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五代友厚像と大阪取引所

2025年2月17日

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五代友厚像

 五代友厚、通称は才助で生まれは薩摩の鹿児島城下(現鹿児島県)。

 天保6年(1836年)生まれ、明治18年(1885年)50歳没。
 大阪市の本邸跡は大阪科学技術館となっている。

 幕末にペリーが浦賀沖に来航し天下が騒然となる、五代友厚は開国論者として活動し長崎海軍伝習所へ藩伝習生として派遣され航海術を学ぶ。

 慶応元年(1865年)に藩の命令により、薩摩藩遣英使節団の一員として欧州各地を巡歴し、ベルギーとの貿易商社設立の契約に携わり、この後の経営手腕に大きな影響を与える。
 慶応2年(1866年)に帰国し、薩摩藩の商事を手掛ける会計係に就任し、慶応4年(1868年)戊辰戦争が勃発し、西郷隆盛や大久保利通などと共に倒幕に活躍する。

 明治元年(1868年)には新政府の外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、パークス襲撃事件などの外交処理にあたり、大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致。

 また、大阪の財界人と共に大阪株式取引所(現大阪取引所)、大阪商法会議所(現大阪商工会議所)、大阪商業講習所(現大阪市立大学のち大阪公立大学に統合)、阪堺鉄道(現南海電気鉄道)など自ら興した事業や設立に関与した会社は数えきれないほどで、近代大阪の経済発展の基盤に大きな足跡を残している。

 こうした功績をたたえて、初代会頭を務めた大阪商工会議所のほか、大阪取引所の前にも像が建てられいる。
 「東の渋沢、西の五代」と並び称される。

大阪取引所

 大阪屈指のビジネス街・北浜。

 昭和10年(1935年)に建設された旧大阪証券ビル市場館はシンプルな外観でありながら、列柱が並ぶ楕円筒のエントランス部分が、北浜のランドマークとして存在感を示していた。

 しかし、ビルの老朽化が進み。立会場機能が不要となったことから建て替えを余儀なくされ、平成16年(2004年)、地上24階、塔屋1階、地下2階の近代的なガラズ張りの高層ビルに生まれ変わった。
 だがシンボルであったドームの外観は北浜の顔として継承、ドーム内側の広間と外観両袖は再生保存されている。

 平成18年(2006年)、大阪まちなみ賞奨励賞が贈られた。



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全景


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大阪取引所と五代友厚像


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大阪取引所と五代友厚像2


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碑文

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