神社
2009年3月16日
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◆老松神社跡
北区西天満4-8
神功皇后が風波を避けて無事上陸したという巨松がおこりです。現在は天満宮に合祀。
◆素盞烏尊(すさのおのみこと)神社
北区大淀南3-3-25
元は牛頭(ごづ)天王社や祇園社と呼ばれていました。
◆綱敷天神社
北区神山町9-11
菅原道真が船綱を円座にして敷き梅を鑑賞したという、通称北野天神です。
◆露天神社
北区曽根崎2-5-4
名前の由来は、祭神の菅原道真が太宰府に左遷される時にここを通過し偲び泣きしたため、または梅雨のころ社前の井戸から水が湧き出たためといわれています。元禄十六年(1703年)に実際にこの神社であった心中事件を元に、近松門左衛門が創作した浄瑠璃「曾根崎心中」が一躍有名になり、主人公のお初にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになりました。
◆大阪天満宮
北区天神橋2-1-8
菅原道真を主神に猿田彦命ほかを祭る。正門は弘化2年(1845年)に建てられたもので、境内には見るべきものが多く、天満の天神さんと親しまれています。天神祭は日本三大祭の一つで、中でも船渡御は圧巻です。
◆富島神社
北区中津2-5-10
速素盞嗚命(はやすさのおのみこと)を祀っています。元は祇園牛頭天王社(ごづてんのうしゃ)、後に利島神社と呼ばれ、明治後期に春日神社、天満宮社、鷺島神社、八阪神社を合祀し、その後、社名を富島神社に改めました。
◆豊崎神社
北区豊崎6-6-4
都を飛鳥から難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)に移した孝徳天皇を祀る神社。大化の改新の詔は長柄豊碕宮で宣言されたといわれています。
◆歯神社
北区角田町2-8
淀川の氾濫を歯止めしたのが名の由来。歯痛治癒の神様として親しまれています。
◆堀川戎神社
北区西天満5-4-17
「堀川のえべっさん」として、南の今宮戎と共に親しまれている神社。6世紀の中ごろ止美連(とみのむらじ)吉雄が、蛭子神のお告げによって浪華堀江の芦辺で玉を拾い、これを神霊の代わりとして難波富島に祀ったのが始まりとされています。
◆松乃木神社
北区松ヶ枝町2-41
火除けの霊松と呼ばれた古松を祀っています。
◆八阪神社《大仁》
北区大淀中3-1-23
昭和38年の町名改正以前は、このあたりを大仁(だいに)・浦江と呼んでいましたがその大仁の地名は、日本に初めて儒学を伝えたという王仁(わに)博士の名から転化したという説があります。八阪神社の社殿復興記念碑には、「王仁公の所縁の地」と記されています。