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西淀川区にまつわる伝記・伝説

2000年1月1日

ページ番号:995

柏里と柏の葉

神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島に向かわれるにあたり、この地を通過したとき、里人がつきたての餅を柏の葉にのせて献上したといいます。これが柏里の名の起りだと伝えられますが、一説には5世紀前半、仁徳天皇の30年9月皇后が熊野詣の帰途、かの地から持ち帰った柏の葉をここで捨てたことに因んだともいいます。

御幣島と神功皇后

むかし神功皇后が住吉神社に奉献された島の中に幣帛島(へいはくじま)と呼ばれた島があります。これは三韓から朝貢を運んできた船が、このあたりで難船の危機にあったことから、この島に姫神を祀ったと住吉神社記にあります。また一説には、神功皇后が朝鮮半島に向かわれての帰途、ここで御幣を調整し、国の安泰を祈ったとも伝えられています。これが御幣島の語源です。
姫嶋神社所蔵「東町地車の刺繍飾幕(前幕)」の写真


◎姫嶋神社所蔵「東町地車の刺繍飾幕(前幕)」
当区は、神功皇后との関わりが深かったことが伝えられていることから、神功皇后が朝鮮半島へ向かわれる折の様相を想像し、明治時代に作られた豪華な東町地車の刺繍飾幕(前幕)が姫嶋神社に所蔵されています。

佃、千軒の漁民

佃は往時田蓑島(たみのしま)と呼ばれていました。足利義詮の1364年(貞治3年)住吉詣記に「田蓑島の南に当り、野田の玉川という所あり」と記されています。また宗祇法師の名所方角抄には「田蓑島は天王寺の西戌亥の方よりの海兵なり」とあって、佃は佃千軒と呼ばれるほど、たくさんの漁民が集っていました。付近ではエブネ、シラウオ、イカナゴ、がよくとれ、特にエブナはその味が優れていて有名であったといいます。

野里の島村カニ

野里の開発は南北朝時代と伝えられています。嘉吉2年(1442年)にこの地の一部が崇禅寺に寄進されましたが、その書状には「摂州中嶋野里庄」とあります。この地には「島村蟹」の伝説があります。享禄4年(1531年)島村左馬助がこの地において戦いに敗れ、多くの家臣もまた討たれました。その時左馬助は敵2人を両脇にかかえて野里川にとびこんで死んだといいます。その怨念が残って、以来この川には武者の怒ったような顔の甲羅をした蟹が見られるようになり、人々はこの蟹を島村蟹と呼んだと摂陽群談に記されています。

大和田の鯉つかみ

摂津名所図会

佃、大和田、百島、福にかけて鯉漁は古くから「大和田の鯉つかみ」と呼ばれて有名でした。摂津名所図会にも〝何となく鯉は浮きけり春の水〟という句があって、鯉つかみののどかな風景がしのばれます。
(摂津名所図会-巻之三;東生郡,西成郡58丁から)

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