令和2年度 修景補助対象建築物
2022年6月10日
ページ番号:533768

令和2年度修景補助対象建築物の工事が完成しました
完成した令和2年度修景補助対象建築物(6件)
- 「今橋ビルヂング(いまばしびるぢんぐ)」(中央区今橋)
- 「浪花組本社ビル(なにわぐみほんしゃびる)」(中央区東心斎橋)
- 「日本聖公会川口基督教会(にほんせいこうかい かわぐちきりすときょうかい)」(西区川口)
- 「土肥家住宅(どひけじゅうたく)」(西区九条)
- 「天満屋ビル(てんまやびる)」(港区海岸通)
- 「萬代家住宅(まんだいけじゅうたく)」(阿倍野区播磨町)
↑建物名称をクリックすると、建物の概要・主な修景の内容をご覧いただけます。(ページ内リンク)

今橋ビルヂング

浪花組本社ビル
日本聖公会川口基督教会

土肥家住宅

天満屋ビル

萬代家住宅

今橋ビルヂング
建物の概要
建築年:大正14年(1925年)
構造:鉄筋コンクリート造
規模:地上4階
修景概要:外壁の洗い、タイルの貼替え・補修等
大阪市の中央消防署今橋出張所として1925年に建設された今橋ビルヂングは、公共の歴史的建築物を民間活用によって再生させた成功事例である。周囲には大阪倶楽部(1924)や旧住友ビルディング(1926,1930)といった大大阪時代を代表する近代建築が立地し、前面道路の今橋通では沿道の協力を得て大阪市が進める「観光魅力向上のための歴史・文化的まちなみ創出事業」によって、電線の地中化をはじめとする道路整備が計画されるなど、大阪の歴史的都心である船場地区の豊かな歴史や文化を今に伝える要素として、欠くことのできない存在となっている。またカジュアルなイタリアンレストランとして活用され、生きた建築ミュージアム事業にも積極的に参加することで、市民が気軽に歴史的建築物に触れる機会を提供している点も高く評価できる。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 髙岡 伸一)
主な修景の内容
外壁の洗い、ライトアップ器具の取替え、アルミサッシをスチールサッシへ取替え

修景前

修景後
- 経年の汚れが見られた外壁は、バルコニーを含め、全体的に洗いがかけられました。
- 仮設的に設置されていたライトアップ器具は、昼間も目立たないように、配線の整理・器具の取替えが行われました。
- 2階のアルミサッシは、建築当初の意匠をふまえて、スチールサッシへの取替えが行われました。
ランプの修理

修景前

修景後
- 元々は大阪市の消防署だったという建物の歴史の象徴であるランプは、配線等が修理され、点灯できるようになりました。
タイルの補修・貼替え

修景前

修景後
- 浮きやひび割れがあったタイルの補修・貼替え、オリジナルと色調や風合いが異なっていたタイルの貼替えが行われました。
- 貼替えには、オリジナルに合わせて製作したタイルが使用されています。

浪花組本社ビル
建物の概要
建築年:昭和39年(1964年)
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
規模:地上5階、地下1階
修景概要:外壁の洗い、窓枠の塗替え等
雑多な商業建築が個性を競い合う東心斎橋の繁華街にあって、一際異彩を放つ浪花組本社ビルは、20世紀の日本を代表する建築家、村野藤吾の設計によって1964年に建設された、老舗左官業のオフィスビルである。立体的で複雑なファサードのデザインは、特徴的なモチーフを反復することで個性を生み出す村野の設計手法をよく表しており、同じくミナミに建つ中華料理店の大成閣(1961)や、近年建て替えられた新歌舞伎座(1958)とも共通する。また本社ビルの設計を依頼した浪花組3代目社長の中川貢は村野のパトロンとして知られた実業家であり、珠玉の小品として多くの市民に親しまれた喫茶店、心斎橋プランタン(1956)をはじめ、帝塚山の自邸も含めて8つの建築を村野に依頼したとされるが、現在大阪に現存するのは、この浪花組本社ビル1件のみである。商都・大阪の環境が育んだ村野藤吾とその建築を紐解く存在として、浪花組本社ビルは重要な建築である。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 髙岡 伸一)
主な修景の内容
外壁の洗い・補修
上:修景前
下:工事中

修景後
- 外壁は、モルタル掻き落としや小叩き仕上げの繊細なテクスチャーを潰さないよう、新たな塗装は行わず、洗いにより汚れが落とされました。

修景前

修景後
- ひび割れが見られた部分は、補修が行われました。
窓枠の塗替え

修景前
修景後
- 経年劣化していた窓枠は、既存の色調や風合いに合わせて塗替えられました。
石碑の撤去

修景前

修景後
- 建築後に設置された石碑は、撤去されました。

日本聖公会川口基督教会
建物の概要
建築年:大正9年(1920年)
構造:レンガ造
規模:地上2階
修景概要:ライトアップ、扉・窓枠の塗替え等
安治川と木津川に挟まれた川口は、1868年の大阪開港に伴って外国人居留地が設けられた地域であり、教会堂が立地する場所は、26区画に区画された旧居留地21番地にあたる。 川口基督教会は、1882年に同地に建てられた聖テモテ教会を源流にもつ教会である。現教会堂が建設される以前の1889年に居留地が廃止されているため、居留地の直接の遺構ではないが、その名残を今に伝える貴重な存在である。大阪市内には戦前までに建設された教会堂建築がいくつかあるが、煉瓦造としては、西区に建つ国登録有形文化財の日本基督教団大阪教会(1922)と並ぶ代表的な建築である。1995年の阪神淡路大震災によって地盤が液状化し、塔屋が損傷するなど甚大な被害を受けたが、その歴史的価値の継承を図るために大規模な改修工事が実施され再生された。信徒のモニュメントにとどまらず、かつて川口周辺が大阪の玄関であり、西洋文化の発信地であったことを示す重要なランドマークといえる。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 髙岡 伸一)
主な修景の内容
ライトアップ

修景前
修景後
- 新たな魅力創出に向けたライトアップが行われました。
修景前
修景後
- 往時の雰囲気が感じられる照明器具(入口扉の上部)は、点灯できるように整備されました。
窓枠の塗替え
修景前
修景後
- 経年劣化していた窓枠は、既存類似色での塗替えが行われました。
掲示板の移設
修景前
修景後
- 掲示板は、外観を望見できるよう、隣接する「日本聖公会川口基督教会会館」へ移設されました。

土肥家住宅
建物の概要
建築年:昭和11年(1936年)
構造:木造
規模:地上2階
修景概要:卯建(うだつ)を既存に倣って復元、外壁の塗替え等
土肥家住宅は、階高の高さ、段々が施された箱軒、両側の瓦が葺かれた卯建など、昭和初期の町家の特徴がよく残され、現在も居住されている点が貴重で、平成21年(2009)に国の登録有形文化財に登録されている。一方、明治5~8年(1872~1875)の建築という伝聞から、明治初期の住宅が、昭和11年(1936)に建て替えられたとも推察されよう。
当家の隣家や付近にも類似の町家が点在していることは、この地域の特徴といえる。当家を核として修景が進めば、地域共有の財産となり、魅力発信の方途もみえてくる。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 植松 清志)
主な修景の内容
卯建(うだつ)を既存に倣って復元
修景前
修景後
- 卯建(うだつ)は、剥落やクラックが見られた部分を撤去後、既存に倣って復元されました。
外壁の塗替え、簾(すだれ)の撤去

修景前
修景後
修景前
修景後
- 経年の汚れが見られた外壁は、塗替えが行われました。(1階:漆喰で塗替え、2階:漆喰風の塗料で塗替え)
- 外観の魅力を損ねていた簾(すだれ)は、撤去されました。
配管の整理

修景前

修景後
- 空調室外機の配管・窓部分を塞いでいる板を目立たなくするよう、配管は貫通位置が下げられ、板は建具の類似色のものへ取替えられました。

天満屋ビル
建物の概要
建築年:昭和10年(1935年)
構造:鉄筋コンクリート造
規模:3階建て(一部地下)
修景概要:外壁の洗い、タイルの補修・貼替え、窓枠の塗替え等
かつて築港は大阪の海の玄関口として港湾事業で大いに栄えたが、その歴史を今に伝える近代建築としては、旧住友倉庫(1923)や旧商船三井築港ビル(1933)、そしてこの天満屋ビル(旧天満屋回漕店、1935)などわずかしか残っておらず、特に天満屋ビルと旧商船三井築港ビルが並び建つ風景は、築港の景観要素として極めて重要な存在といえる。またかつての大桟橋(現・中央突堤)から街中へと接続する築港大道路(現・みなと通)に面して建つその立地は、築港の歴史を今に伝えるランドマークに相応しいといえる。
また地盤の低い港区は、戦後の復興事業として水害対策のために地域全体が2mほど嵩上げされ、3階建であった天満屋ビルは1階が土に埋まって2階建のようになったが、今も元の地盤面がドライエリアのような形で残存しており、戦後の大阪の歴史的遺構としても貴重な存在といえる。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 髙岡 伸一)
主な修景の内容
外壁の洗い、窓枠の塗替え
上:修景前
下:工事中(注)
修景後
- 経年の汚れが見られた外壁は、全体的に洗いがかけられました。
- 窓枠は、塗装が剥離していた部分を取り除き、既存類似色に調色して塗替えられました。
(注)写真提供:株式会社西村工務店
タイルの貼替え
上:修景前
下:工事中
修景後
- 浮きやひび割れがあったタイルの補修・貼替えが行われました。
- 庇の曲面部分で、スクラッチタイル風に仕上げられていたモルタルは、スクラッチタイルで復元されました。
- 貼替え・復元には、オリジナルに合わせて製作したタイルが使用されています。
柵の取替え
修景前
修景後
- 建物全体の意匠と調和していなかった柵は、シンプルなデザインの柵へ取替えられました。
室外機・配管の整理
修景前
修景後
- 外観の魅力を損ねていた空調室外機・配管は、できるだけ道路から遠いところに配置し直されました。

萬代家住宅
建物の概要
建築年:昭和14年(1939年)
構造:木造
規模:地上2階
修景概要:外壁・建具の塗替え、塀の焼杉板の張替え等
萬代家が位置する播磨町1丁目は、阪南土地区画整理事業による宅地の北端に位置し、かつて北部には旧制大阪高等学校があり、文教地区を形成していた。敷地は東西に長く、南部の道路に面して、西部に和風、東部に洋風の高塀が設けられている。
主屋は道路より後退し、和風高塀部に2階建て和館、洋風高塀部に平家建て洋館(応接室)が配されている。この建物構成は、同家が建築された昭和14年(1939年)頃には広く普及した形式で、平成19年(2007年)に登録有形文化財に登録されている。
萬代家周囲の景観の変化が著しい点からも、同家は貴重である。一方、隣接する阪南町などにも近代の住宅が多く残されており、同家の修景は、それらの景観保全に繋がり、地域の歴史や魅力を発信する契機となろう。
(大阪市地域魅力創出建築物修景事業 専門家相談員 植松 清志)
主な修景の内容
外壁・建具の塗替え
修景前

修景後
- 経年劣化していた外壁・建具は、塗替えが行われました。(外壁:既存類似色で塗替え、建具:既存の玄関の扉などと同様の色で塗替え)
和風高塀:焼杉板の張替え
修景前
修景後
- 経年劣化していた焼杉板は、柱の色に合わせた焼杉板での張替えが行われました。
洋風高塀:塗替え
修景前

修景後
- 洋風高塀は、亀裂等を補修した上で、外壁と同じ色での塗替えが行われました。
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