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017 開高健文学碑

2023年11月8日

ページ番号:32787

 開高健は昭和5年(1930年)に天王寺区平野町に生まれ、父親は小学校教員でした。

 7歳の時に北田辺に転居し、北田辺小学校を卒業、昭和18年(1943年)に旧制天王寺中学(50期生)(現・大阪府立天王寺高校)へ入学しましたが、在学中に父親が病没し苦学しました。

 第二次大戦後、旧制大阪高等学校文科(英語)に入学し、学制改革により、翌年大阪市立大学法文学部法学部に編入(大学1期生)しました。大学在学中に谷沢永一主宰の同人誌『えんぴつ』に参加、昭和27年(1952年)1月に同人仲間の牧羊子と結婚します。 羊子の紹介で壽屋(現サントリー)宣伝部に中途採用され、PR誌『洋酒天国』の編集やウイスキーのコピーライターとして有名となります。この頃に芥川賞を受賞(裸の王様)し、独立し文筆業に専念します。

 昭和39年(1964年)に朝日新聞社臨時特派員としてベトナムの最前線に出ました。反政府ゲリラの銃撃に遭ったが、総勢200名の内17名の生還者の一人でした。ベトナムでの戦争体験を描いた「ベトナム戦記」でドキュメンタリー作家としても有名になります。また、釣り師、グルメとしても知られています。日本文学大賞、川端康成賞、菊池寛賞、谷崎潤一郎賞、毎日出版文化賞、読売文学賞など受賞も多数あります。

 平成元年(1989年)に食道癌の手術を受けましたが、その後、食道腫瘍や肺炎を併発して58歳で死去し、墓所は鎌倉・円覚寺にあります。死後、開高の業績を記念して開高健ノンフィクション賞が創設されました。また、後半生の16年間を過ごした神奈川県茅ヶ崎市に開高健記念館が開設されています。

 当顕彰碑は開高健が北田辺に住んだ少年、青年の頃を記念して、有志の募金により実家があった近くの近鉄北田辺駅前に平成17年(2005年)11月5日建立されたものです。

開高健文学碑
開高健文学碑2

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