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018 覚林寺(かくりんじ)の井戸と堤

2023年11月8日

ページ番号:32786

真宗大谷派に属する覚林寺の西側を旧狭山西除天道川(西除川)が北上しており、その左岸と思われる場所には昭和の中頃まで堤が南北に長く残っていました。
また、地名の「湯里」にあるように、江戸期には「湯屋島村」とか「湯谷村」と呼ばれて、温泉が湧出する町でもありました。
寺の西隅に枯渇した井戸があり、これが温泉跡と言われています。
しかし、「摂津郡談(注1)」 によれば、元禄(1688年~1703年)の頃には既に枯渇し、『その旧泉を慕い井を掘らしめ湯谷井という』と述べられています。
この井戸の位置から、南々西1.5kmには「ふれあい温泉」があり、現在も温泉が沸き出ています。

覚林寺の井戸
覚林寺の井戸2

(注1)「摂津郡談」
元禄14年(1701年)に刊行された摂津国の地誌。原本は17巻17冊からなり、当時の名所旧跡、神社仏閣などが細かく書かれています。とりわけ和歌を尊重していたようで、地方の和歌名所を詠んだ歌の収録集的な体裁をとっています。

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