1897(明治30)年 元大阪府知事西村捨三の指揮の下、築港工事に着手
2016年2月15日
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1897(明治30)年 元大阪府知事西村捨三の指揮の下、築港工事に着手
1868年に川口で開港した大阪港ですが、港に行くには安治川の河口からさかのぼる必要がありました。当時の安治川は川底が浅く大型船が入港できなかったため、外国からの大型船は近くの兵庫港へと移り、居留地の外国商人たちも次々と川口に見切りをつけ神戸の居留地に転居してしまったので、大阪港は貿易港としての役割を果たしていませんでした。
そのため、海の入口にある天保山に近代式の大きな港をつくることは、第6代大阪府知事を務めた西村捨三をはじめ大阪府民の長年の願いでした。大阪築港の必要性は、国も認め、たびたび計画は持ち上がるものの、工事が難しいことや莫大な資金が必要なことから、なかなか実現しませんでした。
やがて技術者や多くの人々の努力が実り、当時の大阪市予算の20数倍にあたる費用が市の議会で認められ、1897(明治30)年、ようやく大阪市により港をつくる工事がはじまることとなりました。
この築港工事の計画を立てたのは、ヨハネス・デ・レーケというオランダ人技師でした。デ・レーケは、淀川改修に力を注いだほか、築港計画を作成するにあたり日本で初めて海象、気象、土質調査を行い、将来の船舶の大型化にも十分耐えられる計画をつくりました。
築港工事に着手するにあたり築港事務所を設置し、所長には築港計画実現に尽力してきた元大阪府知事西村捨三が任命されました。起工式は、旧天保山砲台を式場に盛大に行われました。
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