喜連・瓜破コース(約5.8キロメートル)
2013年4月1日
ページ番号:1772
地名の由来
喜連(きれ)
喜連は、1798年(寛政10年)刊行の「古事記伝」に「河内の堺なり、昔は河内に属して、万葉に河内国伎人郷とある處なるを、久礼を訛って喜連と云うなり」と記され、かつては伎人郷とよばれ河内の国に属していた。のちに久禮と語られ、中世室町時代ごろから喜連とよばれるようになった。また、古き時代、呉の国から来た機織の技術者、呉織・穴織等の呉人が、この地に住みついたので、「くれ郷」となり、それがなまって「きれ」になったという説もある。
現在使われている「喜連」の文字は、地名を漢字で表す際、美しい・喜ばしい意味を持つ字を使う習慣から用いられたと言われている。
瓜破(うりわり)
大化年間(645~649年)道昭法師が当地の庵で祈念の最中、天から光明のさしたご神体が降ってきたので、瓜を割(破)ってお供えしたことから瓜破と呼ぶようになったという説と弘法大師が高野山へ登る途中、この地を通り、水を所望したところ、住民が瓜を割(破)ってさしだしたことからこの名がついたという説があるが、定かではない。
いずれにせよ、昔から瓜(西瓜)の産地であったことが、地名に由来しているといわれている。
ポイント
喜連・瓜破コース(1) 平野区役所瓜破出張所
※平成28年(2016年)3月より業務を終了しています
喜連・瓜破コース(2) 瓜破天神社
僧道昭がこの地で修行中天神の霊像が出現した。そこで瓜を割って供えたが、この伝承が瓜破という地名の起源のひとつといわれている。道昭は、当地の出身と伝えられ白雉4年(653年)遣唐使に従って入唐し、玄弉三蔵の教えを受け、帰国後諸国を遍歴して庶民に慕われたことが、続日本紀にみられる。
○スタンプ設置場所
社務所 9時~17時
○所在地
平野区瓜破5-4-19
○電話番号
06-6709-1103
喜連・瓜破コース(3) 敬正寺
大化年間(645~649年)道昭法師により創建された永楽寺の遺跡といわれ、永楽寺の本尊五智如来(五輪仏)のうち2体の石像が安置されている。右側の大きい方が大日如来で、左側が阿弥陀如来である。豊かな頬をして落ち着いた像容から、制作年代は平安後期までさかのぼるものと推定されている。大日如来には生駒山の花崗岩、阿弥陀如来は二上山の安山岩が用いられており、府の有形文化財に指定されている。
○スタンプ設置場所
寺務所 9時~17時
○所在地
平野区瓜破東5-5-10
○電話番号
06-6709-8281
喜連・瓜破コース(4) 区民わた畑
昭和61年7月、(財)平野区コミュニティ協会の設立10周年を記念し、また、平成2年に開催された、「国際花と緑の博覧会」にむけて、「区の花」を募集し、多くの意見の中から「わたの花」が選定された。これは、江戸時代、平野の代表的産業が繰綿と綿作で、綿の集散地としても栄え、明治時代には綿業の町に発展した歴史があるからでした。美しい花が咲き、実を結び、白い柔らかな綿が生まれる「わたの花」には、平野区の繁栄の願いが込められている。区民わた畑では、毎年河内木綿の在来種とされる「アルボレウム」種を栽培し、小学校等の体験学習教材として提供している。
○スタンプ設置場所
瓜破会館 事務所受付(わた畑から北へ約250m) 9時30分~16時
※日・火曜休館日
○所在地
平野区瓜破東6-1-41
○電話番号
06-6707-2032
喜連・瓜破コース(5) 瓜破遺跡
瓜破遺跡は、大和川の川床を中心とする付近一帯の弥生時代の代表的な遺跡で、前期から後期にわたる土器をはじめ、石器、木器、銅鏃などが出土している。また、中国の王莽時代(紀元8~22年)の貨泉(銅貨)が出土したことは、中国文化の影響を物語るものである。
現在は、遺跡案内板が瓜破霊園入り口に設置され、花塚山・ゴマ堂山の2基の古墳が霊園内に現存している。
○スタンプ設置場所
瓜破霊園事務所内 9時30分~16時
※月曜休み
○所在地
平野区瓜破東4-4
喜連・瓜破コース(6) 花塚山古墳
花塚山古墳は、上町台地よりひとつ東方の洪積台地端部に位置する瓜破古墳群にある。5世紀ごろ築造の古墳で、直径約25m、高さ2.5mあり、幅約5mの周濠があったと推定され、最近の測量調査では方墳であった可能性も指摘されている。発掘調査が行われていないので、内部構造はわからないが、かつてはこの付近に同じような古墳が多数存在したことが、「摂津志」「河内志」等の地誌類によってうかがわれる。現在では、市内に残る数少ない古墳のひとつである。
○スタンプ設置場所
瓜破霊園事務所内 9時30分~16時
※月曜休み
○所在地
平野区瓜破東4-4(瓜破霊園内)
喜連・瓜破コース(7) 成本天神社
成本天神社は、創建は明らかではないが、孝徳天皇の大化年中(645年~649年)天神の尊像が現れ、社殿を造営して霊像を祀ったものが天神社の起源と伝えられる。元来成本の村社であったが、明治40 年9月瓜破天神社に合祀された。その後、昭和61年本殿が再建され、同年11月3日遷宮し、成本の氏神となった。
○クイズ
境内の狛犬で口を開けているのは、参道から本殿に向かって左右どちらの狛犬?
○所在地
平野区瓜破東2-7
喜連・瓜破コース(8) 八坂神社
東喜連村の氏神で素盞鳴尊を祀り、八坂神社と称していたが、嘉永年間に忍坂大中姫命(允恭天皇の皇后)を祀る媛天神を合祀して東西神社となった。改称は、合祀により氏子が東西喜連村にまたがることになったので、東西の二字をとった。
明治42年12月、天神・東西・春日の三社は現在の楯原神社に合祀されていたが、氏子の決議にもとづき再び八坂神社とした。昭和26年7月、東喜連氏子の要望により、東西社・春日社を元の東喜連に分離移転し、同時に地域の氏子も別れることとなった。
○クイズ
境内に桜の木は何本あるでしょう。
○所在地
平野区喜連東2-1-21
喜連・瓜破コース(9) 如願寺
崇峻天皇元年(588年)聖徳太子の創建として、もと喜連寺といわれた。阿弥陀寺・弥勒寺など四方に荘厳な諸堂が建てられた大伽藍であったがその後、弘法大師により再建、如願寺と改められた。本尊聖観世音菩薩は平安時代の作で、大阪府有形文化財に指定されており、摂津国三十三所観音霊場の第三十二番札所でもある。
○スタンプ設置場所
本堂中央右側のろうそく置き場
○所在地
平野区喜連6-1-38
○電話番号
06-6709-2510
喜連・瓜破コース(10) 楯原神社
神社の歴史はきわめて古く、崇神天皇の頃初めて祀られたといわれる延喜式内の古社であり、祭神は武甕槌大神と大国主大神である。また、神武天皇が国内平定に用いられた十握の劒を祀ったと社伝にある。もと、字楯原(現在の喜連西1)にあったが、兵火にあい現在の地に移った。
○スタンプ設置場所
社務所 9時30分~17時
○所在地
平野区喜連6-1-38
○電話番号
06-6709-0232
喜連・瓜破コース(11) クレオ大阪南
<クレオ大阪南(男女共同参画センター南部館)>
大阪市は、男女が性別にとらわれず、あらゆる分野に参画し、能力を十分に発揮できる「男女共同参画社会」を実現するための拠点施設として、市内5か所に<クレオ大阪>を設立しました。クレオ大阪南は、男女共同参画を推進するために、市民のみなさん・団体・企業・教育機関・行政などと連携してさまざまな事業を展開しています。
○スタンプ設置場所
事務所内受付 9時30分~21時30分
※月・祝日の翌日・年末年始休み
○所在地
平野区喜連西6-2-33
○電話番号
06-6705-1100
喜連・瓜破コース(12) 地下鉄谷町線喜連瓜破駅
出口
【1番】
エレベータのりば
長居公園通 北側
大阪市心身障害者リハビリテーションセンター
身体障害者更生相談所
東南環境事業センター
クレオ大阪南
おとしよりすこやかセンター南部館
平野年金事務所
【2番】
長居公園通 南側
【3番】
長居公園通 北側
【4番】
長居公園通 南側
瓜破霊園
○スタンプ設置場所
駅長室
○所在地
平野区喜連2-5
○電話番号
06-6799-0200
探している情報が見つからない
このページの作成者・問合せ先
大阪市平野区役所 政策推進課政策推進グループ
〒547-8580 大阪市平野区背戸口3丁目8番19号(平野区役所2階)
電話:06-4302-9683
ファックス:06-4302-9880