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011 うるし堤公園

2023年11月8日

ページ番号:32780

 南港通り辺りから漆(うるし)堤公園辺りまでの今川の堤が、嘗(かつ)て漆(うるし)堤として秋の紅葉で有名で有ったことを記念して、平野区画整理後に設置された公園です。

 現在は、昭和の中ごろに植樹された櫻の名所として、春には夜桜見物のぼんぼりに席が奪い合いになる程の賑わいを見せています。

 この堤から東は土地が低く、(昭和30年ころ迄は)家も電柱などもなく、見渡す限り田んぼが続き、平野の大念仏寺辺りまで見通せました。又、西の方は家屋が少なくまばらで、西風が吹きぬけて凧揚げには絶好の場所でした。東の方に住宅が建ちはじめる昭和40年(1965年)頃までは、お正月には大勢の子どもや大人があちこちから集まってきて、一緒になって堤の上に並んで凧が小さく見えるほど思いっ切り遠く・高くあげて、競い合い、楽しんだものでした。

 春は、鶯がたどたどしい声で鳴き始め、春の訪れをいち早く告げてくれました。梅雨に入ると、昭和36年~昭和38年(1961年~1963年)頃までは、川に食用蛙がたくさん棲み、「んぐぅわ、んぐぅわ、んぐぅわ」と、その鳴き声に、話し声がかき消されるくらいでした。夏は、やんま、しおから等、子ども達はトンボ釣りに歓声を上げていました。蝉の合唱もすごかったです。枝から枝へ飛び交う蝉が、蝉獲りに集まる子供の顔にぶつかるくらいでした。

 夕暮れには、堺の仁徳陵(南南西)の方に向かって白鷺(しらさぎ)が雁行(がんこう)して、次々と帰っていくのが見られました。長閑な自然を肌で感じられる時でした。現在も、白鷺の雁行は時折見られます。
 


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