越中井
2025年2月17日
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大阪城南側に位置するこの地には、豊臣秀吉政権の時代に大名細川忠興の屋敷があり、当時諸大名の反乱を防ぐために、諸大名の妻子は人質として大阪城内屋敷に住まわされていた。
豊臣秀吉が没し、慶長5年(1600年)石田三成が首謀し毛利輝元を総大将とし、関ヶ原の戦いが勃発。
細川忠興は関東に遠征中で、敵方東軍である徳川家康側についた。
石田三成は敵方に諸大名がつくことを恐れ、大阪城下に住んでいる妻子を人質に取ろうとした。
細川忠興夫人である細川ガラシャ(本名:細川たま)は石田方に包囲され、逃げることかなわず夫の足手まといにならぬよう死を決意。
キリシタンであった細川ガラシャは宗教上の理由から自害することはできず、家臣に介錯させその後屋敷に火を放った、その時唯一残ったのが邸内の井戸「越中井」である。

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