港区制100周年記念式典ごあいさつ
2025年5月15日
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2025年、大阪・関西万博の年に港区は区制100周年を迎えました。記念すべきこの1年間、区民のみなさんと港区の歴史を振り返り、現在の「ええとこ」を確認し、これからの100年につなぎたいと思っています。
4月29日(火・祝)には、港区の歴史にとって大事な出発点でもある「大阪港」にある、天保山客船ターミナルで記念式典を行いました。前年度の担当チームがさまざまにアイデアを出して企画し、4月の異動もありましたが、担当と他課の連携による「チームみなと」で式典を作り上げました。

準備の際に撮った写真。海があってこその港区です!
当日は、港区在住の落語家・桂福丸さんに急遽お願いし、式典を軽やかな司会ぶりで盛り上げていただきました。

また、大阪税関・神戸税関の合同音楽隊による演奏も、お祝いの席にふさわしい華やかさがありました。特に「錨を上げて」は出航の歌であり、これから100年に漕ぎ出す港区を祝福し、応援する素敵な演奏でした。


港区出身の著名人の方にメッセージをいただくなど、多くの方のご協力があって式典が滞りなく終わりました。ご来賓のみなさまだけでなく、区民の方も先着100名でご参加いただこうと準備していたところ、140名も来られて驚きました!ありがとうございます。

式典の会場に、大阪・関西万博公式キャラクターのミャクミャクも登場し、港区の100周年を一緒にお祝いすることができました。
終了後にはこれぞ港区しかできないお祝い、天保山大観覧車に「100周年お祝いメッセージ」を特別に流していただき、み(ん)なと見上げた思い出の夜となりました。

天保山大観覧車にみなりんが登場しました

天保山渡船からも、「祝」の文字が見えました
また担当から式典の報告ページがアップされると思いますので、そちらで詳しくご紹介します。
私からは、当日の挨拶文を掲載させていただきます。港区の歴史に想いを馳せ、自分で書きました。戦後80年でもある2025年、「つたえる・つなぐ」1年にしたいと思います。


港区制100周年記念式典 区長挨拶

皆さま、本日はお忙しい中、ご来賓の皆さま、そして区民の皆さまにご臨席を賜り、共に港区制100周年をお祝いできることを、心より御礼申し上げます。
そして、式典の開催にあたりまして、天保山大観覧車のライトアップにご協力いただいた泉陽興業株式会社さま、会場提供にご協力いただいた大阪港湾局さま、急遽の司会にご対応いただいております桂福丸さま、お祝いのメッセージをくださった皆様、後ほどこの記念式典に華を添えていただく大阪税関・神戸税関の合同音楽隊のみなさまにも深く感謝を申し上げます。ありがとうございます。
大正14年、1925年に誕生した港区は、まさに「海とともに生きるまち」として歩んでまいりました。第二次世界大戦のさなかには、終戦直前の大阪大空襲により、区域の約8割が焼失し、多くの尊い命と財産が奪われるという、大阪市内でも最大級の被害を受けました。今年2025年は、終戦から80年の節目の年でもあります。
いま、世界全体を見渡せば、平穏とは言いがたい情勢が続いています。しかし、私たちの国において平和が保たれているのは、「二度と戦争はごめんだ」という強い思いを抱き、語り継いでくださった先人たちのおかげです。すでに戦争を知らない世代が大多数である今、戦後80年と港区制100周年が重なるこの年にこそ、港区の歴史をこれからの時代を担う若い世代や子どもたちに伝えていかねばならないと強く思っております。
また、港区の歴史は、繰り返される自然災害からの復興の歴史でもあります。台風や高潮など、たび重なる被害に見舞われながらも、そのたびに単なる復旧ではなく、「より災害に強い港区」として立ち上がってまいりました。
特に戦後復興期には、都市基盤の整備に合わせて区域の大部分に最大で2メートルの嵩上げを施すという、世界に類を見ない大規模な土地区画整理事業を断行しました。区民の皆様からも多くの土地を拠出いただき、港湾や物流、製造業、住宅地、道路、緑地、公園などを機能的に再配置し、まち全体を再設計したこの挑戦は、世界の都市計画史においても高く評価される事例です。
この「港地区復興土地区画整理事業」は平成4年に完了し、その偉業を次世代に伝えるため、令和5年3月には弁天町に「港区土地区画整理記念交流会館」が建設されました。区民センターや図書館、老人福祉センター、こども・子育てプラザを併設し、世代や立場を超えて学び・つながる場所として活用されています。少しでも興味を持たれた方は、ぜひ、4階図書館横に併設した、「土地区画整理記念コーナー」に足を運んでみてください。そして図書館で学びを深めていただければと幸いです。
現在、港区に広がるゆとりある街路や公園、防潮堤や水門などの防災インフラは、先人たちが「港区を安全・安心で住みよいまちに」と願い、築いてきた100年の歴史の結晶です。
昭和18年、現在の区域となった当時、港区は約26万人の人口を誇っていましたが、戦争とその直後の枕崎台風により、人口はおよそ30分の1、約8,600人にまで激減しました。そこから復興を遂げ、昭和40年には11万人まで回復しましたが、その後は減少傾向が続き、一時は8万人を割り込むまでに至りました。
しかしながら、大阪・関西万博を好機としたJR及び大阪メトロ弁天町駅のリニューアルや、大阪港駅のリニューアルのほか、この天保山客船ターミナルの再整備など、地域活性化への取り組みが功を奏し、人口は8万人を超えて微増に転じております。
この回復は、外国人住民の転入にも支えられ、「未来と世界にひらくまち・港区」という姿を実感できる国際色豊かな地域へと進化しています。そして今まさに隣接エリアでは大阪・関西万博が開催され、国内外の観光客や従事者が行き交い、これまでの港区の歴史を踏まえた新しい年への出発点に立っているのだと感じています。
私はこの記念すべき年に、港区長としてこの場に立たせていただいていることを誇らしく思うと同時に、その責任の重さを痛感しております。
本日は、港区を支えてきた先人のみなさまの粘り強い100年の歩みに思いを馳せ、そして、子育てしやすく、多世代・多文化の区民が安心して暮らせるまち、産業が活性化して働きやすいまち、そして、つながりの中で誰もが笑い合って暮らせる港区の未来を、皆さまとともに描き始める最初の日となれば幸いです。
どうか皆さま、これからも港区を愛し、支え、一緒に創りあげてください。
ともに、希望あふれる次の100年へ――この港(みなと)から出港しましょう。
本日は、誠にありがとうございました。
2025年4月29日
大阪市港区長 山口 照美
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