高津宮
2025年2月17日
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小高い丘の上に佇む高津宮、浪速の地を都と定めた仁徳天皇を主神とする神社である。
- 本座 仁徳天皇
- 左座 応神天皇 仲哀天皇 神功皇后
- 右座 履中天皇 葦姫皇后
仁徳天皇が高殿に昇られ、人家から立ち上る炊事の煙が少ないことに気づき、諸税を停止し困窮する庶民を救済された逸話は有名である。
貞観8年(866年)清和天皇の勅命により旧都であった場所を社地と定め社殿を築いたのが始まりとされる。
その後、皇室や幕府等からの寄進により造営していくが、天正11年(1583年)に豊臣秀吉が大坂城を築城するにあたり現在の地に遷座することとなった。
大正11年(1922年)に制定された大阪市歌にも仁徳天皇の徳政と都であった高津宮が出てくる。
昭和20年(1945年)の大阪大空襲により神輿庫を残しことごとく焼失、昭和36年(1961年)に再興された。
古典落語の「高津の富」、「高倉狐」、「崇徳院」などの舞台で知られる
境内の参集殿は「高津の富亭」と呼ばれ、落語や文楽などが行われており、五代目桂文枝最後の舞台が同地であった。


高津宮

高倉稲荷神社

比売古曽神社
高津宮が同地に遷座する前からあった神社
- 祭神 下照姫命

安井稲荷神社

陰陽石

神輿庫
大阪大空襲時に焼け残った唯一の建物である。
古い建物には火事除けとして、水の神様が祭られることが多く、この蔵にも火事除けの神様として竜神が祭ってある。

高台之頌碑
仁徳天皇が高き屋より国見をし詠まれたとされる歌「高き屋に のぼりて見れば煙たつ 民のかまどは賑わいけり」が冒頭に刻まれ、仁徳天皇の人となりや事績が漢文にて記されている。

五代目桂文枝之碑
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