畠山政長の墓
2024年5月30日
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畠山政長は、室町幕府管領(将軍を補佐し政務を統括する職名)で河内・紀伊・越中の守護をも兼ねていた。管領畠山持国のとき、その家督相続をめぐり持国実子義就と甥・政長との間に争いが起った(応仁の乱の一因)。政長は将軍足利義材(義稙)と共に正覚寺に本陣をおき、義就と対陣し、義就の死後河内の平定にのり出した。しかし、明応2年(1493年)義就の子義豊の逆襲にあい、あえなく敗北した。この兵火のため、壮大を誇った正覚寺の伽藍も焼失した。世にいう「正覚寺合戦」である。
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