芭蕉終焉の地
2025年2月17日
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中央区を南北に走る御堂筋(国道25号)、その緑地帯にひっそりと佇む石碑がひとつある、俳人松尾芭蕉がこの地で亡くなったことを記す石碑である。
松尾芭蕉、伊賀の国阿拝郡(現三重県伊賀市)で寛永21年(1644年)生まれ、元禄7年(1694年)没。
幼名を金作、名は忠右衛門、のち宗房。
松尾家は当時苗字・帯刀を許されていたが、身分としては農民であった、若くして京都の歌人・俳人である北村季吟に師事し俳諧の道に入る。
後に住居を江戸に移した芭蕉は、職業的な俳諧師となり江戸内を転々と移り住み、貞享元年(1684年)に初めての紀行「野ざらし紀行」の旅に出る。
小さな紀行旅を数度行い、西行500回忌にあたる元禄2年(1689年)に弟子の河合曾良と共に、有名な「おくの細道」の旅に出て名所・旧跡を辿り数々の句が詠まれた。
元禄7年(1694年)、芭蕉は江戸を発ち伊賀上野へ向かう。9月頃に門人2人が不仲になり仲裁のために大阪へ向かうが逗留中に体調を崩し、南御堂門前の花屋仁左衛門の貸座敷に移り病没。
石碑は貸座敷があった場所に建てられたが、御堂筋開通により道路に取り残される形となった。

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