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夫婦橋(めおとばし)

2010年3月30日

ページ番号:914

 日本一長い商店街としてその名を全国に知られる「天神橋筋商店街」。そのほぼ中間に位置しているのが夫婦橋です。橋とはいいながら下を川が流れているわけではありません。阪神高速が頭上を東西に走り、その下を人と自転車が行き交っています。誰がこの場所に橋がかかっていたと想像できるでしょうか。
 現天神橋四丁目が大坂の歴史に登場するのは、近世初頭に出版された大坂三郷町絵図に町名が記されたことに始まります。その時の町名が「夫婦町(みょうとまち)」。明暦元年(1655)の出版です。この町名は、近くにふたつの池があったことに由来します。この池の名が「夫婦池」でした。おそらくこの池は天満堀川につながっており、大都市大坂にとって重要な運河であったことは想像に難くないところです。さらに天神橋筋の北への延長によって橋がかけられるようになったことは自明のことでしょう。夫婦池に夫婦町、そしてそこにかかった夫婦橋。なんてロマンチックな名でしょう。
 さて、この夫婦橋。今は全く橋の姿はとどめていません。当然のように以前の橋は、木橋でだったでしょう。その姿を求めて資料を当たっていると、天神橋四丁目にある「大清堂」の浪花名物「岩おこし」の包装紙にその姿を見つけることができました。明治20年創業というから、まだ木の夫婦橋がかかっていたころのものです。以後、近代化の波はこの橋をコンクリート化しました。特に天神橋六丁目に阪急電車が乗り入れ、ターミナル化(1929)したことにより格段に人をこの商店街に呼ぶこととなり、交通網の発達によってただの横断歩道へと姿を変えてしまったのです。
 しかし、そこは浪花の底力。この夫婦橋を復興してしまいました。平成12年、地元商店街の有志が集まり、歩道の両側に欄干や橋柱灯を新調し「平成の夫婦橋」にしつらえたのです。幹線道路によって分断されがちな商店街の人の波を新しい橋がつないでいるのです。まさに橋は町と町、人と人をつなぐ掛け橋なのです。その心意気を新夫婦橋にみることができます。
(大阪くらしの今昔館学芸員 明珍 健二)

 

夫婦橋

 

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