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東淀川区の名所・旧跡

2019年2月14日

ページ番号:294550

東淀川区内の名所・旧跡などをご案内します

あ~お
相川駅前学園通、飛鳥町公園と周辺桜並木、愛宕神社、淡路下新庄遊歩道、淡路本町商店街、井高野公園、一柳家の土塀と道標、稲生神社(紅梅稲荷)、江口の君堂(寂光寺)、江口橋、永春寺、圓乗寺、大隅神社・大隅公園、大隅神社御旅所、大宮(大宮神社)

か~こ
かぶと公園、かぶと道、覚明寺、覚林寺、春日神社、願照寺、願力寺、神崎川と樋門、北江口中央公園、旧亀岡街道、教安寺、教應寺、教徳寺、柴島城址、柴島浄水場、柴島神社、源光寺、光照寺、光台寺、光寶寺、光明寺、向稱寺

さ~そ
西光寺、西福寺、西寶寺、逆巻地蔵、三千樋、下新庄公園、正覚寺、正泉寺、正徳寺、正福寺、定専坊、浄福寺、信覚寺、信明寺、須賀森公園、瑞光寺・鯨橋(瑞光寺公園)、瑞松寺、菅原城北大橋、菅原天満宮、せせらぎの遊歩道、専超寺、専念寺、善教寺、善隆寺、崇禅寺とその史跡

た~と
大澤寺、知足寺、等覚寺、等正寺、徳蔵寺、豊里大橋、豊里中央公園

な~の
中島惣社、中島大水道新太郎松樋、長柄橋

は~ほ
はなやぎの道“こぶし通”、東淡路(西心坊)公園、東淡路商店街、平田の渡し跡、法正寺、法華寺、豊新けやき通

ま~も
松山神社・松山公園、萬福寺、明教寺、明浄寺、妙道寺

や~よ
ゆずりはの道、行友家の楠、淀川河川敷


あ~お

相川駅前学園通

阪急相川駅東西通り


 新京阪電鉄(現阪急電鉄)の淡路~高槻間の開通(昭和3年)に伴い、新駅が設けられた。当初吹田東口駅と称した。駅設置と共に住宅開発が行われた。私学も多く開設され、今では学生の町の様相を示し、大へんな賑わいをみせている。

飛鳥町公園と周辺桜並木

 阪急崇禅寺駅南側

 「柴島水源地及びその周辺を花の名所にする会」の運動によって柴島水源地に桜を植樹し、800メートルにわたる桜並木道が平成元年に第一次として完成した。
 毎年春には一般開放がされ、弁当持参の花見の人で賑わう。


 

愛宕神社(あたごじんじゃ)

淡路1-12

 大正8年に、落雷被害を防ぐために、京都愛宕神社より分神を、同時に天満宮も祭って、村をあげて創建された。今も、地域の子どものよき遊び場として、また盆踊りなど、憩いの場として、利用されている。

淡路本町商店街

 阪急淡路駅西側

 大正10年、淡路駅開設後、ここを中心に商店街がひらけてきたのが最初である。以来地域と共に発展をつづけ、近代的なアーケードやカラー舗装を完備し、ふれあいと憩いの町づくりを目ざしている。

井高野公園(いたかのこうえん)

井高野3-3

 運動公園として区民に親しまれている。また、樹木が繁り、憩いの場としてにぎわい、盆踊り大会も行われている。

一柳家の土塀と道標(いちりゅうけのどべいとみちしるべ)

菅原1-16-3

 一柳家の先祖は、中島大水道の開削にあたり、その実現に苦労を重ねた責任者の一人であった。現在残る土塀には当時の瓦がぬりこめられており、続く四脚門は民家には珍しく共に風情をそえる。また天保7年建立の亀岡街道と瑞光寺への道標がある。

稲生神社(いなうじんじゃ)(紅梅稲荷)

大桐3-14-55

 屋島の合戦で敗れた平家の落武者が、この地に多く潜入し農民となり、森林を伐採し開墾した。そこで老松や古杉を切った崇りが農家に不審火として発生し、疫病が蔓延した。これを鎮めるため創建したのが稲生神社であるという。

江口の君堂(えぐちのきみどう)(寂光寺:じゃっこうじ)

南江口3-13-23

 寂光寺開山、遊女「江口の君」は、平資盛(たいらのすけもり)の娘で叔母の縁で当地にいた。仁安(にんあん)2年(1167)西行法師が天王寺詣の途中、雨やどりを乞うが断わられ歌の贈答があってその奥ゆかしさに一夜を語り明かしたという。

江口橋

南江口2

 明治時代までは、渡船に頼っていたこの地に、大正14年、橋が完成し今日に至っている。
 現在、府道大阪高槻京都線の一部であり、終日、車の往来が絶えることがない程、大阪から京都間の重要な橋となっている。

永春寺(えいしゅんじ)

淡路1-14-21

 来一族の居住地跡に、慶長3年(1598)建立されたもので、境内にはその石廟と一族の使用したと伝えられる空井戸が残る。また石燈籠は、江戸時代の有名な作家上田秋成が寄進したものであると伝えられている。

圓乗寺(えんじょうじ)

大桐3-1-1

 浄土真宗本願寺派(西本願寺)、本尊 阿弥陀如来。
 創建は文明13年(1481)摂津国西成郡北大道村の圓乗(蓮如の直弟子)が布教したのが最初という。天保11年(1840)本堂再建、平成元年には、本堂大修復および山門を再建した。

大隅神社(おおすみじんじゃ)・大隅公園(おおすみこうえん)

大桐5-1-81

 この地に離宮を営んでおられた応神天皇が崩御の後、里人が神祠(※)を建立したのが起源といわれている。
 神事は、初詣・とんど・節分・春秋大祭・七五三詣・年2回の大祓等があり、公園ともども賑わう。
※神祠(しんし)…神を祭るほこら。やしろ。

大隅神社御旅所(おおすみじんじゃおたびしょ)

井高野2-7-1

 井高野御旅所は、井高野昔時会の協力により境内整備をした。平常は、参拝者の外に、木陰で憩う人等の格好の場所になっている。
 瑞光御旅所は瑞光寺境内にあり同寺より敷地の寄贈をうけた。散策の適地である。

大宮(大宮神社:おおみやじんじゃ)

大道南3-2-2


 主祭神は安閑天皇。天皇は当地付近に放牧場をおき、発展をはかられた。うっそうとした木々の繁る境内と、聖徳太子自画像を今に伝える。これは太子が四天王寺をここに創建されようとしたことによる。地名も天王寺庄を残す。

か~こ

かぶと公園

豊新4-10

 源平の合戦に敗れた平景清(たいらのかげきよ)がかくまってくれた伯父を過って殺害したのをくやみ、この付近で兜を捨てたことから、「かぶとみち」の古名が残っている。これを公園名とした。クチナシ・桜・ツツジ・キンモクセイが繁り、訪れる人が多い。

かぶと道


 大阪城の落城のころ、伊豆の三島江屋太郎兵衛は、西軍に味方して戦ったが利あらず、のがれてこの地に来て冑(かぶと)をぬいで農人となった故事から、このあたりの一筋の道を冑道とよんだと伝う。

覚明寺(かくみょうじ)

菅原6-22-8

 浄土真宗本願寺派。昭和54年、日本の産業近代化に貢献を評価、早稲田大学より事跡を出版された親族宇野が主宰の工業教育会に守山市覚明寺十八世前住職が参画、昭和9年解散直後、同会で法座を開催せる時の信徒を中心に、当地に分院を建立。
*平成8年7月31日、菅原5-5-18より現在地に移転。

覚林寺(かくりんじ)

下新庄5-21-19

 浄土真宗本願寺派。本尊 阿弥陀仏。創立は寛正年間(1460~6)、蓮如の直弟子慶清が檀家の協力を得て建立したと伝える。それ以来20世、とくに第15世超海の文書、鐘名等が残り、親鸞上人像がある。
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春日神社(かすがじんじゃ)

上新庄2-20-15

 かつて榊神社と尊称し、稲倉魂神(うがのみたまのかみ)を産土神としている。天正6年(1578)奈良春日神社の御分霊を勧請遷祀して春日神社と改称した。境内には樹木が茂り、特に本社裏の楠は樹齢400年以上である。
 本殿は貞享(じょうきょう)2年(1685)建立。

願照寺(がんしょうじ)

淡路3-4-15

 蓮如上人の直弟子、玄道の創建(寛正4年1463)。明治9年増島村にあったが火災により焼失した。翌10年高畑村に移転して本堂再建したが、それも昭和20年戦災で烏有に帰した(※)。そのとき、蓮如直筆の六字の木版も失った。刀工来氏一族の墓がある。
※烏有(うゆう)に帰す…火災等で焼けて、すっかりなくなること。

願力寺(がんりきじ)

柴島2-18-25

 香厳山と号し、真宗大谷派に属す。本尊は阿弥陀仏である。
 創建の時代は詳かでないが、延宝5年(1677)に願力寺の寺号を受け寛政年間(1789~1801)の住持の賢荘をもって、中興の祖とする。

神崎川と樋門

南江口3


 取水量の増加をはかるため、樋門の改良工事を行ない、大正14年に完成した。さらに昭和7年より神崎川水系工事に着手、昭和18年ほぼ完成した。この工事により川床は1.5メートル深くなり、川幅も一定した。そのため防災に役立っている。

北江口中央公園

北江口2-1

 井高野地域は、公営住宅が大半を占めている。その建てかえには、住民の多大なる協力があり、一部用地は公共施設に転用がはかられた。その結果生まれたのが当公園であるが性質上地形が変則で、子どもの遊場として賑わう。

旧亀岡街道


 淀川改修以前の中津川、淀川右岸を通っていた亀岡街道は、現在の通称赤川鉄橋北詰の東側で堤防を下り、北へ向っている。この近くに街道の賑わいを示す道標や古い家並が今も残り、趣をそえている。京都府亀岡市へ通ずる古道である。

教安寺(きょうあんじ)

大道南1-15-9

 真宗大谷派寺院。淀川の改修時に、当地に移転してきた。そのとき境内のイチョウの大樹も移植した。秋にはギンナンがたくさん実り、秋の法要「報恩講」にはギンナン飯を参詣者にふるまっている。

教應寺(きょうおうじ)

豊里3-13-16


 伝教大使が唐より帰国し、法上寺として創建したのが最初である。その後天和(てんな)3年(1683)真宗にかわり、現在の寺名となった。天明3年(1783)本堂を再建したが、淀川改修で現在地に移転し、その後戦災をうけるなど災害が続いた。

教徳寺(きょうとくじ)

南江口3-4-24

 浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。寛文10年(1670)創建と伝える。
 清涼山と号し、本願寺寂如法主の弟子となった教徳が創建したものである。今の堂舎は弘化2年(1845)に檀家の協力により再建したものと伝える。

柴島城址(くにじまじょうし)

柴島2-19

 武将十河一存の築城と伝う。天文18年(1549)三好長慶がこの城を拠点とした。元和(げんな)3年(1617)から6年間、智将稲葉紀通が居城として現在の柴島から南江口までの淀川べりを治めていたようで、廃城になったのはいつか不明である。

柴島浄水場(くにじまじょうすいじょう)

柴島1-3-14

 淀川の水を飲料水にするため、大正3年に建設の日本有数の浄水場である。保健衛生上から自由に出入りはできないが、事前に申込めば見学できる。浄水場周辺の景観整備も進み、阪急京都線沿いの一部では、桜の通り抜けが楽しめる。

柴島神社(くにじまじんじゃ)

柴島3-7-30

 貞永(じょうえい)元年(1232)、近郷が大洪水にあった時、「仲哀天皇の森」と呼ばれていた当高台へ人々が避難していたところ、柴の束に乗った小社が漂着し、人々も助った為、以後、社を建てたのが最初という。柴島の名にゆかりあると伝える。御神刀は府指定文化財。

源光寺(げんこうじ)

東中島1-10-7

 浄土真宗本願寺派 山号は恵日山。天正12年(1584)教西(生澤源七郎)により、現在地に創建。
 昭和20年6月7日の戦災により、建物、仏具はほとんど焼失したが、喚鐘・六字名号軸・大鑿(のみ)が残っている。
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光照寺(こうしょうじ)

南江口3-11-4

 明応4年(1495)創建と伝えられる。山号「旅栖山(りょせいざん)」の由来は、平安末期西行法師が天王寺へ参詣のとき、ここの草庵に一夜の宿をとられ「旅栖庵」と名づけたいう。その後これに因み、室町時代に入り蓮如上人により山号となった。

光台寺

菅原1-11-17

 明治初年、当地に集議所として建築され、僧教正が布教道場として活用されていた。光台寺は天正6年(1578)現在の都島区に創建されたが、昭和20年(1945)の空襲により灰燼(かいじん)に帰した(※)。その後、縁あって当所へ移転、現在に至っている。
※灰燼に帰す…すっかり燃えて跡形もなく灰になってしまうこと。

光寳寺(こうほうじ)

東淡路4-12-25

 真宗佛光寺派に属し、本尊は阿弥陀仏である。行友山と号し、徳治2年(1307)、了智の開基(※)である。宝暦の初め火災で焼失、宝暦10年(1760)本堂が再建され、現在に至っている。

※開基…寺院を設立すること。

光明寺

南江口3-10-27

 寛文2年(1662)本山(東本願寺)法主、琢如上人に帰依した宗栄が、宗祖親鸞上人の教えを世間に広めようと、聞法(もんぽう)道場である坊舎を建立したのが最初である。
 本尊 阿弥陀如来。
 
*平成2年秋改築。

向稱寺(こうしょうじ)

小松3-16-25

 享保の初め(1720ごろ)の創建。明和5年(1768)火災により焼失したが、20年後の寛政元年に再建し、現在に至る。
 かつて境内地は梅林で名高く、山号も「梅渓山」と称していたが、今日の山号は「浄光山」という。

さ~そ

西光寺(さいこうじ)

淡路4丁目27-13

 真宗本願寺派に属し、本尊は阿弥陀如来。開基は了珍と称し、文禄4年(1595)の草創で、寛永11年(1634)新たに寺号を受けた。

西福寺(さいふくじ)

大桐5-15-33


 真宗大谷派に属し、開基は順教と称す。草創の時代ははっきりしていない。文明年間中、蓮如上人の法話聴聞の道場として創建。元禄15年(1702)に寺号を本山より受けたが、享和元年(1801)に、この地が大火のとき堂舎類焼に係って、寺記ことごとく焼失した。

西寶寺(さいほうじ)

大桐3-12-15

 三縁山と称し、開基は圓秀、享禄2年(1529)證如(しょうにょ)上人の直弟となり当寺を創建した。元禄9年(1696)堂舎焼失、宝永5年(1708)再建した。本尊は阿弥陀仏で有名な渡辺康雲の作と伝えられている。

逆巻の地蔵尊(さかまきのじぞうそん)

大桐5-4

 かつて、現在の辻堂付近(大道南)の淀川の流れは激しく、船頭達には逆巻き(帆を逆に巻かないと転覆するため)の難所であった。
 犠牲者も多く、堤防上に地蔵尊を建立し祀ったところ霊験があり、以後の遭難はなくなったという。大正12年、現在地に移った。

三千樋(さんぜんひ)

南江口3丁目

 淀川には、数多くの樋門があった。淀川の改修工事に伴い、すべてこれらの樋門は取りのぞかれ用水が引けなくなった。明治30年11月、用水を引くために大道村他13か村により普通水利組合が設置され、ここに三千樋が設けられた。淀川右岸の田畑1800町歩(約18平方キロメートル)をうるおす唯一の樋門となった。

下新庄公園(しもしんじょうこうえん)

下新庄5-17

 昭和34年ごろはのどかな農耕地であったが周辺の急速な発展により、土地区画整理事業により3年後に竣工した。公園南側にコブシにかこまれた「平和と繁栄」の記念碑が建立され、道行く人の心を和ませている。

正覚寺(しょうかくじ)

東中島3-7-2

 寛文2年(1662)開基教信が真宗の道場を創建したと伝えられている。昭和20年の戦災で本尊阿弥陀如来以外全て灰燼に帰した(※)。以後壇信徒の御墾念により本堂再建を果たし、昭和56年に一筋北の現在地に移転新築した。

※灰燼(かいじん)に帰す…跡形もなく焼けてしまうこと。

正泉寺(しょうせんじ)

大道南3-10-26

 真宗大谷派寺院。宝暦年間(1750~1763)の僧、暁恵を中興の祖としている。残念ながら享保5年(1720)の火災で記録は全て焼失し詳しく判明しない。本尊は阿弥陀如来。
 境内本堂前には、樹齢300~400年といわれるイチョウの木がある。

正徳寺(しょうとくじ)

西淡路1-8-26

 西本願寺法主寂如上人の直弟子僧恵観が、延宝2年(1674)創建したと伝えられる。宝暦8年(1758)火災により焼失したが、約60年後旧に復している。しかし太平洋戦争により三たび烏有に帰した(※)が、壇信徒の協力により復興し現在に至っている。
※烏有(うゆう)に帰す…火災等で焼けて、すっかりなくなること。

正福寺(しょうふくじ)

東中島2-1-7

 浄土真宗本願寺派の寺院で、かつて武士であった中井玄智によって正保4年(1647)に創建された。最初、川口村にあったものが淀川改修のため南方町へ移転し60年余りあったが、ここも区画整理のため現在地へ移った。洋風の一見寺院らしくないたたずまいである。

定専坊(じょうせんぼう)

豊里6-14-25

 僧行基の開基と伝えられる古寺で、永徳2年(1382)楠木正成の孫正勝が当寺にのがれ来た。その縁で楠氏の墓が残る。のち蓮如上人が現寺名を名付けた。境内の釣鐘は、元は石山本願寺にあったといわれ、織田信長との合戦で早鐘に用いられたという。

浄福寺(じょうふくじ)

豊新1-3-31

 浄土真宗本願寺派の寺院で、平家建家屋を改築した、こじんまりした寺である。本尊の阿弥陀如来立像は江戸時代の作と推定されており、その蓮台の下では、餓鬼を押さえつけているという特異な約0.8mほどの像である。昭和初期に安置。

信覚寺(しんかくじ)

上新庄2-13-15

 浄土真宗本願寺派。文禄年間(1592~95)創建と考えられるが、江戸時代中期には無住に近い寺であったという。享保5年(1720)伊予藩家老の子であった月秀が、母の意に従い当寺に入って盛んにし、中興の祖とよばれている。

信明寺

東中島2丁目26-13

 真宗大谷派寺院で、創建は大正5年と比較的新しい。
 念仏興隆を願って、愛知県にある万瑞寺より分かれて当地に来た。しかし太平洋戦争では、戦災により全て焼失した。昭和23年に、いち早く復興している。

須賀森公園(すがのもりこうえん)

西淡路4丁目17

 須賀神社は、明治43年中島惣社に合祀された。その由緒ある跡地を永久に保存するため、地元民の熱意で公園に姿をかえ、憩いの場となっている。ここには樹齢約600年の大楠が大阪府天然記念物に指定されている(樹高30m、直径1.6m)。

瑞光寺・鯨(くじら)橋(瑞光寺公園)

瑞光2丁目2-2

 聖徳太子創建と伝える。寛永20年(1643)僧天然が指月寺として復興、享保14年(1729)現在の寺名になった。
 鯨橋は、潭住和尚が和歌山県太地浦で不漁をあわれみ豊漁祈願をしたところ鯨がたくさんとれたので、その骨で橋をつくり冥福を祈った。

瑞松寺(ずいしょうじ)

小松3丁目12-20

 浄土真宗本願寺派。明道和尚の開基(楠木正成の末えいといわれる)。山号の涙池山は平景清があやまって伯父を殺した血刃を洗った池からくる。寺は宝暦9年(1759)再建。
 当寺では昭和初期まで、全国的に名の知れた狸の吸出し薬を売っていた。
※狸の吸出し薬…皮膚病を治す薬。

菅原城北大橋

菅原2丁目

 菅原城北大橋は、長柄橋と豊里大橋のほぼ中間にあって、交通渋滞の緩和と本市北部との連絡橋として、平成元年6月開通した。
 特徴として、淀川の自然環境を守るため、橋脚に工夫がされ、鳥が翼を広げた形をした構造になっている。

菅原天満宮

菅原2丁目3-27

 当社は寛永年間(1624~1643)、この地が開発せられた時に勧請せられた。天保のころ (1830~1843)、時の代官が堤防崩壊防止令を出し、堤防の盛土を命じた。その名残が「砂持ち行事」である。境内には樹齢約450年の楠の大樹があり、大阪市の保存樹となっている。

せせらぎの遊歩道

大桐3~5丁目

 市内に縦横に走っていた川や農業用水路は付近の宅地化でその使命も終り、順次埋め立てられ、主に道路となっている。大桐五交差点付近から南西方向にあった用水路を水のきれいな「せせらぎの道」として復活し付近住民のオアシスとなった。

専超寺

大道南3丁目11-5

 当山は、本願寺顕如の直弟宗圓が当地に創建。承応3年(1654)現本尊を良如上人より拝受した。天保年間(1830~1843)寺小屋を開設し、明治7年豊里小学校とし開校した。
 昭和45年現本堂を再建、昭和56年鉄筋鐘楼門を建立した。

専念寺

小松3丁目5-15

  創建寛永20年(1643)。本尊阿弥陀如来は恵心僧都作。ほかに聖徳太子、伝教太師作と伝える仏像がある。
 当地は江戸時代綿作が盛んで、豪農も育ったが、そのうち屏風屋勘左衛門一家の哀話が伝わり、夫妻の像も安置されている。

善教寺

柴島1丁目4-38

 解脱山と号し、延徳2年(1490)信保の創建になる。信保は俗名を辻本忠右衛門と称し蓮如上人に帰依した。天文13年(1544)三世西善のとき、寺号を受け明治33年8月、淀川改修工事のため現在地に移転した。

善隆寺

小松5丁目4-25

 当山は、善照院日薩(善隆)上人開基で、上人の名を由来としている。
 現在の本堂は、鉄骨コンクリートの手作りで、昭和60年に完成し、堂内には千人力鬼子母神を奉安。信者により毛髪を賜り、霊験あらたかな尊神様である。

崇禅寺とその史跡

東中島5丁目27-44

 天平年間(730~748)行基の創建と伝える。最初観音堂のみであったという。嘉吉(かきつ)の乱(1441)で6代将軍足利義教が暗殺され、ここに葬ったので広大な寺域を有していた。
 他に細川ガラシャと敵討崇禅寺馬場で有名な遠城兄弟の墓や茶室と庭園がある。

た~と

大澤寺(だいたくじ)

大桐1丁目17-43

 正保(しょうほ)3年(1646)もと武士であった沢田太郎左衛門の独力による創建である。当家は、その後延宝4年(1676)付近の渡し船16ヵ所の特典を入手し繁栄した。寺域も広大で一時期2,000坪(6,600平方メートル)もあった。
 本門法華宗、本尊は日蓮上人、大曼荼羅。

知足寺(ちそくじ)

東淡路2丁目12-3(茨木市へ移転)

 安政6年(1859)創建。はじめ北区にあって「夜店の出る赤壁の妙見さん」として市民に親しまれていた。昭和20年戦災により、本尊以外は全て焼失した。一時高槻市に仮安置したが、昭和27年現在地へ移転した。桜が美しい。日蓮宗の寺。

等覚寺(とうかくじ)

大桐3丁目4-19

 延宝年間(1673~80)創立、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。
 嘉永5年(1852)、前権大納言菅原聡長(さきのごんだいなごん すがはらとしなが)から、先祖の菅原道真の笏(しゃく)をうけ、その後、山名を菅原山と称している。

等正寺(とうしょうじ)

大桐3丁目14-49

 浄土真宗大谷派に属し、宝永山と号している。永禄4年(1561)創建といわれ、元禄9年(1696)住持(※)円立のとき火災にあった。その後再建修理がくり返され現在にいたっている。本尊は阿弥陀如来。とくに鐘楼は、扇たる木の手法であり近郷には珍しい。

※住持(じゅうじ。寺の長のこと。)

徳蔵寺(とくぞうじ)

東中島1丁目5-5

 最初、恵信僧都が学僧の勉学のため草庵を建てたことにはじまると伝える。その後浄土真宗本願寺派に属し、本尊阿弥陀如来を安置する。
 楠木正成、政勝が湊川で自決後、遺骨を一時ここに納めたといわれ、その五輪塔の残石がある。

豊里大橋(とよさとおおはし)

豊里3丁目

 豊里大橋は、斜張橋の構造で昭和45(1970)年3月に開通し、大阪内環状線が淀川を越え周辺都市と結ぶ交通の原動力となった。
 そして周辺道路の機能を大幅に増強し、交通事情の緩和と淀川北部の市街化促進に大きく貢献してきた。

豊里中央公園(とよさとちゅうおうこうえん)

豊里5丁目14

 豊里地区の区画整理事業により、昭和43(1968)年5月5日に開園された。
 面積は、18,146平方メートルを有し、近隣公園として、広く区民の憩いの場として利用されている。

な~の

中島惣社(なかじまそうじゃ)

東中島4丁目9-41

 孝徳天皇が白雉(はくち)2年(651)長柄豊崎宮に遷都のころ、五穀豊饒を祈って創建したと伝える。中島郷48か村の神宮であることから惣社という。
 明治末年には、19,000坪余(6.3ha)の境内をもっており、崇禅寺馬場と共に一大森林をなしていた。

中島大水道新太郎松樋(なかじまだいすいどうしんたろうまつひ)

西淡路5丁目1

 延宝(えんぽう)6年(1678)、当地の滞留水を海に流す目的で、「百姓自晋請」として開いた用排水路である。公費補助を嘆願したが認められず、非常な苦心の末、ここから福村吐出口樋まで9.5km、幅19mの水路を、わずか50日間ほどで完成させた。

長柄橋(ながらばし)

柴島1丁目

 弘仁(こうにん)3年(812)に架けられたと伝えられる長柄橋は、時の長者・巌氏(いわうじ)が自ら人柱となり完逐したという悲しい伝えをもつ。
 その後、僅かで橋はなくなり、明治初期に木橋が架けられ、昭和55(1980)年に現在の橋となった。

は~ほ

はなやぎの道“こぶし通”

豊新2丁目

 市制施行100周年(平成元年)を記念し、区役所前がはなやぎの道(花や木の道)として整備された。大通りには、600mにわたり両側に区の花「こぶし」が植えられ、こぶし通りとなっている。春先きには、白い大きな花を咲かせて、区民を楽しませている。

東淡路(西心坊)公園

東淡路4丁目24

 当地は、文治(ぶんじ)元年(1185)創建の西心坊のあったところという。しかし元久(げんきゅう)3年(1206)ごろ、淀川の洪水により、七堂伽藍から石段まで全て流失し、あとに大きな池が残った。
 それを西心坊池といっていたが、埋めたてられ、公園として復活した。

東淡路商店街(ひがしあわじしょうてんがい)

阪急淡路駅東側

 昭和36(1961)年に、区内で最初にアーケードを完成し、昭和50年(1975)には新アーケードが完成、昭和53年にカラー舗装と環境を整備し、区内の主要商店街として、区民に親しまれている。
 昭和54年に始まった「土曜市」も東淀川名物になっている。

平田の渡し跡(へいたのわたしあと)

豊里3丁目

 延宝(えんぽう)4年(1676)ごろから開かれ、昭和45(1970)年の豊里大橋が完成するまでの間、約300年近くにわたり活躍した。明治40年(1907)に大阪府営となったがそれ以前は個人の渡守平太の経営であったという。大正8年(1919)からは道路に認定され無料となった。

法正寺(ほうしょうじ)

豊里6丁目7-18

 元亀(げんき)4年(1573)創建。浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。
 石山合戦のとき本願寺に味方し、後に顕如上人の十字名号を授かり寺宝になっている。11世住職の僧了は咸宜園(かんぎえん・広瀬淡窓の塾)に学び、詩文をよくしたという。

法華寺(ほっけじ)

柴島2丁目12-28

 天平(てんぴょう)13年(741)聖武天皇が、全国に国分寺・国分尼寺の建立を発願されたが、ここが摂津国分尼寺にあたるといわれている。その後衰退し、寛永16年(1639)柴島浄水場付近に再建されたが、その拡張により現在地に移転した。当寺の礎石が残る。

豊新けやき通(ほうしんけやきどおり)

豊新1~3丁目

 豊新地区の区画整理事業により、南北に道路が完成した。緑が少ない大阪では街路樹が貴重な緑として、歩道に218本の「けやき」が植えられ、「けやきのトンネル通」として立派に成長している。秋には、黄葉一色の通りとなる。

ま~も

松山神社・松山公園(まつやまじんじゃ・まつやまこうえん)

小松4丁目14・15

 延喜(えんぎ)元年(901)菅原道真は太宰府へ配流の途次、数千株の小松が茂る中島の景観に感動「小松の詩」を詠まれたという。菅原公没後村民は社を建立し、小松の天満宮と称した。250本の梅は市内の新名所として喧伝(※)されている。

※喧伝(けんでん)…世間に言いはやし伝えること。

萬福寺(まんぷくじ)

柴島2丁目13-35

 浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。寛正(かんしょう)4年(1463)創建。その年、蓮如上人真筆の元祖法然上人から法脈20人連坐の真影を寺宝として伝えている。太平洋戦争により、戦災をうけたが、昭和27(1952)年再建した。

明教寺(みょうきょうじ)

下新庄5丁目19-12

 浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。文明16年(1484)創建である。かつてここは中川瀬兵衛清秀(戦国時代の武将)が出城を築いたところと伝え、山号は「城地山(じょうちざん)」という。またその城は、「新城」と称したことから、現在の地名、「新庄」ともなったと伝える。

明浄寺(みょうじょうじ)

瑞光1丁目4-9

 日蓮宗の寺院。昭和6年、大阪市北区に布教所として開設した。その後昭和16年(1931)当地へ移転、昭和24年、宗教法人の寺号を受け現在に至る。
 「新庄の妙見さん」として広く知られている。

*平成8年1月改築。

妙道寺(みょうどうじ)

淡路5丁目6-21

 法華宗本門派、昭和12年創建である。初め正隆教会と称していたが、昭和21年(1937)寺号を受けた。
 第2世浄龍尼は、助産婦でもあり地域に親しまれ、後、助産婦として大阪府制定のナイチンゲール賞を授賞した。

や~よ

ゆずりはの道

小松、瑞光2・3丁目

 瑞光寺公園から高層マンションまでの、南北325mは、歩行者と車の共存できる、ゆずりあう遊歩道として、昭和62(1987)年に2路線、63年に1路線が完成した。眺めて美しく、歩いて楽しい、コミュニティ道路として区民に親しまれている。

行友家の楠(ゆきともけのくすのき)

菅原1丁目12-18

 高さ22m、幹回り約4.4m
 保存樹指定 大阪市指定番号 第6号
 指定年月 昭和43(1968)年10月1日
 人家の少ない昔は遠くから目印にもなったといわれていた。

淀川河川敷(よどがわかせんじき)


 淀川は、ワンド(※)や川べりに群生するヨシ原など変化のある自然環境に恵まれ、すばらしい景観をつくっている。河川敷には、公園が整備され、自然とふれあいながら、スポーツや遊びが楽しめる広場として、多くの人たちに親しまれている。
※ワンド(または、湾処)は、川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のこと。魚類などの水生生物に安定した棲み処を与えるとともに、様々な植生が繁殖する場ともなっている。

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