創造的で奨励に値する芸術文化活動を通して、大阪文化の振興に貢献し、かつ将来の大阪文化を担うべき人材(個人または団体)に対し、大阪市が昭和58年度から贈呈している「咲くやこの花賞」。
「美術」「音楽」「演劇・舞踊」「大衆芸能」「文芸その他」の5部門からなり、受賞者は毎年5名以内で、概ね40歳以下となっています。
から採用いたしました。草木が冬の長い準備期間を経て、春になるといっせいに開花するように、将来の大阪文化を担っていただく方々が、この賞をひとつのステップとして、今後、一層飛躍していただきたいという強い期待を込めて命名いたしました。
なお、命名にあたっては、作家、故 石濵恒夫さんにご意見をいただきました。
古今和歌集の仮名序に、百済より来朝した王仁(わに)の歌として記載があるこの歌は、人々に親しまれ、大阪市歌にも取り入れられています。
昭和51年、松竹新喜劇の俳優・藤山寛美さんが「大阪の文化をなんとか元気付けたい」と、初めて出演したテレビコマーシャルの出演料を大阪市に寄付し、それをもとに基金がつくられ、その後、市民の皆様からも寄付金が集まりました。
当時、大阪市には、市民表彰の文化功労部門などの芸術文化の分野に対する賞がありましたが、長年にわたるご活躍や実績が評価されるものであったため、関係者の間からも「将来の大阪文化を担っていく若手を育てる賞が必要」という声があがっていました。
そこで、昭和58年、基金を活用して創設されたのが「咲くやこの花賞」です。
受賞者は毎年12月ごろに発表されます。
贈呈式は毎年2月上旬ごろに大阪市中央公会堂で行われます。
贈呈式では、受賞者による活動紹介と、これまでの受賞者数名による公演が行われ、一般に公開されています。