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難波宮跡

2025年2月17日

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 乙巳の変後に孝徳天皇がこの地に遷都し都が開かれた。
 日本の首都として、時に副都として機能した。

 大正2年(1913年)に大阪城南側の法円坂で、奈良時代のものとみられる瓦が出土するも、当時一帯は陸軍用地であったため調査はなされなかった。

 太平洋戦争後の昭和28年(1953年)以降発掘調査が本格的に開始され、孝徳天皇による前期難波宮跡と聖武天皇による後期難波宮が明らかとなった。



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全景


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大極殿跡


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大極殿と大阪城天守


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