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015 息長川(おきなががわ)

2023年11月8日

ページ番号:32784

 万葉集の巻20-4458番に「鳰鳥(にほどり)の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ (こと)尽きめやも」という歌があります。

 詠み人は河内国(くれさと)(現平野区喜連の豪族、(うまのふひとくにひと)で聖武天皇が難波の宮に向かう途中、馬史国人の館で宴を張ったときに詠まれました。

 鳰鳥はカイツブリの古語で、カイツブリは潜るのが得意なため「息の長い」の(まくらことば)として使われています。歌の意は「息長川はたとえ絶えてしまうことがあるとしても、あなたに語りたい言葉は決して尽きることはありません」です。

 歌われている息長川は、通説では近江の天野川とされていましたが、東住吉区の郷土史家の三津井康純氏は河内を流れる西除今川という説を打ち出しました。三津井説の支持者達は、奈良時代末期から平安初期に至る度重なる大洪水で、息長川の水源となる馬池谷筋が埋まり豊かな水量を維持していた「息長川」が姿を消し、どこの川か分らなくなった。現在の今川がその流れを汲むものだと考えています。

 息長川がどの川であたるか諸説ありますが、聖武天皇が難波へ行幸(ぎょうこう)のおり。喜連の豪族ゆかりの地に関係することから平野区と東住吉区の近くの川と考えるのが順当だと思われます。従来の学説を覆(くつがえ)す新説を打ち出した三津井氏の研究と情熱を顕彰する万葉歌碑が中井神社の東鳥居近くに設置されています。

 また、源氏物語の夕顔の巻では、初めての道行きに、光源氏が夕顔に対して、何の説明もなく突然に「息長川と契り給ふよりほかのことなし」として、「末永い愛を誓って『息長川』を繰り返した」と「息長川の歌」を引用しています。

文学界の通説ではこの台詞(せりふ)は、古歌を書き写した屏風絵や歌扇に書かれ、また鳰鳥の歌も歌人に広く詠まれていたため、「息長川」と言えば「誠実な恋」を意味するものと考えられていたようです。しかし国人の歌意は恋ではなく、客人・大伴家持の挨拶歌に対する答礼歌であった(鴻巣盛廣説)とされています。



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