八坂神社
2024年5月30日
ページ番号:210318

東喜連村の氏神で素盞鳴尊を祀り、八坂神社と称していたが、嘉永年間に忍坂大中姫命(允恭天皇の皇后)を祀る媛天神を合祀して東西神社となった。改称は、合祀により氏子が東西喜連村にまたがることになったので、東西の二字をとった。
明治42年12月、天神・東西・春日の三社は現在の楯原神社に合祀されていたが、氏子の決議にもとづき再び八坂神社とした。昭和26年7月、東喜連氏子の要望により、東西社・春日社を元の東喜連に分離移転し、同時に地域の氏子も別れることとなった。
明治42年12月、天神・東西・春日の三社は現在の楯原神社に合祀されていたが、氏子の決議にもとづき再び八坂神社とした。昭和26年7月、東喜連氏子の要望により、東西社・春日社を元の東喜連に分離移転し、同時に地域の氏子も別れることとなった。
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