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087 晩年の坂田三吉

2023年11月22日

ページ番号:39263

晩年の坂田三吉 


晩年の坂田(阪田)三吉

舳松(へのまつ)人権歴史館 提供

『吹けば飛ぶよな  将棋の駒に  賭けた命を  笑わば笑え』

 村田英雄の歌う「王将」で有名な坂田(阪田)三吉と言えば、 関西を代表する有名な将棋の名人です。
 豊中服部霊園にある将棋の駒形をした墓石は、勝負師坂田にあやかろうとする心無い人が削り取ったと思われる跡が残っています。
 坂田三吉が堺市に生まれ(明治3年(1870年))、大正時代は天王寺区伶人町で暮らしていたことはよく知られていますが、このあと吹田市に移り、昭和18年(1943年)に東住吉区に転居してきたことは、あまり知られていません。ここは、三女の方の住まいに近かったようです。
 坂田三吉はこの場所で、終戦(昭和20年(1945年))を迎えています。

 終戦翌年、昭和21年(1946年)当時の新聞には下記の記事が掲載されています。
〔坂田 三吉(八段)   昭和21年(1946年)7月23日午後3時、大阪市東住吉区田辺東之町3丁目23の自宅で死去。     77歳。〕

北田辺6周辺地図
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当時の地図で、場所の見当をつけてみました。

(左記 赤印のあたり)

晩年の坂田三吉が、 田辺に落とされた「模擬原子爆弾」に肝をひやしたり、晴れた日にはすぐ近くにある樹齢300年の「北田辺の大楠」あたりを杖をつきながらゆっくり散歩したりしたのではないか・・・・・と、思いをはせています。

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