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区の歴史と特色

2018年12月13日

ページ番号:425

■新田開発と臨海埋め立て

古代の大阪の地図(大阪港工事誌3ページ)

 大阪市の西部地域である河口デルタ地帯は、大阪が「なにわ」と呼ばれた頃、北から淀川、南から大和川(旧河内川)が流れ込んで大阪湾に土砂を運び込み、長年の間にたくさんの砂洲とその間を流れる無数の水路で作られた「なにわ・八十島」といわれる干潟地帯になっていました。
 新田開発は、この砂洲の周囲に堅固な堤防を築いて海水の流入を閉め切って農地を造成する事業ですが、その記録が歴史上に登場するのは安土桃山時代の頃です。
 その後、江戸時代に入って農産物の増収を図るため幕府が新田開発を大いに奨励した結果、幕末までのおよそ260年間に2000余町歩、約1万5000石に達する新田が、西大阪の大和川、木津川、安治川などの河口デルタ地帯で造成されました。
 西大阪の新田の特色は、町民が幕府の許可を得て開発事業を請け負う町人請負新田であり、庄屋を中心に村人が共同で開発した村受新田や藩が直接工事を実施した藩営新田などは、まったく見られませんでした。
 このように江戸時代には、農地を造成するため盛んに新田開発を行ったのですが、明治時代に入って西欧文明の移入とともに西大阪の臨海地帯は工業地域として新しい時代の脚光を浴びることにより、大阪港の築港事業と相まって新田地先の臨海埋め立てを積極的に行うようになりました。

 大阪港の築港工事は、明治30年に始まった第1次修築事業を契機として本格的に開始されましたが、この工事にともなって発生する浚渫土砂を用いて安治川・尻無川・木津川沿いに臨海埋立地が造成されました。
  なお戦災復興土地区画整理で盛土した地域は、港区と大正区と住之江区平林付近でありますが、この地域はすべて新田開発と臨海埋め立てで造成された土地であります。

〇臨海埋め立ての状況(「西大阪高潮対策事業誌」より)
地名開発者工事名埋め立て面積竣工年
旧ブロック製造所大阪市港湾局第1次修築工事25,400坪明治32年
鶴町大阪市港湾局第1次修築工事350,900坪大正3年
南恩加島 平尾町大阪市港湾局第1次修築工事88,900坪大正12年
船町大阪市港湾局第1次修築工事282,000坪大正15年

■運河と貯木場

 日露戦争と第1次世界大戦は、工業生産の増加にともなって大阪港の躍進と発展を促し、臨港地帯の港区と大正区の姿を大きく変貌させることになりました。
 明治中期頃までの新田開発は、米・野菜・西瓜などを生産する農村地域であり、市電の開通や運河の開削にともなって農地は、しだいに工場・商店・住宅・運河・貯木場に変えていきましたが、田畑の周囲は縦横に水路が走る湿地帯になっており、この土地を市街化するには農地の盛土と運河開削や道路・下水の整備などの開発工事を行う必要がありました。
 そこで新田地主が協力して港区と大正区では、市岡・安治川・辰巳屋・泉尾・千島・岩田・和久・木津川・大阪港・木村・大阪木材市場などの土地会社を設立し、農地を盛土し、水路・運河を掘り、橋を設け、道路を整備するなどの経営地の開発に努めました。
 西大阪の臨海地域は港・河川・運河などの水運と平坦で広大な土地に恵まれていたため港区では、境川から市岡付近に製造工業、尻無川沿岸に木材・石油・石炭・薪炭・石材業、境川運河一帯に木材業が進出し、大正区では船町・鶴町・南恩加島・平尾付近にセメント・製鉄・造船・造機などの大工場、泉尾付近に船舶修繕・機械部品業、三軒家・難波島付近に造船業などの工場が進出し、港区と大正区は市内有数の工業地域としてめざましい発展を遂げました。
 また大正区では、大正中期から昭和初期にかけて千島新田と泉尾新田一帯に土地会社が運河・貯木場・水路の開削と道路・橋梁・宅地盛土などの開発工事を総合的に実施して市内中心部の材木業者を誘致した結果、最盛期の昭和7、8年頃には業者数約600戸に達する全国有数の木材街が出現し、その木材市場は業界の一大中心地となりました。
 なお貯木場は、大正区の中心部に位置し約20万坪の広大な面積を占め幅員25間の大正運河で木津川と尻無川に通じ、大阪港から木材を搬入していました。

〇貯木場
大正区全図【(『わが大正区』)口絵】

(『わが大正区』)口絵

〇運河の状況
運河名開発者区間延長竣工年
境川大阪運河(株)安治川~尻無川1590m明治35年
千歳大阪港修築事業尻無川~木津川運河1900m大正3年
木津川大阪港修築事業築港~木津川183m大正5年
天保山大阪港修築事業安治川~尻無川2476m大正6年
岩崎河川改修事業木津川~尻無川510m大正9年
大正千島・岩田・大阪木材市場(土地会社)木津川~尻無川1980m大正12年

(『港区史』『わがまち大正』『大正区史』『千島土地株式会社五十年史』より作成)

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■地盤沈下と台風

 大正中期から昭和初期にかけて港区と大正区は、めざましい発展をとげ製鉄・セメント・造船・造機などの製造工業や石油・石炭・石材・薪炭・木材などの材料集散地として阪神工業地帯で重要な地位を占めるようになりました。
 大正14年の第2次市域拡張で大阪市の人口と工業生産額は、東京市を抜いて全国一の大都市に発展し、大阪港の貨物取扱量も昭和10年代に全国一の3000万tに達しました。
 取扱貨物は石炭・原木・鉄・穀物・鉱油(鉱物性の油)・鉱石・綿花などの原材料と繊維製品・金属製品などの加工商品で主な取引先は近隣のアジア諸国と中国・四国・九州の西日本地域で全体の90%を占めていました。
 このように港区と大正区は全国有数の工業地帯として、活発な生産活動を行っていたのですが、昭和3、4年頃からこの地域の地盤沈下現象が生産活動の障害になってきました。
 西大阪の地盤沈下現象は、陸地測量部の水準測量によると明治時代から徐々に進行し、場所によっては36年間に57cmも沈下していました。  大阪市で水準測量を開始した昭和9年以後の地盤沈下現象は、時期によって次表のように分けられます。

 

昭和9年以後の地盤沈下現象
時期特徴沈下原因と防止対策
昭和11年~18年沈下激甚期工業生産額がピークに達し地下水利用が激増した
昭和19年~23年沈下停止期工業生産額がピーク時の3分の1まで減少し地下水利用が激減した
昭和24年~31年沈下漸増期工業生産の回復にともなって地下水利用がしだいに増加したので沈下原因の地下水利用を廃止するため工業用水道の建設に着手した
昭和32年~36年沈下激甚期高度経済成長で地下水の利用が激増したので、工業用井戸の建設を制限しビル用水の採取を規制した
昭和37年以後沈下終息期工業生産額は尻上がりに増加したが工業用水道で対処し地下水の利用を廃止した

(『大阪地盤沈下対策誌』より作成)

 太平洋戦争末期の臨海部の堤防や水門などの防潮施設は、維持補修の不足や沈下現象で著しく機能低下しており、その背後地も長年の地盤沈下で排水状態の悪い低湿地になっていたので、昭和20年の枕崎台風では、西大阪一帯は全域にわたって床上浸水したが地盤沈下で宅地の排水能力が極度に低下していたので長期間滞水し、市民生活にはかり知れない損害をもたらし、さらに昭和25年9月阪神地方を襲ったジェーン台風では、西大阪一帯にわたって浸水し家屋の倒壊 1610戸、流失240戸、半壊8380戸などの被害を受け、破壊的な損害を与えました。

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■災害に強いまちづくり

 港区と大正区の土地は、さきに述べたように江戸時代の新田開発と明治、大正時代の臨海埋め立てによって出来た埋立地であり、さらに昭和中期頃から激化した地盤沈下現象で破壊的な浸水被害を受けたため、災害を未然に防ぐ有効適切な対策を早急に実施する必要に迫られ、大阪市では戦災復興土地区画整理で港区と大正区の盛土嵩上げ方針を決定し港区の安治川左岸や埠頭地区で盛土工事に着手しましたが、昭和25年に大阪地方に襲来したジェーン台風で、盛土未了地区は大きな浸水を受けました。そこで昭和25年に大正土地区画整理事務所を現地に開設して積極的に盛土工事・換地・建物移転などの土地区画整理事業を進めることになりました。
 地盤沈下の原因は、工業用地下水の汲み上げで地下水圧の低下によるものであるということが明らかになったので、大阪市では昭和26年から工業用水道の建設に着手して工業給水するとともに地下水の汲み上げ制限が実施されました。
 その結果、昭和初期から始まった激しい地盤沈下はしだいに沈静化して行きました。
 また昭和22年、大阪港修築工事に着手し護岸・防潮堤の工事と併行して地盤沈下を防ぐため臨海地区の盛土を開始しました。
 防潮堤の築造工事を実施し、同時に港区全域と大正区南部地域をあわせて約400万坪の全面盛土と道路・公園の整備を施行する大規模な戦災復興土地区画整理事業-盛土地区-に着手して、水害に苦しめられた、港区と大正区を根本的に改良することにしたところです。
 盛土地区の戦災復興土地区画整理事業は、台風や高潮など水に対して弱いという弱点を根本的に改善し、災害に強い、住みよいまちづくりを目指して地域全体を作り直そうとした世紀の大事業でした。

大阪市建設局発行 まちづくり100年の記録
大阪市の区画整理より抜粋  

  土地区画整理事業および戦災復興土地区画整理事業は、平成6年に完了し、同年10月18日大正地区土地区画整理審議会が解散されました。今では大雨や台風・高潮にも強いまちとして生まれ変わりました。

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