043 神馬塚(しんめづか)
2024年11月6日
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住吉大社の神馬のお墓です。なぜ田辺にあるかについての伝説があります。
住吉大社の祭神となっている神功皇后が、朝鮮半島に攻め入った時、相手の王が持っている見事な馬を気に入りました。譲るように頼みましたが「この馬だけは譲れません」と拒否されました。
家来の野見宿禰(のみのすくね)が「策をもってとりましょう」と張り子の馬を作りました。この馬と競走させて勝てばその馬をもらうぞ」と相手の王に申し入れました。張り子の馬には神がかりのまじないがかけられていました。果たして競争させると張り子の馬が勝ちました。相手の王は「その馬と交換してくれるなら馬を譲る」ということで念願の馬を手に入れました。持ち帰った馬は住吉大社の神馬として飼育されていましたが、ある日行方不明となりました。探しましたが見当たりません。そうした最中、田辺で里人が見事な馬が居るのを見つけました。里人は「これは住吉さんのお馬と違うか」と住吉大社に届けました。
住吉大社は「うちの馬だがこの馬は田辺の土地を好んでおるようじゃ。今後この馬の飼育を田辺に任せる」ということで、以後連綿として住吉大社の神馬飼育は田辺の役目となりました。橘という家系が神馬を飼育し、毎日、朝に田辺から住吉大社に連れて行き、夕方に田辺に帰るという日課が伝説の時代から戦時中の昭和19年頃まで続いていました。
北田辺と南田辺の両村には神馬の厩舎がありました。神馬が亡くなると神馬塚に葬られました。近年、町おこしグループによって神馬が通った道を神馬木馬を引いてたどる「神馬ウオーク」が年に一度行われています。