ページの先頭です
メニューの終端です。

032 桑津遺跡

2022年1月14日

ページ番号:33845

桑津小学校正門脇には、「桑津遺跡」の石碑があります。
平成4年(1992年)3月、大阪市顕彰史跡として建立されたものです。
桑津遺跡は東住吉区桑津・駒川・西今川・北田辺一帯に所在する縄文時代前期から中世にいたる複合遺跡で、立地するのは上町台地東斜面の標高3~6mのところです。
遺跡の発見は昭和4年(1929年)、工事現場から土器や石器が出たことが発端で、発掘調査がはじまりました。
昭和12年(1937年)・昭和58年(1983年)・平成になってからの工事でも、桑津小学校校庭、東住吉中学校校庭、旧国鉄官舎跡その他からいろいろなものが出土しました。
また平成3年(1991年)、廃井戸の底からわが国最古の「呪符木簡」が発見され、大きなニュースになりました。




桑津小学校前、桑津遺跡の碑

  • 縄文時代以前
    旧石器時代から縄文時代への過渡期に出現する有舌尖頭が、東住吉中学校校内調査から出土しました。また、縄文時代前期頃の石鏃が桑津4丁目で出土しています。
    このことから、桑津遺跡に人が住み始めたのは約1万年以前にさかのぼると考えられています。
  • 弥生時代
    弥生時代の遺構は、桑津3丁目から5丁目にかけての広範囲で検出されています。
    居住にかかわる柱穴・土壙・溝・井戸や、埋葬にかかわる方形周溝墓など、居住地と墓地というムラのようすがわかります。
    出土道具には農具(石包丁)、工具(蛤刃石斧・抉入片刃石斧)、漁具(蛸壺・石錘)、武器および狩猟具(石鏃・石槍)紡織具(紡錘車)などがあります。
  • 古墳時代
    5世紀後半の須恵器・土師器が広範囲で出土しています。
  • 飛鳥時代以降
    奈良時代後期の大規模な堀立柱建物が、桑津4丁目から検出しました。
    平安時代以降から中世にかけては、緑釉陶器や輸入陶磁器の出土遺物から、居住地となっていたことが推測されます。

桑津遺跡に関しては、宝暦12年(1762年)の桑津村の地籍図に「大塚」、「赤塚」、「鑵子(かんす)塚」など古墳らしき字名がみえます。
「大塚」については近年の町名変更前まで美章園近くが大塚町と呼ばれており、古墳があったことを今に伝える町名のひとつであったといえます。

探している情報が見つからない