寺社・仏閣
2012年12月28日
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港区内にはたくさんの寺社・仏閣があります。
三社神社
元禄11年11月、市岡新田の開拓者市岡与左衛門宗栄が埋立て開拓工事の安全と成功を祈り、勧請した社殿を波除4丁目5番に造営したものが起源といわれています。創祀にあたり、天照大神・豊受大神・住吉大神の3柱を祭ったものが社名となっています。当時の西大阪の発展に伴い、神殿の造営に着工し、昭和2年、弁天1丁目5番に完成しましたが、昭和20年3月、戦災により焼失しました。その後、仮社殿により祭祀を続けていましたが、区画整理により現在地に移転しました。昭和35年12月に本社殿が完成し、昭和48年6月には社務所も新築されました。
祭神は、天照大神・豊受大神・住吉大神・熱田大神・齋主大神・秋葉大神
三先天満宮
創建の時期は明らかではありませんが、池田新田の開発者である池田屋大吉が開拓工事に先立ち、この地の川上に守護神として勧請したと伝えられています。明治45年に当時の地主であった田中市蔵が私財を投じ本殿その他を修築し、祭祀を営んできました。昭和40年に、隣接の港南中学校拡張のために社殿の改修とともに移転し、現在に至っています。
祭神は菅原大神・住吉大神・稲荷大神
福崎住吉神社
福崎住吉神社は、もと北福崎新田(現福崎1丁目)にありました。天保6年この地が漁村であったころ、海の守護神として創建されたものですが、大正4年9月尻無川改修にあたり現在の地に移転しました。
祭神は天照大神・住吉大神
港住吉神社
旧官幣大社住吉神社の末社です。航海や漁労の安全を祈り、天保13年3月に住吉大社を勧請し、分霊を祭ったのが起源です。社殿は天保山の上に建てらましたが、元治元年、砲台が築かれ、船溜場の南岸に移転しました。しかしその社域も天保山運河の敷地にあたり、大正6年7月、現地に移転しました。その後戦災により焼失したため、昭和24年7月に仮社殿を復旧し、昭和36年11月に新しい社殿が完成しました。
祭神は底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后・楠玉稲荷
築港高野山釈迦院
南河内郡河南町の弘川町の塔頭(たっちゅう)・釈迦院がここに移ってきたもので、本尊は弘法大師です。創建は明治43年9月で、弘法大師入唐の船出の旧跡としてこの地が選ばれました。旧寺院は戦災により焼失しましたが、創建当時は、本堂・茶堂・歓喜天堂・納骨堂・仁王門など24,000㎡の雄大な規模で西大阪の大師信仰の中心道場でした。現在の本堂は戦後堺市から移築したものであり、敷地も、区画整理により現在地となっています。また境内には「古代の舟発掘の碑」や「浪曲塔」などの石碑が建っています。
三津神社
明和元年(1764年)に石田新田開発に際し、工事の安全と成功を祈り、勧請したものです。創建にあたり天照大神を祭り、石田皇大神宮と称しました。その後、明治40年10月に田中産土神を、大正2年10月に八幡屋住吉神社をそれぞれ合祀し、昭和7年4月に三津神社と改称しました。その後、戦災により焼失し、仮社殿に移りましたが、昭和42年に盛土工事と換地により現在に至っています。祭神は天照大神・宇迦魂大神・住吉大神・生国魂大神・大海大神
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