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平野コース(約4.8キロメートル)

2013年4月1日

ページ番号:1796

地名の由来

平野(ひらの)

 平野の地は、古くは摂津国住吉郡杭全郷に属していたが、平安時代の初め(800年頃)、征夷大将軍坂上田村麿の子・廣野麿の領有地となり、のちに「廣野」がなまって地名の「平野」になったといわれている。(別に、かつては広く平らな原野であったことから「平野」になったとする説もある)
 江戸時代には、平野荘から平野郷と改められ、「平野野堂」「平野流」「平野市」「平野背戸口」「平野西脇」「平野泥堂」「平野馬場」の7町と「中野」「今在家」「新在家」「今林」の散郷4村から成りたっていた。1889年4月(明治22年)の市町村制施行時には東成郡平野郷町となり、1925年4月 (大正14年)の大阪市第2次市域拡張の際に大阪市住吉区平野となった。その後、1943年4月(昭和18年)住吉区の分区により大阪市東住吉区平野となり、さらに 1974年7月(昭和49年)東住吉区の分区により現在の平野区の名称となった。

ポイント

平野コース(1) 平野区役所

平野区役所/写真

昭和49年7月22日、旧東住吉区から分区。
 ・面積…15.30平方キロメートル
 ・区の花…「わたの花」
 
○スタンプ設置場所  
 1階ロビー 9時~17時30分
 ※土・日・祝日・年末年始休み
○所在地  
 平野区背戸口3-8-19
○電話番号  
 06-4302-9683

平野コース(2) 平野区民ホール

平野区民ホール/写真

昭和52年2月開設
(財)平野区コミュニティ協会 管理・運営
 コミュニティ活動の拠点として、多目的な集会施設として、多くの区民に利用されている。
 最大利用人数
 ・ホール…500人
 ・集会室…50人
 ・和室…20人
 
○スタンプ設置場所  
 事務所受付 9時30分~17時30分
 ※日・祝日の翌日・年末年始休館
○所在地  
 平野区平野南1-2-7
○電話番号  
 06-6790-4000

平野コース(3) 赤留比売命(あかるひめのみこと)神社 (三十歩神社)

赤留比売命神社/写真

 新羅より渡来の女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428年)干ばつのとき、法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったので、三十部神社がなまったものという。また一説では祭神が「三十町歩」の土地を三十歩と聞きまちがえたためとも伝え、耳の神として信仰を集めた。社殿背後の土塁と松山池には、かつての環濠集落の名残りが見られる。
 
○スタンプ設置場所  
 社務所 9時~17時
○所在地  
 平野区平野東2-11(平野公園隣)
○電話番号  
 06-6792-0128

平野コース(4) 平野の黄金水

平野の黄金水/写真

 平野はもともと低湿な土地柄でそのため井戸水の水質が悪く、そのままでは飲用に耐えなかった。しかし、この井戸は良質の水に恵まれ、多くの住民に利用された。坂上廣野麿により荘園として開かれて以来上水道が普及するまでは、付近住民にとり貴重な飲料水であった。また、平野の酒造業にも利用されるなど自由都市平野郷の発展を支える大きな役割を果たした。
 
○クイズ  
 石碑の「平野の黄金水」と書かれた文字面は、東西南北のどちらを向いていますか?
○所在地  
 平野区平野東2-11(平野公園内)

平野コース(5) 平野郷樋之尻口門

平野郷樋之尻口門/写真

 戦国時代、平野は堺とならぶ自治都市であった。郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み(一般に「環濠集落」と呼ばれる)郷への出入りは13ヶ所に設けられた木戸口を使って行われた。それぞれに門や地蔵堂があって平野十三口と呼ばれ、この樋之尻口門もその中のひとつである。少し東側の平野川に「樋之尻橋」の名が今もとどめられている。現在、13の木戸口はなくなったが、地蔵堂とその名称によってかつての位置を知ることができる。
 
○クイズ  
 この門跡の石碑は何年に建てられたでしょう?
○所在地  
 平野区平野東2-11(平野公園内)

平野コース(6) にこにこセンター(区在宅サービスセンター)

にこにこセンター/写真

 平野区在宅サービスセンターは、大阪市保健福祉計画に基き、平野区の老人福祉サービスの拠点として平成10年6月にオープンしました。愛称は公募の結果「にこにこセンター」となりました。お年寄りが、いつまでも住み慣れた地域で“にこにこ”と暮らしていけるよう、他のサービス機関とも連携しながらサービスを提供します。
(大阪市平野区社会福祉協議会が運営しています。)
 
○スタンプ設置場所  
 入口左側 9時~17時15分
 ※日・祝日・年末年始は休館日
○所在地  
 平野区平野東2-1-30
○電話番号  
 06-6795-2525

平野コース(7) 全興寺

全興寺/写真

 平野がまだ広々とした野であったころ、ここに薬師堂が建てられ、そこを中心に人が住みはじめ、平野の町がしだいに広がっていったといわれる。本尊は薬師如来で、聖徳太子の作と伝えられている。
 また、当寺には、真田幸村が樋之尻口の地蔵堂に仕掛けた地雷によって飛来したという伝説をもつ「首の地蔵尊」や湛慶作と伝えられる「太子の像」がある。境内には、「地獄堂」や「水琴窟」「駄菓子屋さん博物館」もあり、見どころが多い。
 
○スタンプ設置場所  
 寺務所受付 9時~17時
○所在地  
 平野区平野本町4-12-21
○電話番号  
 06-6791-2680

平野コース(8) 長宝寺

長宝寺/写真

 桓武天皇の妃であった坂上春子姫が、平安時代初めの大同年間(806~810年)に出家して開いた高野山真言宗の寺院であり、坂上家の氏寺でもあります。境内の銅鐘は鎌倉時代の代表的な作で重要文化財に指定されています。また、室町時代に当寺の慶心と言う尼さんが地獄へ行って戻り、その様子を記した「よみかえりの草紙」や閻魔王が自ら刻んだという閻魔像と「宝印」が寺に伝わり、毎年5月18日のご開帳の時、おでこに閻魔様の「宝印」を押してもらえば極楽へ行けると伝えられている。
 
○スタンプ設置場所  
 寺務所 9時~17時
○所在地  
 平野区平野本町3-4-23
○電話番号  
 06-6791-4416

平野コース(9) 坂上廣野麿屋敷跡

坂上廣野麿屋敷跡/写真

 平安朝の初め(800年頃)蝦夷との戦いに武功をたてた坂上田村麿の第2子廣野麿が、朝廷から杭全庄を賜わり、この地を領有した。廣野麿は、嵯峨、淳和の二帝につかえ、右兵衛佐に任じられこの地に永住し、天長5年(828年)3月9日に亡くなった。坂上家は以来、代々民部を名乗り、この地を領有し、人々から平野殿と呼ばれたが、地域の発達とともに子孫が広がり、のちに平野の七名家となった。
 
○スタンプ設置場所  
 平野連合会館(顕彰碑向い) 10時~16時
 ※日・祝日・お盆・年末・年始休み
○所在地  
 平野区平野本町3-4
○電話番号  
 06-6791-8882

平野コース(10) 大念佛寺

大念佛寺/写真

 融通念仏宗の総本山で、大治2年(1127年) 聖応大師(良忍上人)が建立したものである。当寺には国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」等があり、総本山特別行事として1・5・9月のそれぞれ16日に百万遍会(大数珠くり)、5月1日~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)はことに有名である。また、本堂は、木造の建物では大阪府下最大のものである。
 
○スタンプ設置場所  
 本堂左側受付 9時~16時
○所在地  
 平野区平野上町1-7-26
○電話番号  
 06-6791-0026

平野コース(11) 旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード

平野駅跡プロムナード/写真

 このプロムナードは、チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に設置された。
(昭和58年4月に完成)
 南海電鉄平野線は、大正3年4月に開通以来、多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通に伴い、昭和55年11月に廃止された。
 
○クイズ  
 プロムナードの中程に電車の壁画がありますが、車輌番号は何番ですか?
○所在地  
 平野区平野本町2-3

平野コース(12) 地下鉄谷町線平野駅

地下鉄谷町線平野駅/写真

出口    
【1,2番】
 大阪内環状線東側
【3番】
 自転車駐輪場 連絡口
【4番】
 流町1交差点 北東
【5番】
 流町1交差点 南東
 平野消防署
 平野区民ホール
【6番】
 エスカレータ
 流町1交差点 南西
 平野郵便局
【7番】
 流町1交差点 北西
 平野区役所・平野区保健福祉センター
 
○スタンプ設置場所  
 駅長室
○所在地  
 平野区平野西5-2
○電話番号  
 06-6701-0700

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このページの作成者・問合せ先

大阪市平野区役所 政策推進課政策推進グループ

〒547-8580 大阪市平野区背戸口3丁目8番19号(平野区役所2階)

電話:06-4302-9683

ファックス:06-4302-9880

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