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与謝蕪村

2016年10月11日

ページ番号:83259

与謝蕪村と都島

「蕪村と都島」の表紙の写真

 「なの花や 月は東に 日は西に」
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」などの俳句で知られている与謝蕪村は江戸時代中期の1716年(享保元年、八代将軍徳川吉宗が将軍についた年)、大阪市都島区毛馬町(当時の摂津国(せっつのくに)東成郡(ごおり)毛馬村)に生まれた。生まれ月日は不明である。蕪村は生前自らの出身地についてほとんど語らなかった。例外が「馬堤は毛馬塘也則(つつみなりすなわち)余が故園也(なり)。」の言葉である。これは、1777年(安永六年)2月23日付、伏見の柳女(りゅうじょ)と賀瑞(がずい)という門人の母子に宛てた手紙の中で「春風馬堤曲(しゅんぷうばていきょく)」を自解しながら、自らの故郷のことを語った文言である。
これに続く手紙の文章は「余、幼童之時、春色清和の日には、必(かならず)友どちと此堤上にのぼりて遊び候」というものである。
まことに平和で明るい幼年時の回想である。時に蕪村62歳。
還暦を過ぎた老人の、懐旧の切なる心情というべきであろう。蕪村の死後、高弟几董(きとう)が『から檜皮(ひば)』1784年(天明四年刊)に寄せた追悼文「夜半翁終焉(しゅうえん)記」において蕪村の出身は、その草稿では「村長の家」さらに「郷民の家」と書かれていたのが、決定稿ではそれらの文字が削られて「浪速江(なにわえ)あたりに生(おい)たちて」としか述べられていない。几董(きとう)や柳女(りゅうじょ)などごく親しい人には語ったかもしれない自らの生い立ちを多くの人に知られることは望まなかったかのようである。さらに、大阪の俳人大江丸(旧国ともいう)がその著『俳諧袋(はいかいぶくろ)』のなかで「生国摂津東成郡毛馬村の産」とかいている。この著者は蕪村と親しく交際があった人物である。大川と新淀川の分岐点、ここが蕪村のふるさとである。
 蕪村は日本文化の歴史のなかでもまれにみる、多面的な才能を発揮した人物として広く知られる。俳人としては、松尾芭蕉・小林一茶とともに近世俳諧史を語るとき必ず名をあげられ、画人としては、国宝「十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)」を合作した池大雅(いけのたいが)や、同時代の円山応挙と並び称される巨匠である。この俳諧と絵画の両道を橋渡しする重要文化財「奥の細道図屏風」に代表される、俳画と呼ばれるジャンルを開拓したことも忘れてはならない業績である。
 蕪村は17、8歳の頃に毛馬を出て江戸に下り、早野巴人(はじん)に俳諧を学んだ。1742年(寛保2年)27歳の年に師宋阿(巴人)の死にあい、その後江戸を去る。宋阿門の親友砂岡雁宕(いさおかがんとう)に伴われてその郷里下総(しもうさ)の結城(ゆうき)に足を止め、(妙国寺境内に「北寿老仙をいたむ」の詩碑がある)、やはり同門の中村風篁(ふうこう)を訪ねて下館に逗留もする。
 さらに芭蕉の足跡をたどって東北、松島あたりも旅をする。
いわゆる関東、東北地方巡歴の旅の時代である。1751年(宝暦元年)、蕪村36歳の年の秋、十年近い放浪生活を切り上げて京都に上り、しばらく都に居を構える。京に上った蕪村にとって見るもの全てが興味深く、京巡りをこのうえなく楽しんだようである。
しかし同時に画家蕪村にとってこの時期は非常に重要な学習期であったと思われる。京の古社寺にはさまざまな障壁画が所有され、又、中国や日本の古典絵画が豊富に保存されている。京の各寺院ではこうした宝物を公開する機会も多く、本格的な絵画作品に触れ、作品から直に学習する機会を得た時期でもあった。

蕪村生誕の地の石碑の写真

 1754年(宝暦四年)蕪村は丹後へ赴き、同7年まで滞在する。
母親の出身地が丹後与謝地方(現 京都府与謝郡加悦(かや)町)であったためとも言われるが「夏河を 越すうれしさよ 手に草履(ぞうり)」の句とともに、このころの蕪村の絵画制作活動は彼の絵画芸術全体を考える上でも大変重要な時期に当たり、「方士求不死薬図屏風(ほうしぐふしやくずびょうぶ)」(施薬寺(せやくじ))の充実した大作を描くようになった。
 1757年(宝暦七年)42歳の9月、蕪村は丹後を去って京に帰る。45歳の頃には結婚、そして娘くのの誕生を経てしばらく京都に留まるが、1766年(明和三年)51歳の秋から四国の讃岐へと旅立ち、明和5年53歳の夏まで何度か讃岐と京を往復したりしている。現在、丸亀市の妙法寺(みょうほうじ)に蕪村画「蘇鉄図(そてつず)」屏風が所蔵されており、琴平町には「象の眼の 笑ひかけたり 山桜」の句碑がある。そして55歳の年には夜半亭二世(初代 巴人)を継ぎ、俳諧においても、絵画の世界においても大成期に入って行くのである。
 1783年(天明三年)12月25日未明、永眠。享年68歳。「しら梅に 明(あく)る夜ばかりと なりにけり」の辞世句を残し、新春の白梅を心に抱きつつ死んでいった。蕪村の墓は、芭蕉庵のある京都市左京区一乗寺の金福寺(こんぷくじ)の境内にある。
 毛馬閘門近くの淀川堤防上に、蕪村の句碑と生誕地の碑がある。句碑には有名な「春風馬堤曲」の中の『春風や 堤長うして 家遠し』の句が、蕪村の自筆を拡大して刻まれている。かつてこの句を刻んだ小さな碑が近くに建てられていたが、淀川改修工事で一時的に取り除かざるを得なくなった。淀川改修百周年記念事業の一つとして、句碑の復活が取り上げられ、地元では有志による蕪村顕彰碑保存会が結成され、建設省(当時)・大阪府・大阪市に働きかけ、この四者の協力により昭和53年2月、現在の堂々とした立派な句碑が建立されたのである。初代の句碑は昭和28年にやはり地元の有志によって設置されていたもので、今は国土交通省毛馬出張所敷地内の桜の木の下にひっそりと置かれている。生誕地の碑は昭和54年3月大阪市が建てている。

以上、蕪村のふるさと都島をご紹介しました。
(冊子「蕪村と都島」都島区役所制作より抜粋)

「蕪村と都島」のデジタルブック

「蕪村と都島」の表紙の写真

「蕪村と都島」(発行:平成11年 都島区の歴史に関する調査研究委員会・都島区商店会連盟 編集:都島区役所)をデジタルブック化しました。
パソコンやタブレット端末などで、どうぞお楽しみください。

「与謝蕪村のふるさと 都島」のスライド動画

スライド動画画像

都島区役所では、蕪村生誕280年を迎えた平成8年に、区民の方々に蕪村のことをもっと知っていただき、多くの素晴らしい俳句に親しんで頂くことを目的にラップ調ミュージック「BUSON‘96」を製作しました。
これまで、区民まつり、各種団体の催し、学校などで、地域の皆様に親しまれてきましたが、蕪村生誕300年を迎えた本年、地域の皆様のご協力を得て、蕪村にゆかりのある史跡や場所の映像を使って、スライド動画を作成しました。

「BUSON‘96」

俳句  :与謝蕪村
作詞  :関島秀樹
作曲  :関島秀樹・近藤芳弘
編曲  :近藤芳弘
歌  :関島秀樹
お囃しとコーラス :南船場社中
演奏  :パワーサウンドスクェアー
企画制作 :都島区役所
公開  :平成8年4月5日

歌詞

YO・YO・YO・YO・YO・YO・SA・BU・SO・N

菜の花や(菜の花や) 月は東に 日は西に 日は西に
春の海(春の海) ひねもすのたり のたりかな のたりかな
やぶ入りや(やぶ入りや) 浪花を出て 長柄川 長柄川 
源八を(源八を) 渡りて梅の あるじかな あるじかな

BUSON BUSON YOSABUSON BUSON BUSON YOSABUSON ハイーッ
BUSON BUSON YOSABUSON BUSON BUSON YOSABUSON
ハッ!春風馬堤曲 澱河歌 老鶯児 歳旦帖
(シュンプウバテイキョク デンガカ ロウオウジ サイタンチョウ)

花いばら(花いばら) 故郷の路に 似たるかな 似たるかな
菜の花や(菜の花や) 和泉河内の 小商い 小商い
春風や(春風や) 堤長うして 家遠し 家遠し
愁ひつつ(愁ひつつ) 岡にのぼれば 花いばら 花いばら

享保元年摂津の国は毛馬村 今の都島区毛馬町に生まれ 世は谷口のちに与謝と改めたとさ
若い頃に江戸に出て俳諧を学び芭蕉の足跡をたどって 東国にへ放浪の 旅をした
画家としてもたいそな人でそののち京都に住みついて 文人画を大成したそうな
ごっつい屏風や襖絵もいっぱいいっぱい残したが
六十歳で世をさって京都金福寺芭蕉庵のほとりに眠ってる。

五月雨や(五月雨や)大河を前に家二軒 家二軒
ふるさとに(ふるさとに)ひと夜は更ける ふとんかな ふとんかな
春の水(春の水) 山泣き国を流れけり 流れけり
渡し呼(渡し呼)草のあなたの扇かな 扇かな
新毛馬の 水門閘門から淀川堤を下っていけば そこは蕪村のふるさと ふるさと

BUSON BUSON YOSABUSON BUSON BUSON YOSABUSON ハイーッ
BUSON BUSON YOSABUSON BUSON BUSON YOSABUSON

ハッ!毛馬橋 春風橋 飛翔橋 都島橋 源八橋 銀橋 川崎橋
(けまばし はるかぜばし ひしょうばし みやこじまばし げんぱちばし ぎんばし かわさきばし)

夏河を(夏河を) 越すうれしさよ 手に草履 手に草履
一軒の(一軒の) 茶見世の柳 老いにけり 老いにけり
薮入りの(薮入りの) 寝るやひとりの 親の側 親の側
春もやや(春もやや) あなうぐひすよ むかし声 むかし声

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