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1902(明治35)年 境川運河完成 

2016年2月15日

ページ番号:341907

1902(明治35)年 境川運河完成 

今の港区と西区の境界の部分には、以前、安治川と尻無川をつなぐ境川運河がありました。

1900年頃になるまで、港区がある場所は農耕地や芦の茂る湿地と沼地が果てしなく広がっており、安治川沿いを河口まで続く道だけが市中へと通じる唯一の交通路でした。

1897(明治30)年に大阪運河株式会社という会社が設立され、同社によって境川運河の開削が計画されて、1902(明治35)年に完成しました。

境川運河ができたことによって、安治川と尻無川が船で行き来ができるようになり、境橋に5本(後に7本)の橋が架けられたことで西区側との交通路が開け、港区の発展のきっかけになりましたが、1964(昭和39)年に埋め立てられ姿を消しました。

明治33年大阪市地図
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道のように見えるのはほとんどが水路の明治33年当時の港区の様子
明治33年大阪市地図 山田昌次様提供

古写真 明治時代の市岡新田
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明治時代の市岡新田の様子 大阪市天守閣蔵

境川運河の開削
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境川運河の開削(明治30年)
港区誌より

境川運河については、次のページからもご覧いただけます。

みなと物語 港区と西区の境界、謎の4車線道路~境川運河

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