、全長350mの遊歩道・あずまや・せせらぎなども配置され、潤いのある空間を創り出している。

※「安定池」とは、水中の微生物や水生生物などによる自然の浄化作用を利用し、処理場の処理水をさらに安定した水質にする施設。また、災害時には防火・生活雑用水の供給の水源としても利用される。
大野せせらぎの里の写真

【景観09】西島水門(にしじますいもん)

所在地

大阪市西淀川区西島1丁目

概要

淀川改良工事(明治29年~明治43年(1896年~1910年))の新淀川開削による西島川締切りに際し、新淀川と西島川の舟運を確保するとともに、洪水防禦の目的で明治43年(1910年)に西島閘門が竣工した。その後、昭和初期から始まった累年の地盤沈下によりその公用がなくなり、水門に改築する必要が生じたため、淀川修補工事(昭和14年~昭和39年(1939年~1964年))に伴い昭和35年(1960年)に西島水門に改築した。西島水門は竣工後、大阪府で維持管理と操作をしていたが、昭和46年(1971年)から建設省(現:国土交通省)で維持管理と操作をしている。
西島水門の写真

【景観10】大和田住吉神社(おおわだすみよしじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区大和田5丁目20番20号

概要

創建は仁明天皇の承和9年(842年)の勧請と伝えられ、その後明治になり濱の宮八幡神社・出来島皇大神宮・稲荷社を、昭和37年(1962年)に金毘羅神社を合祀した。当地は昔より大和田の庄、大和田の浦とも称し、平安朝時代に大小の船舶の寄港した港であった。村民の多くは天賦として漁業を営み、海上の守護神である住吉三神、当浦に船を寄せたという由縁がある神功皇后を勧請する所以である。天正8年(1580年)、延宝4年(1676年)に改築したが第二次世界大戦で消失していまい、現在の社は戦後新たに造営したものである。また、境内には判官松(ほうがんまつ)の碑や新千船橋の親柱がある。

大和田住吉神社の写真

【景観11】五社神社(ごしゃじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区中島1丁目2番8号

概要

元禄元年(1688年)中島新田が開発された時に創建され京都の人に開発されたためか西淀川区内では珍しく住吉大神以外の神々が勧請されている。神社本殿及び拝殿は文化5年(1808年)に再建されこの頃に石造鳥居や石灯籠も奉納されている。文化文政時代、津田常則  (つだつねのり)という神官が「この世に住める人の病む悪しき腫物はことごとく救い治むべし」との神勅を蒙り疫病削除の霊験があらたかであったので、誰いうこともなく「城島のくさ神様」と呼ばれ、近郷からの祈願に参拝する人の跡が絶えなかった。昭和の初期まで五月端午の節句に牛の薮入りと称し、各農家は耕牛に五色の旗を立て首に縄をしめ美しく飾り、社頭に牛をひいて参拝し、境内でちまきを食べさせ家畜に日頃の労をねぎらっていた。

五社神社の写真

【景観12】田蓑神社(たみのじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区佃1丁目18番14号

概要

十四代仲哀天皇の妻である神功皇后が、この地に立ち寄られた際、白魚を献上した海士を奉ったとされている。

後の世、当地開拓の時その海士が出現し、神功皇后の船の鬼板を伝え守って数百年この神宝を安置して住吉大明神を奉るよう伝え、貞観11年(869年)に田蓑嶋神社が創建され、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」を奉った。寛保元年(1741年)に住吉神社と改名、明治元年(1868年)に田蓑神社となる。

また、境内には当地域について詠んだ平安朝の歌人紀貫之(866~945年)の歌碑も存在する。
田蓑神社の写真

【景観13】鼻川神社(はなかわじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区花川2丁目1番12号

概要

当地は、古く淀川水系旧中津川口の三角州上に発達し、対岸に突き出した半農半漁の集落であった。神功皇后がこの地に立ち寄り、そのことを知った住民たちは取り急ぎ、つき立ての餅を柏の葉に乗せ、野に咲いていた草花を添えて提供すると、皇后はこれをことのほか喜び賞味した。その時、地名が無いことを聴かれて、対岸に突き出した地形が鼻のようになっているからと、地名を「はなかわ」、渡しを「かしわ」と命名した。以来、この地を「鼻川の里」、渡しを「かしわの渡し」と呼び習わしている。また、この名を記念してお堂を建て、神功皇后を祀り、後に対岸の海老江の氏神である須佐之男命(すさのうのみこと)を祀って「鼻川の社」と称した。

明治30年(1897年)、新淀川開削のため社地が河川敷となり、一時は姫嶋神社に合祀されたが、大正13年に村民の努力で独立神社として承認され、昭和9年(1934年)に現在の社殿が建立された。
鼻川神社の写真

【景観14】姫嶋神社(ひめじまじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区姫島4丁目14番2号

概要

阿迦留姫命(あかるひめのみこと)と住吉大神を祀る。創建年代は不明。豊臣秀吉の時代に一時は住吉神社と称したが明和3年(1766年)に社名を元に戻す。ご祭神阿迦留姫は、古事記によると「赤い玉より生まれた美人で新羅の王子、天之日矛(あめのひぼこ)と結婚、常に美食を用意して仕えたが、高慢な夫の態度に耐えきれず、難波に逃げ帰った」とある。また摂津国風土記によると、「新羅の女神が夫のもとを逃れ、筑紫の国の伊波比の比売島(ひめじま)(大分県姫島)に暫くいたが、ここは新羅から近いので、きっと夫が追いかけてくるにちがいないと摂津の国に移り住んだ。そして、もといた島の名をとって比売島と名付けた」とある。姫島は難波八十島(なにわやそしま)の一つで阿迦留姫が留まった比売島が、この地にあたると伝えられてきた。
姫嶋神社の写真

【景観15】大野百島住吉神社(おおのひゃくしますみよしじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区百島1丁目3番98号

概要

正保元年(1645年)4月、此之地開発の時村民が協力して創建されたものと伝えられている。明治8年(1875年)3月村社に列し、明治44年(1911年)3月7日大字百島字上の島(おおあざひゃくしまあざかみのしま)の村社、稲荷神社を合祀した。

境内には本殿、拝殿を有し、末社には蛭子神社、金毘羅宮があり、古くは境内に樹木が蒼然としていたことが残存の大樹楠、樹齢約400年の切り株によってその往時を偲ぶことができる。

また、平成7年(1995年)の阪神淡路大地震により旧本殿は倒壊したが、氏子崇敬者の協力により平成8年(1996年)10月に近代的な本殿が造営され、また境内も整備され社務所も修改築された。

大野百島住吉神社の写真

【景観16】福住吉神社(ふくすみよしじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区福町2丁目15番6号

概要

福村が開発された正保元年(1644年)の光明天皇の時代に、住民となった村人等が主として漁業を業としていたため、航海の安全と豊漁を願って、12年後の明暦2年(1656年)に、此の地に宮地を築き上げ殿社を建て、住吉大神を勧請したのが始まりである。「福村の道路は貝殻でできている」とまでいわれるほど「貝の福」として近畿一円に知られるほどであった。今も境内には貝殻が散見される。また、太平洋戦争までは当地から一人の戦死者もなく、先の大戦でも町に軍需工場があったにもかかわらず、焼夷弾等の被災にあわず今日に至っており、当地の守護神として信仰されている。

福住吉神社の写真

【景観17】野里住吉神社(のざとすみよしじんじゃ)

所在地

大阪市西淀川区野里1丁目15番12号

概要

永徳2年(1382年)足利3代将軍義満の時代に創建された。祭神は海上の守護神といわれている住吉三神(上筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと))と神功皇后。このことは、この地が常に水害に悩まされ、時には多くの人命が失われていたことを物語るものである。

現在の本殿は宝永3年(1706年)の造営で、住吉造りによる本殿屋根の千木には、魔除けの剣の彫刻が施されている。

また、この神社に伝わる神事で人身御供の名ごりをとどめる“一夜官女祭”がある。7人の女児(一夜女郎)を選び、7つの膳(夏越桶)をしつらえ、親子別れの盃を交わしたのち神殿に赴くというもので、大阪府指定文化財となっている。
野里住吉神社の写真
一夜官女祭の様子1
一夜官女祭の様子2

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〒555-8501 大阪市西淀川区御幣島1丁目2番10号(西淀川区役所5階)

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