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誓願寺と井原西鶴

2025年2月17日

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浄土宗 四弘山 誓願寺

来歴

 天正8年(1580年)、無宅天牛上人が創建、浄土宗の寺であり本尊は阿弥陀如来である、本尊阿弥陀如来像は慈覚大師作とも伝わるが詳細は不明。

 大坂の陣ですべての堂宇が焼失するも、元禄6年(1693年)に再建。

 昭和20年(1945年)の大阪大空襲で伽藍の大半を焼失し、昭和39年(1964年)に本堂を再建。

 寺内には江戸中期戯作者井原西鶴の墓所があり、大坂の学問所である「懐徳堂」運営者である中井家の墓所でもある。

 毎年4月には懐徳堂を偲ぶ「懐徳忌」が行われ法要や講演が、毎年9月には井原西鶴を偲び「西鶴忌」が行われ法要や講演が行われる。

 「井原西鶴墓」及び「中井家墓」の見学は自由、午前8時から午後5時まで。
 誓願寺の見学については、要問合せ。




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誓願寺門前


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誓願寺石碑1


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誓願寺石碑2

井原西鶴墓

 井原西鶴、寛永19年(1642年)に紀伊国中津村(現和歌山県日高郡日高川町)生まれ、本名を平山藤五と伝わるが正確な名であるかは不詳。

 15歳頃から俳諧師を志し万句合興行で有名となる。
 天和2年(1682年)頃から作家に転向し、第一作の「好色一代男」を出版し好評を得る。

 元禄6年(1693年)没、誓願寺に葬られる、誓願寺は妻方の菩提寺であったと伝わる。


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井原西鶴1


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井原西鶴墓2


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説明板

中井家墓


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中井家墓1


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中井家墓2


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中井家墓分布図

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