区のスポット
2024年5月8日
ページ番号:24137
東淀川区のスポットをご案内します
阪急相川駅東西通り
新京阪電鉄(現阪急電鉄)の淡路~高槻間の開通(昭和3年)に伴い、新駅が設けられた。当初吹田東口駅と称した。駅設置と共に住宅開発が行われた。大阪成蹊大学の最寄り駅であり、今では学生の町の様相を示し、大へんな賑わいをみせている。
赤川鉄橋
菅原1丁目
赤川鉄橋は、吹田操車場と放出間に貨物列車を運行するために、昭和4年に建設されました。延長597メートル、幅8.5メートルで、半分を人道橋として使用していました。この人道橋部分は、大阪市がJRから無償で借り受け、仮橋(木橋)として整備したもので、散策や通勤・通学に利用されていましたが、人道橋部分は平成25年10月31日をもって閉鎖されました。
現在は、JRおおさか東線(平成31年3月16日に全線開通)として多くの人に利用されています。
※写真は、人道橋があった頃のもの
飛鳥町公園と周辺桜並木
「柴島水源地及びその周辺を花の名所にする会」の運動によって柴島水源地に桜を植樹し、800メートルにわたる桜並木道が平成元年に第一次として完成した。
毎年春には一般開放がされ、弁当持参の花見の人で賑わう。
淡路本町商店街
大正10年、淡路駅開設後、ここを中心に商店街がひらけてきたのが最初である。以来地域と共に発展をつづけ、近代的なアーケードやカラー舗装を完備し、ふれあいと憩いの町づくりを目ざしている。
東淡路商店街
昭和36(1961)年に、区内で最初にアーケードが完成。昭和50年(1975)には新アーケードが完成。昭和53年にカラー舗装と環境を整備。平成26年にリニューアルし、区内の主要商店街として、区民に親しまれています。
かぶと公園
かぶと公園は、豊新と豊里の間を走る歌島豊里線に沿って北側に位置し、周囲と西側遊び場に約1000本の緑を配置した、面積4605平方メートルの公園です。
この付近はほとんど田畑でしたが、昭和35年から区画整理が行われ、新しい近代的な市街地として整備されました。当初、区画整理2号公園として3594平方メートルの面積で配置された公園は、区画整理記念公園とするため敷地を拡張し、東側に記念像「太陽の下、みどりと、やすらぎと」と題する親子3人像と区画整理碑が配置され、昭和50年9月30日に完成式が行われました。
公園内にあるかぶと公園碑には、源平の戦いに敗れた平家の落武者平景清が、かくまってくれた伯父の大日房能忍(だいにちぼう のうにん)を過って殺害したのを悔やみ、二度と武士には戻るまいと、このあたりで冑(かぶと)を脱ぎ捨てて立ち去ったと言い伝えられていることから、「かぶと公園」と命名されたことが刻まれています。現在は、地域の方々の憩いの広場として親しまれています。
神崎川と樋門
大正14年に完成しました。さらに昭和7年より神崎川水系工事に着手、昭和18年ほぼ完成しました。この工事により川床は1.5メートル深くなり、川幅も一定し、防災に役立っています。
せせらぎの遊歩道
大桐3~5丁目にかけて、延長610メートルのせせらぎの遊歩道があります。木々が生い茂り、小川が流れています。この小川は、昔、農業用水路として使っていました。
子どもたちの水遊びや虫取りをする楽しそうな声、お父さんと楽しそうに散歩する姿、買い物の途中にベンチで一休みをしている方など、この都会のオアシスの楽しみ方はいろいろです。
また、近くにお住まいの方々は、遊歩道に沿って、色とりどりの花を育てておられ、「緑が多く、水のせせらぎが涼しげなこの環境を、大切に守っていきたいですね。」という声も聞かれました。
なにわ自転車道
昭和59年に市民レクリエーションや健康増進を目的に神崎川沿いから着工され、平成13年度に赤川鉄橋~西淀川区出来島間の延長21.6キロメートルにおよぶ、なにわ自転車道が完成しました。
なにわ自転車道周辺には、天然記念物のイタセンパラが生息するワンドや、江口の君堂、大隅神社などがあり、自然を楽しみながら東淀川区の歴史に触れることもできます。また、自転車道には標識やベンチが多数設置してあり、周辺施設や橋梁への案内や、休憩ができるように整備されています。
さわやかな春風の中、散歩・サイクリング・ジョギングをしながら自然を満喫してみてはいかがでしょうか。
はなやぎの道「こぶし通り」
大阪市制施行100周年(平成元年)を記念して、東淀川区役所前が「はなやぎの道(花や木の道)」として整備されました。通りには東淀川区の花“こぶし”が植えられ、「こぶし通り」と呼ばれています。3月下旬から4月上旬に、白い大きな花を咲かせて、道行く人々の目を楽しませています。
“こぶし”は、モクレン科の落葉高木で、山野に自生します。高さ約10メートルにもなり、春、葉に先立って花を咲かせます。実がにぎりこぶしに似ていることから、この名がつきました。材は、器具・建築に、つぼみは漢方薬、花は香水の原料などに用いられます。
昭和52年、東淀川区の花に制定されました。
阪急淡路駅
阪急淡路駅は、大正10年4月1日に北大阪電気鉄道株式会社(当時)が、十三~豊津間の営業を開始したとき開設されました。当時は、田んぼの中に駅がぽつんと立ち、1日の乗降客は300人前後でした。
そして、新京阪鉄道株式会社(当時)が、大正14年に天神橋(今の天神橋筋六丁目)~淡路間を開業し、天神橋~淡路~千里山間が本線、十三~淡路間は支線となりました。昭和3年には淡路~京都(西院)間が開通し、後に京都線が梅田に乗り入れすることになりました。淡路駅の1号線ホームは、かつて十三~淡路間の折り返しホームとして使用されていましたが、今は姿を消し、現在は2~5号線ホームとなっています。
京都本線と千里線が交わる、淡路駅の構内配線(レールやポイントの構成)は京都線の中では最も複雑な場所の一つで、現在の集中制御装置ができる前は、駅の信号所で信号士が、神業に近い手さばきでポイントを切り替えていました。
駅周辺は大きく繁栄し、活気のある街となりました。始発から終電まで約1000本の電車に、通勤、通学や買い物客など1日に約4万人の乗降客がさまざまな表情で行き交い、いつもにぎわっている駅です。
豊新けやき通り
豊新1~3丁目
豊新地区の区画整理事業により、南北に道路が完成した。緑が少ない大阪では街路樹が貴重な緑として、歩道に218本の「けやき」が植えられ、「けやきのトンネル通」として立派に成長している。秋には、黄葉一色の通りとなる。
ゆずりはの道
瑞光寺公園から高層マンションまでの、南北325mは、歩行者と車の共存できる、ゆずりあう遊歩道として、昭和62(1987)年に2路線、63年に1路線が完成した。眺めて美しく、歩いて楽しい、コミュニティ道路として区民に親しまれている。
淀川河川敷
淀川は、ワンド(※)や川べりに群生するヨシ原など変化のある自然環境に恵まれ、すばらしい景観をつくっている。河川敷には、公園が整備され、自然とふれあいながら、スポーツや遊びが楽しめる広場として、多くの人たちに親しまれている。
※ワンド(または、湾処)は、川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のこと。魚類などの水生生物に安定した棲み処を与えるとともに、様々な植生が繁殖する場ともなっている。
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