近松門左衛門墓
2025年2月17日
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近松門左衛門は承応2年(1653)生まれ、享保9年(1725年)没。
本名は杉森信盛といい、越前(現福井県)の生まれであり、人形浄瑠璃や歌舞伎の作者として知られる。
父である信義は福井藩に仕官していたが後に浪人したため、京に移り住み公家に仕えていたともいわれ、門左衛門も公家仕えで修めた知識や教養を生かし、公家仕え後に浄瑠璃を書くようになった。
元禄5年(1692年)に大坂の商家松屋の娘と結婚、以降歌舞伎の狂言作者となり、有名な「曽根崎心中」や「国性爺合戦」を書き上げる。
没後は現大阪市中央区谷町八丁目の法妙寺に葬られるも、谷町筋の拡張工事により法妙寺は大東市に移転し、近松門左衛門の墓だけが同地に留まった。

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