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1903 (明治36)年 築港大道路(現みなと通)開通。築港大桟橋完成。大阪市電開通

2016年3月22日

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1903 (明治36)年 築港大道路(現みなと通)開通。築港大桟橋完成。大阪市電開通

築港大道路(現みなと通)開通

1903(明治36)年3月に、西区花園橋から築港埋立地まで築港大道路(現みなと通)が開通しました。当初は軍用道路として敷設され、幅約22メートル、延長5キロで、土地は沿道地主から寄付を受けました。

同年9月に大阪市電が開通してから、築港大道路沿線は一層開発が進み、大正時代には多数の道路が地主や土地会社によって作られました。

築港大桟橋完成

1903(明治36)年7月、一直線に突き出した築港大桟橋(現在の中央突堤)が完成しました。築港埋立地の先端から港口の中心に向かって直線に突き出した、全長455メートル、幅27メートルの鉄の桟橋は、大阪築港の要ともいうべきシンボル的な存在でした。

竣工直前の4月に入港した海軍艦船が全国で初めて大桟橋に横付けして、一躍世間の注目を集めました。8月に一般に開放され、9月に大阪市電が開通すると、築港大桟橋にはたくさんの人が訪れました。

しかし、完成当時の築港大桟橋の近くには、税関がなく、また、貨物を荷捌きする場所や倉庫や船渠といった関連施設や、貨物を運ぶ鉄道などがなかったため、港湾施設としてはほとんど使われませんでした。その代わりに、魚がよく釣れたことから夕涼みと魚釣りで賑わう庶民のリクリエーションの場として人気があり、「東洋一の釣魚(ちょうぎょ)台」や「2,000万円の釣魚(ちょうぎょ)台」とからかわれたりしました。

釣客でにぎわう「築港大桟橋」
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釣客でにぎわう築港大桟橋

大阪港のお話は次のページからもご覧いただけます。

みなと物語 苦難の末に誕生した大阪港 

東洋一の「釣魚台」のおはなし

大阪市電開通

1903(明治36)年9月に大阪市電初の路面電車が、花園橋から築港桟橋までの約5キロメートルの区間で開通しました。当時は単線で5両が運行し、そのうち1両は有名な二階付き車両で人気がありました。

開業はしたものの、当時の港区はまだ開発前で、途中の景色といえば、ほとんどが芦の茂る湿地と沼地といった状態でしたが、築港大桟橋に夕涼みや魚釣りに行く多くの市民が利用し、運転台に釣竿入れがつけられ、「魚釣り電車」と呼ばれたりしました。

市岡付近を走る市電
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市岡付近を走る市電 大阪城天守閣蔵

市電開通については、次のページでもご覧いただけます。

みなと物語 大阪の市電第1号はみなと通りを走った 

「始まり」と「終わりの始まり」・・・・・・港区の市電

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