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鶴見区の沿革

2017年12月28日

ページ番号:1245

古代の当区一帯は河内湾と呼ばれる海の中にあり、その後淀川と旧大和川のもたらす土砂の堆積によりできた低湿地帯で、たびたび河川の氾濫をくりかえしていたと伝えられています。江戸時代には現在の地名のもととなった村々ができ、このころは寝屋川の両岸は菜の花が咲き乱れ、野崎観音参りの舟と人とが行き交うのどかな光景であったといわれています。明治の中期までは縦横に水路が通り一面農耕地が広がる水郷地帯でしたが、明治28年にJR学研都市線の前身の浪速鉄道が開通し、昭和7年にこれが電化されると区の南部は急速に発展しました。しかし、区の北東部は昭和30年代頃までまだ一面農地で、水路には田舟が行き来しており、昭和49年に城東区から分区して鶴見区ができた頃にも、まだ農地が多いのどかな区でした。
花博イメージキャラクター

平成2年には、鶴見緑地において国際花と緑の博覧会が開催され、2,300万人を超す入場者で盛会裏に終了しました。当区は、その基本理念「自然と人間の共生」を継承して「花と緑のまちづくり」「潤いのある明るく住みよいまちづくり」運動を展開しています。また、鶴見緑地は花の万博終了後順次整備が進められ、「咲くやこの花館」をはじめ、豊かな自然の中でスポーツ・レクリェーション・文化活動等幅広く利用できる市民の憩いの場として、「UNEP国際環境技術センター」「生き生き地球館」「鶴見スポーツセンター」「鶴見緑地プール」「運動場」「球技場」「自然体験観察園」等がオープンしています。また近くには「花の卸売市場」日本初の「スヌーピータウン」「ファクトリーアウトレット」の3つの施設が一体となった「鶴見はなぽーとブロッサム」も開設されています。

このように、当区は花の万博以降、目覚ましい発展をとげ、さらに中・高層住宅の建設、地下鉄鶴見緑地線の東西延伸、JR東西線開通、東野田茨田線の拡幅事業、JR放出駅周辺地区の土地区画整理事業などが進捗し、農地の広がるまちから都市基盤が整備された便利なまちへと変貌を遂げ、人口も増加傾向にあり平成 10年7月には10万人を突破しました。"国際都市大阪"の東西の発展軸上の東の区として、今後、ますますの飛躍が期待されています。

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