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030 桑津天神社

2019年1月24日

ページ番号:33842

「日本書記」によると応神天皇(4世紀)の頃、日向の国から美女の誉高い髪長媛(かみながひめ)(注1)を召され桑津の地に住まわせたと記されています。媛はのちに仁徳天皇の妃となられました。
髪長媛は桑津天神社に奉祀される以前は、明治6年(1872年)に廃寺となった金蓮寺が髪長媛の宮跡であった関係で、境内の八幡宮に奉祀されています。
また桑津天神社には少彦名命(すくなひこなのみこと)も祀られていますが、これは髪長媛の病気祈願のため医薬の祖神である少彦名命が祀られたとの伝えによっています。

桑津天神社の正面

桑津天神社正面

(注1)髪長媛(かみながひめ)
髪長媛は現在の宮崎県都城市早水町の早水神社の早水池のほとりに生まれたという伝説があります。 早水神社の祭神は応神天皇・牛諸井(うしもろい)・髪長媛の三柱です。
髪長媛と仁徳天皇との間に大草香皇子と幡梭皇女(はたびのひめこ)が生まれました。
「日本書紀」によると、大草香皇子は妹の幡梭皇女と結婚する大泊瀬皇子(後の雄略天皇)に美麗な「押木玉縵(おしきのたまかずら)」を献上したと記されています。
しかし、大草香皇子は根使主のざん言により安康天皇に刺殺され、髪長媛と娘の幡梭皇女の最後は不明となっています。
髪長媛の名前は桑津天神社におまつりしているだけではなく、同じ名前でいろいろな地方にも見られます。
伝説的色彩がきわめて強く、古代では「髪」は人名ではなく一般に若い女性をさし、機織り(はたおり)の名手で黒髪長く背丈以上もあったのでこう呼ばれたともいわれています。

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