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042 常栄寺

2023年11月6日

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須牟地寺の礎石

(1) 須牟地(住道)廃寺の塔礎石
住道矢田4(矢田中より西へ230m矢田東小より南へ150m)の集落の真中にある真宗大谷派の寺院で、境内の雨受けに利用されている石が、寺から北東310mにある須牟地廃寺の塔礎石として有名です。 
(2) 矢田小学校の発祥地
常栄寺は矢田小学校の発祥地として、大阪市の小学校教育史上有名です。 明治6年(1873年)2月にこの寺の本堂を教室として開校し、前身は「河州第33番小学校」と名付けられ、後に元円生病院があった住道矢田1-6付近に、住道小学校として新築されるまで3年間続けられました。 明治政府は明治5年(1872年)に新しく小学校の教育制度を発布し、「不就学者をなくすこと、教育を受けられない不幸な人を無くすこと」としましたが、当時のこの村の就学率は43%で、これでも全国平均の32.3%よりも高かったそうです。
(3) 寺の開基等の由緒
第18代住職の久世照護氏によれば、信長と石山本願寺との合戦に際して、この地域では、松原市我堂と長居公園付近に掘割を築き、一向宗門徒の砦となり、この辺りも激戦場となったと言われています。 この寺は合戦の翌年の天正9年(1581年)に浄土真宗の寺院として開基しましたが、徳川家康の政策により、本願寺が東西2派に分裂した時(1602年)に、教如が率いる東本願寺に属しました。


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