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046 神馬塚(しんめづか)

2022年1月14日

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住吉大社は、壱岐・対馬や北九州を発祥地とする航海の神様です。
誉田別皇子(ホンダッワケノミコ:応神天皇)のご生誕にも関わり、神功皇后の軍事政策の成功から、その直系の王朝である仲哀-応神-仁徳-履中の4代は、河内に巨大な古墳を築き、道路や堤および港湾の建設を実行しました。
国勢が飛躍的な進歩を遂げたことに伴って、住吉大社も大阪(摂津国)に進出し、民間の信仰も相まって社運は隆盛を極め、奈良時代には多くの広大な社有地を保有していたようです。 
そのような次第で、神事をつかさどる神馬(白馬:アオウマ)も神功皇后の時代から、大和王朝の寄進があったようで、文献的には白河上皇の寄進が確認されています。 
その後は皇室の威信が武士(将軍)に替わり、頼朝の寄進が確認されています。
また、神馬の飼育は土師氏が神功皇后の軍政に功があった経緯から、当田辺の基礎を築いた同族の田辺氏とその子孫が相伝して、担当していました。
しかし、江戸時代の住吉信仰はむしろ民間により支えられ、神馬の寄進は当時財力が旺盛であった木炭の協同組合によって、維持されていたようです。
なお、神馬の飼育や没後の管理は伝統的に田辺郷の住人に任され、その厩舎は「性應寺」の北東隅と、「北田辺郵便局」の北隣にあったとされますが、現在その地は共に駐車場になっています。
飼育は北と南にそれぞれ3名の舎人(トネリ)が任命されていたが、男子系の一子相伝のために、次第にその後継者が減少し、明治の末期には橘忠三郎一家のみとなっていました。
神馬の遺骨(たてがみ)は山坂1-11にある「うどんやかぜ一夜本舗」の西側、JR阪和線に沿った一角に、末廣氏によって丁重に現在も祀られています。

神馬塚

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