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鉾流橋(ほこながしばし)

2010年3月30日

ページ番号:921

 北区のオフィス街。大阪市役所や中央公会堂などが立ち並ぶ中心部にその橋はかかっている。大阪市立東洋陶磁美術館と天満警察署をつないでいる橋が、「鉾流橋」である。ふだん何気なく歩いている散歩道であったり通勤道だったりするかもしれないが、この名前の由来は意外と古い。
 大阪の夏を彩るものに天神祭がある。船渡御(ふなとぎょ)には百艘ほどの船が大川を埋め尽くし、百数十万人ともいわれる見物客が繰り出す浪花を代表する夏祭りである。すれ違う船同士で大阪締めを交換し、頭上で大輪の花を咲かせる花火にみとれ、橋の上にも両岸にも見物の人であふれている。まさに都市祭礼絵巻を写しているかの如くである。そうした見物人が橋の上にあふれる。そんな橋のひとつに鉾流橋がある。
 さて、この天神祭。いつのころから行われているのだろう。大阪天満宮は、社伝によれば天暦3年(949)に創祀(そうし)されたという。そして橋の名前ともなった鉾流神事が始まったのが、2年後の天暦5年。では、鉾流神事とは、どのようなものなのだろう。この行事は、現在でも7月24日天神祭宵宮の早朝に厳かに行われている。この行事は祇園祭と同様に神童を選出し、小舟で大川へ漕ぎ出し神鉾(かみほこ)を流すというものである。つまり、社頭(しゃとう) の浜から大川に神鉾を流し、その年の神霊渡御地を決定する行事である。神鉾が流れ着いた場所を仮のお旅所(たびしょ)として渡御行列が向かったのである。しかし、江戸時代の初めにはこの行事は、お旅所の常設化にともなって廃絶したといわれる。大阪町衆の切なる要望によって昭和5年(1930)に復活し、現在へ受け継がれている。
 天満警察署の前に立つ鳥居のある場所が、神鉾を流す浜である。そこへかけられた橋の名が「鉾流橋」となった。この橋は、その年の天神祭の開始を知らしめる名であり、庶民の憧憬である祭りにちなんだ橋梁名である。そのような橋は市内どこにでもある。それが浪花である。地名、橋の名、河川の名、どんなものにも紐解く楽しさがある。
(大阪くらしの今昔館 学芸員 明珍健二)

 

鉾流橋

 

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