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014 うるし堤公園

2021年12月24日

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大坂町奉行・土井大炊頭利位が漆産業の育成と堤の補強を兼ねて、今川や西除川の堤に漆を植えたのが、戦中まで残っており、この名前があるが、戦時中の燃料難に盗伐されて絶滅しました。
現在は櫻の名所で春には夜桜見物のぼんぼりと枡席が奪い合いになる賑わいを見せています。
この堤から東は土地が低く、電柱なども無く、稲を刈り取った田んぼが平野まで続いていました。又、西の方は、家屋が少なく西風が吹きぬけて、凧揚げには最適の場所でした。東のほうに住宅が建ちはじめる昭和40年(1965年)頃までは、お正月には、たくさんの、子どもや大人が並んで、凧が小さく見えるほど、遠く、高くあげて、楽しんだものでした。 昭和36年~昭和38年(1961年~1963年)ごろまでは、食用蛙がたくさん棲み、梅雨の頃には、「ぐぅわ、ぐぅわ、ぐぅわ」と鳴き声に話し声がかき消されるくらいでした。トンボも、やんま、しおから、など子どもたちは、トンボつりに歓声が上がっていました。夕暮れには、白鷺が雁行して、堺の仁徳陵(南南西)の方に向かって帰っていくのが見られました。
今では、春には、鶯が来て、その声が心を和ませてくます。夏には、蝉の声に悩まされ、飛び交う蝉が、時には顔にぶつかるくらい多く、子どもが蝉獲りに、はしゃぐ風景が見られます。

 

現存する今川のウルシ(画)

うるし堤(復元地)
第二次世界大戦前、今川の堤には、一抱えもある見事な漆の並木がありましたが、戦時中の燃料難から、徐々に盗伐され、遂には根まで掘り起こされ、全く姿を止めぬまでになりました。(今六橋の欄干(木製)まで、盗難に遭い、欄干のない橋になるという、ひどい時代でした・・・)
今六橋から北の今川西側河川敷に、約20本の漆が植えられています。秋になると紅葉した「うるし堤」の昔を偲ばせる風情が残されています。
既に50年以上経ち、年数の割には大きくなっていませんが、毎年11月頃、ひとたび寒気が訪れると、漆特有の紅葉のグラデーションが楽しめます。

詳しくは 013 うるし堤 を参照

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