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019 奥村橋石碑

2021年12月24日

ページ番号:32785

杭全のロータリー(杭全交差点)から国道25号線(通称奈良街道)を西へ行き、まもなくJR大和路線の高架下をくぐり、更に20mほどいったところに橋があります。
駒川に架かる橋で、国道が広いので、橋とは思わず通り過ぎてしまいますが、桑津1丁目31番と33番のあいだに架かっています。
この橋が昔の四天王寺や舎利寺へ行く道をさえぎる今川・駒川を渡るちょっとした要衝でした。
何回か架け替えられた今の橋の四方の袂の銅板に、「奥村橋」「おくむらばし」の銘が入れられています。

「奥村本家林右衛門、隠居して道清、88歳米寿(ますかけ)の内祝いに、私財をもって石橋(渡り三間半、幅2間半、厚さ八寸八枚掛、中柱のもの)を寄付。お上は、「奇特なこと」とて特に橋名に奥村と入れることを允許(いんきょ)。嘉永6年(1853年)11月3日わたり初め式があり、正念寺正寿が法事、隠居道清が嗣子(しし)林右衛門と裃帯刀姿で渡り村人と紅白の餅一石五斗を撒いた」と古記録にあります。

奥村橋
  • 架橋年 嘉永6年(1853年)11月
  • 標柱 現在の標柱は初代の脇石を用いたので、その断面は膨らみのある不等辺四角形(もと東詰南側に立っていたが、昭和32年(1957年)6月国道の改修の為、現在の西側南詰めへ。
    昭和36年(1961年)年1月鉄枠にて補修。昭和61年(1986年)9月国道大改修に際して少し掘りあげて再度補修し、昭和62年(1987年)6月現状のようになる。)
  • 標記 正(西)面:奥村橋
  • 裏(東)面:嘉永六年癸丑十一月吉辰
  • 左側(北)面:平野郷今在家村
  • 八十八翁奥邑道清架之(その下に埋もれて)、林右衛門管之
  • 揮毫者 奥村冨三郎

(奥村林蔵氏記録より抜粋)

奥村橋合成画像

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