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ふだんのくらししあわせレポートその7 いのちをつなぐ~ひとりぼっちにしない防災~

2017年8月15日

ページ番号:407207

ふだんのくらししあわせレポートその7

ふだんのくらししあわせレポートについて

地域福祉ってなんでしょう?

住之江区では、ひとりではできないことも、2人以上の人々がつながって知恵と力と思いを合わせることで「ふだんのくらしのしあわせ」をつくり出し支えあうことだと考え、ふだんのくらししあわせプラン~住之江区地域福祉計画を策定しています。

ふだんのしあわせレポートでは、住之江区の「ふだんのくらしのしあわせ」を作り支える方々をご紹介します。

平成29年5月23(火曜日)に住之江区役所1階きずなステーションにて、SAlive実行委員会のオープンミーティング「いのちをつなぐ~ひとりぼっちにしない防災~」が開かれました。今回は、高齢者、子ども、医療の必要な人、障がいのある人、女性、外国語を母国語とする人、家族同様にペットを愛する人、といった多様な人たちがいる現状を踏まえて、災害が起こったときに私たちに何ができるか、そのときに本当に必要な情報は何か、災害時の生活とはどんなものか、リアルな状況をふまえた防災について考えるために、ふだんは障がいのある子どもたちの支援を中心に活動し熊本地震等の被災地支援でも活動しているNPO法人み・らいずの桝谷さんをゲストスピーカーに迎えて、被災地支援の現状についてお話しいただきました。また、NPO法人夢宙センターの内田さんからは阪神淡路大震災の被災時の経験をお話しいただきました。

 


み・らいず枡谷氏講演:熊本地震の被災地の現状から

NPO法人み・らいずの活動と被災地支援

み・らいず枡谷氏:みなさんこんばんは。み・らいずの枡谷と申します。今日はお呼びいただいてありがとうございます。今日のテーマ「ひとりぼっちにしない防災」に関連して、み・らいずの活動について紹介させていただきます。

私たちは、NPO法人み・らいずという団体で、2001年から住之江区南加賀屋で活動しております。主な活動は、障がいのある子どもさんから大人の方や不登校の子どもさんや発達障がいのある子どもさんの支援をしています。また、堺市では、子ども・若者相談支援として引きこもりやニートの方の相談窓口などをやっております。2年前には、生活困窮世帯の子どもたちの学習支援もスタートしました。

み・らいずは、福祉を勉強したわけでもない素人であるスタッフたちで立ちあげました。障がいのある方たちだけではなく不登校の子どもたちやそのご家族や学生さんなどいろんな方に出会う中で、み・らいずがやるべきことはなんだろうなって考えたときに、「目の前にいる誰もが『当たり前』に地域で生きていける社会を作ろう」ということがしっくりくるなあと考えました。

「当たり前」っていろんな形があると思うんですけども、いろんな「当たり前」が選べるような社会にしたいと思っています。障がいがある方は、お世話をしてくれる親御さんが亡くなった後は施設に入所されるしかなかったり、不登校の子どもたちは居場所がなかったり、自宅以外にすごす場所がない子どもさんたちがいたりします。障害のある人をカテゴライズやラベリングしてしまうのではなく、「み・らいずが出会った人、み・らいずに関わるすべての人が、幸せになるような活動をしましょう」という思いで、利用者さんも職員もヘルパーさんもその家族も含めて、「幸せにできたらいいなあ」と思っています。そのために必要なものが無いなら「無いものはつくろう、今その人にどんな支援が必要かということを考えて作りつづけましょう、作っておわりではなくて作り続けましょう」ということをミッションにしています。

なぜそういう団体が災害支援を始めたかと言いますと、最初は、東日本大震災でした。神戸淡路大震災のときは、私自身は大学生でみ・らいずの代表は高校生でした。その時は特に何ができたわけでもなく、私は大学生で「えらいことが起こったなあ」という思いで、神戸まで行き、衝撃をうけて帰ってきました。東日本大震災が起きたときには、代表から「自分たちは社会を変えると日々言っていながら、この状況で自分たちが何もしないというのでは、スタッフに示しがつかない」と話があり、原発が爆発してすごく怖くて行きたくないと言っていたんですが、「行きたくないけど行くわ、何もしない代表にスタッフがついてきてくれるのは難しいだろう」と東北へ向かいました。もちろん、私たちはふだん障がい者支援をしているので、困っている被災地の障がい者の方のお手伝いができないか、と考えて、震災がおきて1週間たった17日に行きました。
被災地に足りない支援

避難所を回って必要なものは何だろうか、とアセスメントを行ったんですが、私たちは災害支援は初めてでしたし、実際に行くと自分たちの力では「手に負えないな」と感じることが多かったです。着いてすぐに「電気つけてくれや~」とか「手ぶらで来たのか」とか怒られたりします。それで「電気がないです」「ガスボンベがないです」と本部に報告しても、必要な時にすぐには来ないんですね。災害時の避難所支援の難しさがよく分かりました。また、中高生の子どもたちへの支援が足りていないなと気づきました。

障がい者の方や高齢の方、小さい子どもたちにはいろんな方がサポートに入ってくださっていますが、中高生って微妙な年齢で、大丈夫だろうって思われてるんですね。でも、中高生のみんなは携帯も制服もぜんぶ流されて、親も大変な状態で、小さな子どもたちも大変な状態で、自分たちは我慢をするという状況にありました。学校も行き場もない状態で、まずは子どもたちの居場所をつくりました。

子どもたちの居場所を作ったとき、最初はたくさんの子どもたちが来てくれました。復興が進んで学校が始まったりクラブが始まったりするにつれて、もともと学校に行けていた子どもたちは学校の中に居場所を見つけて戻って行きました。元々学校に行けていなかった子どもたちはその後も続けて来てくれました。3年間続けた後、現地の団体に引き継ぎましたが、その後半年から1年経ったときにその子どもがたちが、「自分たちは親を見捨てて逃げてきました」とか「周りの友だちを見捨てて逃げてきて友達は亡くなったのに自分たちは生き残ってしまった」とか、ようやくポツポツと話せるようになってきました。

その居場所では、料理教室などの日々いろんな活動をやったり、受験前の勉強をサポートする学生サポーターと一緒に子どもたちの近くで話を聞く臨床心理士を交えたり、自分たちができることをやっていく形でした。

もうひとつやったのは、被災地には大量のボランティアや支援物資がくるので、与えられるばっかりになってしまっていて、子どもたちも支援物資を見て、「こんなんいらんわ」とか「もっとええもの頂戴」とか言うようになってしまってきていました。高齢者の方々も「あなた大阪からわざわざ来て手ぶらか?」と言うようになっていました。みなさん、もともとそうではなかったのに、与えられるだけの支援だと、与えられることが当たり前になってしまっていて、「自分たちでどうにかしよう」という気持ちを潰してしまうな、と思いました。そのことを子どもたちと話した結果、「自分たちも何かやりたい」「ボランティアで自分たちの為に来てくれてる人たちに、自分たちも何かお返しをしたい」と言ってきました。何をやるかってところから子どもたちと一緒にワークショップで決めて、石巻で活動していたので、「石巻の太陽と海とおいしいお米をみんなに知ってもらいたい」という思いをイメージした石巻カフェ「かぎかっこ」をつくりました。カフェの名前はとりあえず空白「」にしておくから自分たちで決めようと言っていたら、かぎかっこ、かぎかっこと呼んでいるうちにそのままかぎかっこという名前になりました。石巻市役所2階で今もやっておりますのでお越しの際はぜひ行ってあげてください。
災害支援と地域福祉

そこから防災や災害支援って、事態は特別であっても、その時に日ごろ自分たちが関わっている「地域福祉」が必要やなって思いました。次に広島の土砂災害の時に、アパートが大きな被害をうけて人が亡くなられたり、夜に土砂崩れが起きたので家が無事だった人も夜が怖くて怖くて仕方がなくなったり、夜が眠れなくなった子どもたちが夜だけ避難所に来たり、と色んな状況にありました。災害時には社会福祉協議会、社協の職員さんが中心になってボランティアセンターを運営します。広島にも8000人のボランティアさんたちが来てくれていました。その方たちに「ここに行ってください」と指示したりビブスを配ったり、8000人を捌かなくてはいけないんです。でも、日ごろの社協さんのメインの仕事は地域福祉なので、ボラセンをやりながらも「あの人大丈夫かな」とかすごく気になっているんです。

広島の土砂災害が起きた時に、聴覚障がいの人は災害に気づけなかったらしいんです。朝起きて出かけようと思ってドアを開けたら「えらいことになってた」と驚いたというような状況です。そういう状況も社協の職員さんたちは把握されておられましたので、在宅避難されている方を全部回りましょうということになり、ボランティアセンター運営をする社協に替わって、我々のような応援チームが日本財団から助成をうけて活動していました。自分たちが現地にコーディネーターとして入り、現地のケアマネさん、訪問看護師さん、社会福祉士さん、弁護士会の方とチームを組んで、個別にお宅を回りました。すると避難所には行ってないけど夜が怖いとか子どもが落ち着いて寝れないとか、障害のある高齢のご夫婦とか逃げれないからここに居るしかしょうがないとかという方に会いました。特に男の人、お父さんって「怖い」って言えないんですよね。家族みんなが怖がっている中で、大黒柱的なお父さんはなかなか怖いって言えなくって強がっているんです。でも実はお父さんもすごく怖くって、特に年配の方ほど言えないんです。でもそんな方も看護師さんには言いやすいみたいで、「実は寝られへんねん」というところから話を聞く活動をチームでしていました。

次に、関東の豪雨の時には、鬼怒川が決壊した常総に行かせてもらいました。洪水で家の1階が泥でいっぱいになってしまって避難している方が多かったです。ここでは包括支援センターにアプローチできました。センターの方もフル回転で大変な状態で、我々が一緒に独居の高齢者の安否確認に回らせてもらいました。避難所に行けば物資はあるんですけども、避難所に行けなければもらえない状況でしたので「必要なものないですか」と問いかけたり、お届けできるような体制を作ったりしました。包括支援センターの方に状況を報告して、再訪問が必要な方の確認や、今すぐ介護保険サービスを暫定的なスタートや、避難所の変更といった課題などを報告しました。多かったのは、土砂崩れで支援学校のバスが通れないから学校に行けない、買い物にいけないという移動の困難が課題となっているのが特徴的でした。

常総では、地元のNPOさんが中心になっていろんな団体をまとめていました。移送サービスの手配はその団体がされていましたが、基本的には、日頃いろんな所と繋がっている人と連携がとれるとスッと動けるなと思います。災害が起こってから、一から関係を作っていくとなると時間がかかるんだろうなあというのが実感でした。

そして、去年の今ごろは私は熊本にいました。熊本地震が起きて、この時は一番被害の大きかった益城町の隣の御船町に支援にいきました。そこでもまずは社協を訪ねました。御船町の社協も同じようにボランティアセンターを運営しなくてはならないので、一緒に地域を回りましょうということになったんですが、範囲が広いんです。御船町って、山奥の地域もあって、障がいのある方も点在しているんです。見守り活動をする福祉協力員と呼ばれる方がいらっしゃって、民生委員さんとチームを組んで高齢者の方々を見守る体制がありました。ただ、みなさんやっぱり「若い人は知らない」とか「障がい者の方とは普段からお付き合いがないのでわからない」という方が多かったので、市役所から指示を受けて要援護者台帳の名簿の中から障がい者手帳をお持ちの方のリストを渡されて、在宅訪問をしました。その時に、九州の障がい者支援のネットワークの皆さんに声をかけさせてもらうと、窓口担当の方が総勢300人の方を手配してくださって、在宅訪問と福祉避難所の支援に回ってもらいました。くまモンのジャンパーを借りて着て、「御船町社協の災害ボランティアセンターの福祉チームです」と名乗って訪問させていただきました。

障害のある人って、避難所にはあまり行かないんですよね。行ったとしても、様子を見て、「やっぱり無理やな」って思って帰ってきた人がいっぱいいました。福祉避難所なら行けるって人は何人かおられたんですけども「福祉避難所にも行けない、もうこの子とここで死にます」という高齢のお母さんもいらっしゃいました。また、精神疾患の方も不安が大きくなるようでした。近くに精神科のある病院があり、かなり被害を受けていたんですが、気骨ある職員さんたちが、テント張ってでも受け入れるとか、訪問ならいけます、とかおっしゃってくださいました。その他全国のDPAT(ディーパット 災害派遣精神医療チーム)の保健師さんや精神科医さんが来てくださいまして、そちらにつないだこともありました。

このように、御船町社協の災害ボランティアセンターの中に福祉チームを置いて、常駐コーディネーターとして私と福祉職のコーディネーターと、訪問チームへの説明等を含むロジ担当のスタッフとの3人組でローテーションで派遣されていました。九州の法人さんから福祉の専門職の方が二人ペアで車に乗って来ていただいたり、別の九州の大きな法人さんが宿泊のために土地を貸してくれたりといった手助けもありました。

役場と社協と保健師チームと瓦礫を撤去してくれるNPOさんなどと毎朝、毎夕会議を持ちました。瓦礫撤去にいったお宅で「この人大丈夫かな」と気になる人がおられた場合は我々が訪問したり、保健師さんの個別訪問でちょっと障害のある方がおられた場合は我々に再度訪問を依頼されたりしました。

そのような災害時の福祉支援について調べようと、今回の熊本地震でどんな団体さんがどんな活動をしたかを、み・らいずが調査しましてまとめました。

やはり災害時って、いかに平時の地域福祉への意識があるのか、日ごろのつながりがあるかないか、で違って来るんですね。

まず救急医療が人の命を救ってくれて、我々が支援に行くのはその後です。命を救われたあとのくらしが災害によって崩されているので、そこをどうサポートするのかってところだと思っているんです。
避難所生活環境と災害関連死

残念なことに熊本地震は直接死よりも災害関連死の方が多いんです。災害関連死というのは、避難生活での疲労とか、環境の悪化によって亡くなられることです。熊本地震の死者は211名ですが、直接死ではなくその後の生活によって支障をきたして亡くなられた災害関連死の方が153人とほぼ7割くらいなんです。被災後どんな生活になるのかは実際に見たり体験したりしないことにはわからないし、例え体験したことがあっても、別の災害だと別の支障が起きるかもしれません。

(たくさんの人が避難所にいる様子の写真を示しながら)これが避難所の状態なんですが、この状態で1か月、2か月過ごさなくてはならないのを想像してもらえればと思います。子ども達が遊んでいる様子が写っていますが、子どもが泣いた時に迷惑がかかるからと気を使って乳幼児のお母さんが行けなかったり、妊婦さんがこういう所では過ごしづらかったり、障がいのある方はなおさら、女性も着替える場所がなかったり、非常にストレスのかかる環境だと思います。

避難所生活環境や先が見えないことでのストレスがあります。避難所以外では、周りに気を使わなくていいからと車中泊をされている方がエコノミークラス症候群にかかって車を降りた瞬間に血が通って倒れられたり、避難所に行けないからと危険な家屋で暮らしていたり、自宅避難していると物資が届かなかったり、食事をなかなか取りに行けなかったりして、亡くなられている方がいらっしゃいました。

このあと皆さんに考えてもらえたらなあと思います。声をあげられる方とあげられない方がいらっしゃいます。声をあげられない方はどんな方なのかなと考えていただきたいです。今の時点で、みなさんは自分は弱者じゃないって思っていると思うんですが、小さいお子さんがおられる方や高齢者の親を介護しておられる方もいると思います。実際、災害にあった時に、あなた自身は声をあげられますか?また、自分の周りにどんな人が生活しているのか知っていますか。避難となると地域の人みんなで暮らすことになるわけですから、地域にどんな人がいるのかな、とまずはお互いを知りましょう。また、やっぱりいがみ合っているとうまくいかないですよね。みなさんがいろんな活動をせっかくやるのであれば「やって良かったね」と思える活動をしていけたらいいなと思っております。

まずはお互いを知合いましょうということで、NPO法人自立生活夢宙センターの内田さんに活動の紹介をしていただきたいなと思います。
阪神淡路大震災での経験

夢宙センター内田氏:みなさんこんばんは。今、枡谷さんからご紹介いただきました自立生活夢宙センターの内田と申します。まずはこのようなお話をさせていただく機会を設けていただきましてありがとうございます。

とっかかりとして私の事を軽くお話させていただいて、その後、同じく夢宙センターの菊池から夢宙センターで取り組んでいる防災のことをお話しさせていただきます。よろしくお願いします。

私自身は今、住之江区内にある夢宙センターで働きながら、住之江区民として生活しています。今、夢宙センターのスタッフとなってまだ7年めなんですが、これからもっともっと大阪のこと、住之江のことを知っていきたいと思っています。

なぜ今大阪の事を伝えたかと言いますと、私は今年36歳で神戸市出身で神戸市の東灘区に生まれました。高校生まで親と一緒に過ごし、大学から大阪に出てきて一人暮らしを始めました。この住之江では毎日ヘルパーさんに入っていただいています。私のような重度障がい者が地域で生き生きと自分たちらしく過ごせることを大事にしようと夢宙センターでは活動を続けています。

自分自身は自立生活を続けながら、どんなに重度な障がいがあっても施設や病院ではなく地域で暮らすってことをとても大事にしていて、私自身も地域の中でロールモデルになれたらと思いますし、また自立することをあきらめている方、自立する方法を知らない方がまだたくさん住之江にもいらっしゃると思いますので、そういう人たちにまずは自分たちが姿を示して、出会ってつながっていくことで、皆さんが自立生活できますよってことを伝えるような活動をしています。

私は、阪神淡路大震災で被災しまして、その時中学1年生でした。震度7という地震を経験して、今より身体も小さかったんですけども、自分の身体が宙に浮きました。びっくりして何がなんだかわからず、ちょうど同じ部屋に寝ていた母が私の身体に覆いかぶさってくれて物などは倒れてこずに無事でした。震度7っていうと皆さんの想像を絶するほどの感覚で、家具なども全部なぎ倒されて、私の自宅はマンションでなんとか無事でしたので避難をすることになりました。家族と一緒に逃げました。

東灘区は木造の家屋が多くて、家屋の倒壊もひどく、火事も多かったので、とりあえず「着の身着のまま逃げなあかん」という命の危機にさらされました。避難中も「これって昨日まで私が住んでた街かなあ」ってくらいに方角もわからないですし、日中でお天気は晴れているはずなのに、すすや灰や火の手があがっていたりして、昔、社会科で習ったような戦争中のような風景が広がっていて、街が一瞬にして無くなった感じがしました。それから避難生活を続けたんですが、なかなか避難所での生活が立ち行かず、学校は渡り廊下が落ちていて学校にも行けず、九州の私の両親の実家に避難しました。1月17日に被災してから春ごろまで九州の方に身を寄せていました。そこから復興に向けて神戸のみなさんが立ち上がっていったのを覚えています。

今でも震度1が来たら、その後2,3,4,5が来るんじゃないかってすごく不安で、たとえ震度1でも地震が来たら、夜が寝られなくなるような精神状態に追い込まれることが、今でもあります。私はそういった危機感を持っています。私は生まれつき骨が弱くて障がい者として生きていますので、この大阪の仲間の皆さんに伝え続けることが元神戸出身の私にできる使命なのかなと思っています。私と同じく、障がい者の方々が地域で自立しています。私は身体障がい者の当事者でこのように大きな電動車いすに乗って生活しています。障がい者と一口に言ってもいろんな障がい者の方がいらっしゃいます。もし、震災があった時にどのように助けてほしいとか、普段どんな生活をしているとか、本当に十人十色です。あたりまえのことなんですが、みなさんは思いも違うし、しんどさも違うし、日常での不便さや生き辛さも、皆さんそれぞれ違うと思っています。そういうバリエーションを知っておくこともすごく大切だと思います。先ほど、枡谷さんも言われてましたが、普段から地域とつながっておくこと、これがやっぱり一番大事です。でもつながることってすごく時間のかかることです。私も根強く地域の皆さんとつながっていたいと考えています。

防災については普段活動はしているんですけども、なかなかノウハウがまだない状況なんです。どんな防災訓練をしたら防災に強いまちになるかといった知識やアイデアは不足しているので、どうやったら災害に強い街になるか、SAliveの皆さんが目指している住之江の皆さんが安心して暮らすってところをもう一度皆さんと考えていきたいなと思っています。それでは菊池から夢宙センターの取り組みについてお話させていただきます。
夢宙センターの防災への取組み

夢宙センター菊池氏:オスカードリームにあります夢宙センターの防災担当は、私を含め4名おります。内田は身体障がい、他の3名は視覚障がい、作業所、介助派遣担当の合わせて4名です。夢宙センターからは東日本大震災のときに、当事者支援のために何か月かみんなで行って支援したんですが、その経験も踏まえて、夢宙センターが担当する30名の命を守ることをコンセプトとして防災担当を立ち上げました。まず初めにやったのが、安否確認です。当時2011年に東日本大震災後に災害に対応するためにLINEが生まれました。そのLINEの既読機能を使います。障がいはそれぞれなので文章は打てなかったりする人もいるんですが、皆でグループラインを作って災害が起こったらスタンプを送るかメッセージを既読にしようというルールをつくりました。年に一度、大阪府880万人訓練の時期に防災訓練をしています。被災時には自分が体験したことしか実際はできないだろうということで、夢宙センターに一泊してみました。夢宙センターにテントを張って電気ガス水道が止まっているという設定でやりました。事前に色々想像してやったんですけど、見事にみんな体調を壊しました。今後いろいろと改善していこうと考えていますが、現状では、どんな備品を買ったらいいのかな、というところもわかりませんし、今震災が起きたらどうしようって不安がありますね。オスカードリームではつい先日に防災訓練がありました。夢宙センターは2階にあります。防災訓練は、津波が来るという想定で始まります。「1階と2階の事務所の方は3階のエレベーターホール前にエレベーターを使わず上がってください」と言われました。「難易度高いなと、どうしようかな」と思いました。エレベーターに乗れなくて3階に上がれないと津波に流されてしまいますし、ヘルパーさんたちで皆で運ぶにも、うちには障がいのある人が30人位いますのでそれも難しいですし、オスカーホ-ルさんにも一緒に考えてくださいと伝えて、今避難マニュアルを作っている段階でございます。

 

夢宙センター内田氏:しょうがないと思うんですけども、大阪の方って危機意識はまだまだ少ないなと思います。私は地震を1度経験していまして、それでも死ななかったってこと、生き延びてこの住之江に住んでいることを、障がい者当事者の声としても、被災者の声としても、皆さんに話を聞いていただく、思いを伝えさせていただく場所をこれからもっといただき、皆さんとその思いを共有しながら、普段から顔の見える関係性をつくって、防災という切り口だけで考えるのではなく、まちづくりに防災の視点を入れていくという考え方で皆さんと一緒にもっと前向きに取り組めるような災害に強いまちづくりに向けたイベントなどをこれから住之江でできたら嬉しいなと思います。

 

み・らいず枡谷氏:なかなか聞けない貴重な体験談だと思います。今日のテーマにあるとおり、「ひとりぼっちにしない」ということだと思います。災害時だけではなく、虐待だったり非行だったり、今地域で問題が起こっていることも、結局は全部、孤独や孤立から来ているとことだと思います。「ひとりぼっちにしない」ということ、ふだんのくらしと災害時の行動がつながるということが、もっと多くの人が意識できるといいなと思います。このあと、活発な意見交換ができればと思います。ありがとうございました。
意見交換

杉村実行委員長(司会):それでは早速、皆さんと意見交換をしていきたいと思います。

枡谷さんのお話の中で障がい者の方が実際に避難所に来られて様子を見て帰ったというお話がありましたが、住之江だったらもっと顔が知らない関係の中でもっと避難所に入っていけなくなるんじゃないかな、熊本以上に住之江で起こりうることなんじゃないかなって非常に衝撃的でした。避難所が設けられても障がいがある方、乳幼児がいる保護者の方、ペットが心配で避難所に入れない方等避難所に行かないって方々がいらっしゃると思います。この住之江で災害が起こった時に、そういう方々とともにどう災害を乗り越えていけるかということを最初のテーマで話していただければと思います。

 

夢宙センター菊池氏:夢宙センターの車いすメンバーは、避難所に行ったことがないので、災害があって初めて行くことになるんです。すごく不安に思っているみたいです。視覚障害の友人もいるんですけども、行ったことない場所に行くのは、災害時によりストレスになるかと思います。イベントなどで避難所の体験が事前にできるのはいいかと思います。

 

杉村実行委員長:地域の防災訓練に私も参加するんですが、地域のいつも集まるメンバーで20人程度集まって防災グッズや保管場所や避難経路の確認をするのが、よくある防災訓練だと思います。多様な人が避難場所に集まる状態の訓練ではないですよね。

 

夢宙センター内田氏:避難所に入らずにあきらめて帰ってきた方がおられたということを今後に生かすとしたら、私たち障がい者当事者たちが、どんどん地域の防災訓練に参加させていただいて、地域住民の方たちと「こういうのは困るね」とか「こういう場合どうやったら一緒に避難所に居れるか」とかそういったことを話すコミュニケーションの機会をまず作っていけたらいいのかなと考えています。もうひとつは非常に残念なことなんですが、避難所に障がい者たちに限らず、色々生き辛さを抱えた方が行ったときに断られてしまうというケース、福祉避難所でも断られてしまったケースがあったと聞いています。やはり災害時でも排除せずに皆で生活を取り戻していくことが大事だと思います。去年の春から障がい者差別解消法もスタートしていますので、改めて災害弱者になる人たちもどうやって一緒に生きていくかということを、ふだんから皆さんと考えていきたいと思っています。

 

田中実行委員:避難所で役割がないというのも生き辛さにつながっていると思います。与えすぎてばかりでも仕方がないのかなと思います。皆で話し合っていくことが一番大事なんかなと感じました。

 

み・らいず枡谷氏:みんなが被災している状況なんですよね。人の事を考える前に、まず自分の家族を探しに行かないと、と考えます。まず家族を探したいというのは当たり前ですよね。他には、家を見に行きたいという人も多いです。だから、避難所は昼間は動けない高齢者ばかり残っています。自分たちの心配事をどう解決できるのか、自分だけじゃなくお互い様と思いながらどう気遣いあえるか、いろんなことを想定して話し合いができたらいいのかなと思います。例えば、事前に災害時には誰と誰とで話し合あうと決めていても、実際には、被災すれば誰が生き残っているかわからないんですよね。それくらいリアルな設定で話合えればいいのかもしれませんね。

 

長谷川実行委員:避難所って小学校につくることが大半だと思うんですが、例えば施設連絡会の皆さんとお話ししても、自分の施設がどこの小学校区かを知らないということがあります。自分の小学校区の施設の場所がわかっていても実は隣の小学校区の施設の方が近いということもあります。小学校区単位でやる防災訓練が本当に形だけになってないだろうか、リアルになり得ているのか考えると校区を超えて訓練することも非常に大事なことだと思うんです。また、学校の場所はわかっていても正門等の入口がわからないこともあると思います。そういう初歩から勉強しなくてはと思います。

河合実行委員:先日安立地域の防災訓練があったんですが、避難所というと小学校が一つだけなんですね。結論を言うと100人位しか入れない。それを前提でやるんですけれども、物資も200人分くらいしかない、でも住んでいるのは1千何人です。そこの疑問がありつつ防災訓練しました。やっぱりそういう部分もしっかり考えなくてはいけないのではないかなと思いました。

 

区役所防災担当 林:皆さんの話を聞かせていただいて行政の立場からお話させていただきます。まず、全員が全員、避難所の劣悪な環境の中で生活しなければならないわけではないんです。安立地域でいいますと4000人が一時避難できて、1400人が生活できるとなっています。ただし、物資は300食しかありません。それは全地域がほぼ一緒です。全員が避難所に来なければならないのではなくて、在宅避難していただいてもかまわないということなんです。在宅避難の場合、例えば、南港地域は高層住宅ばかりです。高層住宅に住んでいて、自宅が無事であれば、そこに住むおばあちゃんがわざわざ小学校にある避難所に行く必要はありません。自宅にいても全然構わないわけです。もちろん、お話にもあったように、地震の情報や物資の情報をどうやって仕入れていくのか、安否確認も含めて見守りを誰がするのか、自分自身どう情報発信するのか、っていうところが課題にはなってきます。絶対避難所にいかなあかんというわけではなく、自宅の家具が倒れないようにしてもらって、建物が丈夫であれば家の中で生活してもらうのが一番です。そのために物資を備えてもらうとか、例えば配管が壊れたときに備えてトイレの準備をしとくとか、食べ物とか水とかを備えるということを説明させていただいています。

福祉避難所については、役所の定義づけでは福祉避難所には最初には行かないで欲しいんです。熊本でもそうだったんですが、福祉避難所の位置づけは、いったん災害時避難所に行ってもらって、障がいがあるとか、配慮の必要な、皆さんと一緒に生活をおくることがなかなか困難な方は判断を受けたうえで福祉避難所に行ってもらいます。いきなり福祉避難所に人が押し寄せてしまって福祉避難所の機能が働かなかったという事実があります。あくまで福祉避難所は二次的な避難所になります。その位置づけについては、ご理解いただきたいです。

地域の訓練については、小学校を単位とした地域活動協議会が実施していますので、小学校を中心に実施しています。敷津浦地域であれば、住之江中学校もあれば住吉商業高校もあれば敷津浦小学校もあり、この3つともに避難所が立ち上がります。本部をそのうちの1か所において、どう連絡をとりあうかという形で訓練をやっています。

地域の防災訓練は役所がやってくださいとお願いするのではなくて、地域の自主防災組織に運営を担っていただいています。安立地域もそうなんですが、障がいのある方とか女性の方とかに、どこの部屋に入ってもらうか、教室のどこに入ってもらうか、というのは地域の方が訓練の中で決めています。実際はそれは障がい者の方とか高齢者の方の意見を反映されたものにはなっていません。そういった訓練で場所を決めるときにも入ってきてもらって、どしどし意見をいただいたらと思います。女性の視点からは階段からまっすぐの部屋やったら動きや影が映ってしまって不安だという意見もありますし、2階3階の部屋は高齢の方は歩いて上がれませんし、電動車いすはどうやって上がるねんみたいな問題もありますし、もっと意見をいただけたらなというのはあります。

 

杉村実行委員長:いいヒントをいただけました。先ほど内田さんがおっしゃられていたように、地域とうまく連携していけるきっかけ作りが何かこのSAliveでもできたらなあってのを感じました。

 

み・らいず枡谷氏:今、林さんがおっしゃったことはすごくよくわかるんです。行政の方がよくそうおっしゃるんですけども、色んな災害を見ていると、災害が起きたときに「ここ福祉避難所やから初めに絶対行ったらあかんわ」とはならないんです。自分の命がかかっているときに、冷静に考えて動くって人はまずほとんどいないと思っていただいた方がいいと思っています。実際避難する場所をユニバーサルにするかってことは、本当に簡単なことでいいんです。車いすの方は地域にたくさんいらっしゃいます。ただし、車いすの方が車いすに乗って避難してくるとは限らないんです。担がれて避難してくるかもしれません。不自由な方がその人にとって居やすい場所をその人のスペースにしておくとか、視覚障がい者の方は壁沿いロープを張っといてくれたらそれを伝って自分で移動できるから介助者がいらずに過ごせるとか、表示を色んな言語で書いたりとか、色んな人の声を集めたものがまとめられてもいます。

役所の職員は避難所に張りつけになります。例えば福祉にあまり関係のない税金の担当の方とか、二人しかいない小さな部署の方とかにも課で受け持ちが割られるんですね、二人で24時間365日ローテーションするような状況です。本当に倒れてしまいそうな方もいらっしゃいました。避難所の運営管理を必ずしも役所の人がやらなければいけないという考えは変えた方がいいと思います。住民が役所にやってもらわなければ困るっていう考えだから余計にしんどくなるので、いかにひとりひとり備えようっていうのと、どこに避難してどうできるのか考えようとか、やってもらおうってばっかり思うのではなくて役所は何をするとこか、役所の役割であるところと役割じゃないところをちゃんと考えて、すべて行政に押し寄せないよう、役所の役割や住民ひとりひとりの役割というのを考えれるような、全員が自分事と思えるようなワークショップを重ねていけるといいと思います。

 

区役所防災担当 林:阪神淡路大震災の時で98%の人が自助と共助、つまり、自分自身と周りの地域の人達で助け出されました。役所ができることは少ないです。住之江区は12万人住民がいらっしゃって役所の職員は200人しかいない。ずっと言い続けてるんですけど、どうしてもやっぱり「役所どないかせえ」「役所がどないかしてくれる」と思っている方は多いです。あくまでも避難所は地域の方を中心に運営してもらわないと手が回らないんです。

 

み・らいず枡谷氏:災害にもよりますけど全国からいろんな応援も来ますし、日ごろから色んな立場の方が何もできないっていうよりは、私はこれだったらできるということを持ち寄れる場があるといいかもしれません。

 

夢宙センター内田氏:今の枡谷さんのお話ですごくいい問題提起があったと思います。私自身は障がい者ですし、ふだんは助けていただくことが多いです。でも私たちも地域住民の一人です。障がい者に限らずなんですが、先日聞いた講演会で講師の方が「当事者のことは当事者に聞くのが一番ベストだ」とおっしゃられていました。障がい者も高齢の方もお子さんも妊婦さんも色んな意味で生き辛さをふだんから抱えておられて、かつ大災害が起きた時には、それがなかなか言えなくて、わがままだと思われるんちゃうか、みんなが大変やからやっぱり我慢しなあかん、とより追い込まれる方は本当に後をたたないと思うんです。でも、ふだん、みなさんに助けていただくことが確かに多いですし、介助もしてもらっていますが、「当事者のことを当事者に聞く」というシンプルな視点を意外に持っていただいていないかなとも思います。障がい者といってもニーズっていうのは千差万別で、やっぱりその本人さんに聞くというコミュニケーションをしっかりとっていくことが大事だと思います。事前に私たちが対策できるとしたら、私には住之江地域で防災リーダーになりたいなという目標があります。ふだんから色々生き辛さを感じている人たちのリーダーになれるんではないかと思っています。障がい者のことも私たちは普段からニーズをつかんでいますし、仲間たちの事は私たちがよく知っていますという当事者の強みがあります。助けてもらってばっかりじゃなくて地域を支えるということも障がい者はきっとできると信じています。まだ道のりは長いんですけどゆくゆくは皆さんと一緒に地域の防災リーダーをやれたらいいなと思っています。

 

杉村実行委員長:先ほどの東日本大震災の話のなかで中高生の不登校の方への支援が行き届いてなかったという課題がありましたが、子ども食堂を運営している伊達さんから何か意見あればお願いします。

 

伊達実行委員:子ども食堂には、もっと小さな小学生と乳幼児が多く高齢者の方も多いです。行き届いた避難訓練とか防災訓練ってのはまったくできていませんし、情報の連携もとれていませんので、今の話を聞きながら早く強化していかないといけないなと思いました。熊本などでは小学校以外に臨時でつくられた避難所に心優しい方がいらっしゃったわけですか?

 

み・らいず枡谷氏:避難所は起こった災害の種類と起こった時間帯にもよって状況が変わってくると思います。避難所ってとりあえず皆が安全そうだと思って逃げた公民館とか資料館とかの公共施設や、商業施設、介護施設などが、あとから避難所に指定されていくということもありました。

 

伊達実行委員:自分は仕事に行っていて子どもたちは学校に行っているときに災害が起きた場合、親子が離れてしまうケースが多いと思うんですが、そういう親と離れてしまった子どもさんは、避難所で災害がおきて間もない時はどういう扱いになっているんでしょうか。親探しを手伝ってくださる方がいるのか、どこに行けば子どもと会えるのかっていうことはどうやってわかるんでしょうか。

 

み・らいず枡谷氏:東日本大震災のときは昼間だったので、ぎりぎり下校前で子どもさんたちは学校にいる時間だったので、お母さんたちは学校に来てましたね。支援学校などではそのまま避難所になったそうです。夜に災害が起こった場合は、結構家族を探している人が多かったですね。もう個人情報がどうなんて言ってられなくて、どの避難所に誰がいるという一覧が貼り出されていて、それを見て人を探していました。子どもさんであれば、近所の人とか、ちょっと知っている人たちが一緒に連れて逃げてくれて、何とかお母さんに連絡がとれたとかいう事もありました。

 

参加者:そういう事を経験された方に聞くと、お母さんが子どもさんを探しに行って、助けにいって結局二人とも亡くなるってことが非常に多かったんです。日ごろから災害が起きた時は自分はどこに逃げるということをきっちり子どもさんに教育してもらって、そのあとどこでどう連絡をとるかってことを決めといてもらえれば、それでいいことやと思います。

 

伊達実行委員:うちの家族はそういう事をどんどん話しあっているんですが、うちの食堂を利用してくれてるお子さんの中には、夜間お母さんが仕事に行っていて子どもだけで留守番をしてる家庭が多くて、災害時の話は全然したことないって言っている子もいました。

 

参加者:そこはやっぱり自助ですね。基本的には自助です。そこをしっかりふだんから教育してもらって、日ごろから地元でそういう事になったらどうするかってことを一緒に考えるところから始めないと、防災って話はできないです。やってもらえるもんや、行政がするもんやって思っていたら何も始まらないです。やっぱり一番大事なのは自助です。

 

伊達実行委員:そういう情報は子どもたちにきちんと伝えてたいと思います。

 

参加者:阪神淡路大震災の時に、私のろうあ者の友人が被災していてお見舞いに行ったんですが、すごく大きなところに集まっていて、受付もどこにあるかわからないし大変でした。ろうあ者とわかるようになにかワッペンとかバッジがあればそれを着けて援助をしてもらったりできます。見た目では分かりにくい障がいなので、障がいがあることがわかるようにしてくれないと自助ではできないこともあると思います。

 

杉村実行委員長:貴重なご意見ありがとうございます。SAliveでは来年、再来年に向けて今後もこういう機会を通して、みなさんのお知恵を拝借させていただきながら、よりよい暮らしやすい住之江というまちをつくっていける一助を担えたらなあと思っています。「一隅を照らすもの」という言葉があるんですけども、一隅を照らしていける会にしていければなあと思っています。これから皆さんも是非是非ご参加よろしくお願いします。

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