坂上廣野麿屋敷跡
2024年5月30日
ページ番号:210309

平安朝の初め(800年頃)蝦夷との戦いに武功をたてた坂上田村麿の第2子廣野麿が、朝廷から杭全庄を賜わり、この地を領有した。廣野麿は、嵯峨、淳和の二帝につかえ、右兵衛佐に任じられこの地に永住し、天長5年(828年)3月9日に亡くなった。坂上家は以来、代々民部を名乗り、この地を領有し、人々から平野殿と呼ばれたが、地域の発達とともに子孫が広がり、のちに平野の七名家となった。
探している情報が見つからない

このページの作成者・問合せ先
大阪市平野区役所 政策推進課
〒547-8580 大阪市平野区背戸口3丁目8番19号(平野区役所2階)
電話:06-4302-9683
ファックス:06-4302-9880