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鉄道がやってきた

2011年4月1日

ページ番号:66227

 1885年(明18)、難波から大和川の北岸までを、阪堺鉄道の汽車が走り出しました。たくさんの人が見物にきましたが、汽車賃が高かったので、乗ることはあまりなかったようです。
 のちに、阪堺鉄道は南海鉄道と名前をかえ、線路も和歌山市までのびました。
天王寺西門前から上住吉までの間に鉄道馬車がとおったのは、1900年(明33)のことです。10年のちには電車に変わり、住吉公園までのばされ、いまの阪堺電気軌道(チンチン電車)上町線になりました。阪堺電気軌道阪堺線も、恵比寿町から浜寺までのびました。恵比寿町に近い新世界や浜寺公園はそのころの人たちの楽しみの場所でしたので、たくさんの人が乗ったそうです。

 1907年(明40)には、住之江に火力発電所ができ、浜寺まで電車が走り出しました。はじめて電車が走ったとき、村の人たちは、夜、電灯をつけた電車が大和川を渡るのを見に行きました。
 1927年(昭2)に、今の府道尼崎・堺線のところに、阪堺電鉄が走り出し、8年のちには浜寺公園までのびました。
 大和川の河口や堺市の出島のほうへ魚釣りに行く人がよく乗ったので、「魚つり電車」とよばれたこともありました。第二次世界大戦のころになると、沿線の造船所や工場へ通う人がたくさん乗るようになりました。この電車も1968年(昭43)にとりはずされました。
 南海鉄道の電車・市バスが走るようになったのは、昭和にはいってからのことで、1935年(昭10)には、住吉公園まで来るようになりました。
 国道26号線の工事ができあがったのは、1939年(昭14)のことです。今のようにりっぱな道路ではなく、自動車よりも馬車のほうが多いようでしたが、そのころの人は、ずいぶん広い道ができたものだと感心しました。
 平林町一帯の埋め立て工事ができあがり、大阪港を広げるための南港の埋め立てが始まったのもちょうどそのころでした。

南海鉄道の電車

南海鉄道の電車

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