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令和元年度中学生被災地訪問参加生徒の感想

2019年9月27日

ページ番号:480792

令和元年7月24日~26日で岩手県を訪問した参加生徒の感想です。

東日本大震災の被害や復興の状況を生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。

 

参加生徒の感想文

野田中学校

三年生  岡田 萌果

私は被災地を訪問し、多くのことを聞き、見て、感じて学びました。たくさんの方の貴重な体験は、心にささるものでした。特に記憶に残っているのは、民間所有の震災遺構を見て実際に建物の中に入ることができたこと、当時中学生だった方にお話を聞くことができたことです。

震災遺構は津波の恐ろしさを肌で実感しました。建物の中に入った時も同じことを思いましたし、中にあったものがぐちゃぐちゃになっていて水の力はとてつもないんだということを改めて思いました。屋上に上り、津波が実際にきたところまで登ると、波の高さが恐ろしい程にあったのだと思うと、もし私がそんな状態で生きていたら怖くて泣いていると思います。それでも建物の所有者である米沢さんは生きることを諦めず建物にしがみつき、九死に一生を得たと話してくださいました。

当時の中学生、菊池のどかさんのお話は、私達にもわかりやすく話してくださって、とても勉強になりました。初めは釜石のことについて話してくださり、「祈りのパーク」という所でたくさんの方の名前を見た時、「尊い命がこんなにも…」と、心が痛くなりました。自然災害は本当に恐ろしいと思いました。「いのちをつなぐ未来館」で菊池さんは、当時中学生がどんな避難訓練をしていたかを話してくださったのですが、その内容に驚きました。津波と同じ速さの車と走るという訓練は本当にびっくりしました。気絶した人や足をけがした人を運ぶ方法を教えていただいて、もしもの時に役に立つと思い、頭にしっかり記憶しました。

私達の為にお話をしてくださった方々は、あの日のことを忘れず、後世に伝えていくために、前を向いて頑張っているんだなぁと感じました。私も他人事とは考えずに悲しみによりそって、今回学んだことをたくさんの人に伝えたいと思いました。

 

 

三年生  管 優輝

 僕は岩手県に被災地訪問に行き、学んだことはたくさんありますが、特に大切だと思ったことが二つあります。

 一つ目は、地域の人たちとの交流やコミュニケーションを深めるということです。僕が民泊でお世話になった松野さん夫婦のお話では、地域の人たちと助け合い避難生活を送ったそうです。大槌町でのワークショップ「クロスロード」の神谷未生さんのお話しでは、建物などのものは津波で流されてしまったけど、人と人とのつながりなど形のないものは残っているとおっしゃっていました。僕はこのお話を聞いて地域の人たちとの交流やコミュニケーションを深めることはとても大切だと思いました。

 二つ目は災害はいつも想定内でくるとは思ってはいけないということです。このことはお話を聞いたほぼほぼの方がおっしゃっていました。「こんなにくるとは思わなかった。」津波にのみこまれた人たちはさすがにそんなに来ないだろうと思ってしまったために逃げ遅れ、亡くなってしまったと思います。僕はこの話を聞くまで想定内だから大丈夫と思っていましたが、話を聞いて安心できなくなりました。常にいつも想定外のことがおこると思っておくことが、大切だと思いました。

 他にもたくさんの大切なことを今回の被災地訪問で学べてとても貴重な体験ができました。この学んだことを学校のみんなや地域の人たちにわかりやすく伝えていきたいと思います。

 

 

二年生  森内 勇登

 僕は被災地訪問に行って、衝撃を受けました。このままの福島区の防災意識では、到底津波から逃げることができないと思います。岩手県の被災地の人々はずっと、「地震がきたら津波が来る」ということを教えてくださいました。しかし、平成30年6月の大阪北部地震の時は、福島区で震度5弱を観測するほどの大きな揺れだったにもかかわらず、誰一人津波が来ると思わなかった。これが津波への意識の低さの表れになっていると思います。二日目、三日目と日がたっていくにつれ、色々な人から様々なお話を聞くたびに、確実に被害にあってしまうのではないかという怖さと、全員が防災意識を持って避難しなくてはならないという気持ちが大きくなってきました。だから、僕は防災訓練の方法や避難の時に大事な、鉄筋コンクリートのなるべく高い場所に逃げるということを重点的に聞きました。なので、岩手でしたこと聞いたことを話すだけでは、誰もあまり聞いてくれないと思います。だから、避難訓練の方法や正しい避難の仕方を発表したいと思います。今度は僕たちが東日本大震災の教訓を伝えるつもりで発表し、この防災の輪が広がればいいなと思います。僕が今回、岩手の方々に教えてもらったことで印象に残っているのは、「周りの人の顔をうかがわないで、危険だと感じたらすぐに率先避難」ということです。人間はどうしても、危険だと分かっていても、逃げなければならないと分かっていても正常性のバイアス(※)がはたらいてしまうものです。だからこの言葉が僕にとって一番心に響いたことでもあり、どうすれば正常性のバイアスを乗り越えて率先避難できるかということを中心的に考えなければならないと思いました。今回の被災地訪問で多くのお話をしてくださった方にお礼は伝えにくいけれど、福島区が地震、津波の被害をなるべく少なくすることが、今回の最大のお礼になると思うので、残っている使命を精一杯果たしたいと思います。

 

※心理学の用語。人間が予期しない事態に対峙したとき、「ありえない」という先入観や偏見(バイアス)が働き、物事を正常の範囲だと自動的に認識する心の働き(メカニズム)を指します。災害時や緊急時に「自分は大丈夫」と思い込んでしまう、危険な脳のはたらきの事。

下福島中学校

三年生  田村 心路

 「奇跡と悲劇の街」

 蒸し暑さが続く大阪を飛び出し、令和元年夏、僕は岩手へと旅立ちました。見るもの、聞くもの、食べるものまで全てが貴重な体験となりました。学んだことはたくさんありますが、大きく分けると2種類になります。

 一つは、岩手県各地で起きた「奇跡」を見聞きしたということ。ある人は足下まで迫った津波の来襲に命からがら助かり、またある人は当時中学生でありながら自分の命はもちろんのこと町の他の人の命までも助けた。お話をしてくださった方々は皆当時の様子を僕達にもわかるように教えてくださいました。特に僕が感じたのは、岩手の皆さんの「暖かさ」でした。辛いことも大変多いのに、何一つ隠さず、話してくださり、また皆さん前向きで立ちはだかった困難に対して協力して立ち向かう様子も見られ、心から感銘をうけました。

もう一つ学んだことは、「悲劇」についてです。「奇跡があれば、それよりもっと多い数の悲劇もあるんだ。」と語ってくださった方もいました。助けられる命が目の前にあるというのに、一歩届かない悲しみや自然の冷酷さを知り、胸の痛くなるような思いをするとともに僕達の町では、そのようなことが起こらないように呼びかけていこうという考えが生まれました。「美談ばかりが語られているけれど、そうじゃないんだ。悲しい現実を受け止めることもまた大切なんだよ。」岩手の方のこの言葉を頭に入れて生きていきたいと思いました。

この三日間、たくさんの方々に伝えていただいたものを、次は僕達が伝える役を担っていき、東日本大震災で被災された方、命を落とされた方の犠牲が、大阪の、福島区の皆さんに防災意識を高めるためのものになることを願いつつ、深く追悼したいと思います。

この度はこのような機会を用意してくださった福島区役所の皆さん、岩手県の方々にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。そして、報告会でもよろしくお願い致します。

 

 

三年生  高梨 源大

 この被災地訪問に行くまでの私は、「津波なんて少し高いところに避難物資をもって逃げれば全く危険性のないたいしたことのないものだ。」と思っていました。ですがこの被災地訪問で考えが百八十度、とまではいきませんが、それに近いくらい変えさせられました。その中でもこれから書く二つは、特に皆に伝えていきたい、いくべきことです。

 一つ目は、津波は想定外をいくらでも引き起こしてくることです。例えば陸前高田市高田町にある市民会館では、予想される津波の高さは最大でも1m未満でした。しかし実際は三階建ての建物を津波はまるごと飲み込んでいきました。犠牲者も百人以上になります。このような事例が私達の訪問先でも沢山ありました。

 今私達が住んでいる場所も津波の高さ予想こそ高くないものの、実際の津波は予想のはるか上の高さにもやってくる可能性もあるかもしれません。だからこそ私たちは「想定に囚われるな」と町民や区民に訴えていかなければならないのです。

そして津波の脅威は何も津波が来たときだけではありません。津波が引いたあとも津波は私達に傷をつけてきます。それは精神面の傷です。津波による死を逃れた人でも津波によって押し流された町を見たり、大切な人を失ったということを聞いたりして、心に深い傷がつけられると思います。また、避難所生活によるしんどさも心に苦痛を与えていくでしょう。

精神面だけではありません。地震が起きたのは三月の東北です。夜になるととても寒くなります。それが原因で凍死をした人もかなりの数だったそうです。

これらのことに関しても、日頃から自分たちで意識をして、もしものために備えるしかありません。行政を頼るのではなく「自助」、そして可能ならば「共助」を行うことが被害を最小限にとどめるための鍵となるのです。

 

 

二年生  曽我部 颯斗

 今回の岩手への被災地訪問では貴重なお話を多くの人たちから聞くことができた訳だが、ほぼ全ての人が言っていたことが二つある。

 一つは、日頃から震災、津波は起こるというのを意識することだった。これは簡単なように聞こえるが、とても難しいことだ。少なくとも私の周りの人間では、誰もこれができている人間を知らない。しかしこれは仕方のないことである。人間は可視化できないものは認識できないからだ。ではこれを可視化するにはどうすればよいのか。私が考えたのは「奇跡」とまで呼ばれた避難行動を成功させた釜石東中学校で行われていたような避難訓練を大阪でも行うことだ。この中学校では避難訓練はいつも突然に行われていたそうだ。地震は通知など何もなしにある日全てを奪ってしまう。その恐怖を、大人子ども問わずに徹底して教育せねば、南海トラフ地震での被害は甚大なものになるだろうと感じた。

 二つ目は、地域のことについて知ることだ。自分が住む場所の問題を炙り出し、迅速な危険のない避難を可能にすることである。避難場所、備蓄の確認などを定期的にしておくことだ。しかし、地域を知ることには地理を知ることともう一つある。自分の周りに住んでいる人たちがどんな状態にある人なのかを知ることが重要なのだ。発展した現代社会であるが、その反面、周りの人と協力するという考えが薄れてしまっている。「それではいけない。自分の命も守れないんだ。」と、語り手の方々は口を揃えた。挨拶だけでも良いから、地域の人に会ったら声を掛けてみたり、地域行事にも毎回顔を出して、この人は自分の身近にいる人だと感じてもらい、信頼関係を築いておくことが大切なのである。

 岩手は美しい場所であった。しかしあの日それは跡形もなく破壊された。その事実を知り、記憶を、経験を形骸化させることなく次に生かす。我々が行うべきは、それである。

八阪中学校

三年生  坂本 吉士

 今回三日間に及ぶ被災地訪問で僕が花巻空港に着き、バスで移動しながら街並みを見て最初に思ったことは「めちゃくちゃきれいやん。」です。陸前高田市内はとても大きなショッピングモールがありました。そこにはとても大きな駐車場があり、またその近くには喫茶店があったり商業施設がたくさんありました。僕はたった八年前に二万人以上の尊い命をうばっていき、総額16兆円以上もの被害をうみだした地震や津波が襲ってきた地とはとても思えませんでした。しかし、米沢商会の米沢祐一さんに被災した直後の陸前高田の写真を見せてもらった時、驚愕しました。木造の建物はほとんど津波によって流され辺り一面ガレキだらけ。残っていたのは鉄筋コンクリート造りの建物数軒だけでした。この状態から復興させる。僕だったら絶望してしまうと感じました。だから、岩手の方々の復興する力は尊敬すべき本当にすごいものだと思いました。

 一日目、2日目では民泊の宿泊先の松野さんから震災時の避難所生活についてお話をお聞きしました。当時、松野さんは町内会の会長で、避難所でみんなをまとめていたそうです。そして避難所のみんなで役割分担をし、協力してたくさんの食料を集めてあまり不自由なく過ごせたそうです。僕の住んでいる地域で震災が起きた時、ここまで協力して過ごすことができるでしょうか。僕はできないと思います。大阪は都会でおそらく大部分が人と人との付き合いが浅いと思います。付き合いを深めるためにはどうしたら良いのでしょうか。それは普段から積極的に近所の人たちと話したり、地域の行事に参加することだと思います。

 今、インターネットの普及が進んでいて僕たち若者は地域の人と話す機会が減っていると思います。僕たちが見るべきは携帯ではなく、地域との繋がりだと思います。

 

 

三年生  一木 さくら

 私がこの被災地訪問で特に心に残ったのは、菊池のどかさんによるフィールドワークです。

 フィールドワークでは、有名な話である「釜石の奇跡」などを中心に被災時の話を聞くことができました。目に涙を浮かべるほどのショッキングだった震災当時をふり返り、親身になって語ってくださいました。震災前から徹底的に行われていたという小学校との合同避難訓練や避難したことを周りに伝える目印の紙を作成し、地域の方々に配付して交流を図る取り組みをしていたことが発災時に役立ったときき、自分達が住む福島区でもこの取り組みを生かしていけば少しでも被害を抑えられるのではないかと感じました。福島区は淀川が近かったり、海抜の低い場所が多いため、災害が起きたらすぐに避難しなくてはいけません。菊池さんのお話のように、普段から近所の人達と交流を図ったり、避難経路を確認するなどして、防災意識を高めていきたいと思いました。実際菊池さんが体験された出来事は、「奇跡」という言葉が使われており、被災していない殆どの人のイメージは「皆生き残ってよかった」というふうに、喜ばしいこととして捉えていますが、実際には九十九パーセント生き残ったけれど、両親や親しい人を亡くした人達ばかりでとても苦しい思いをしたとおっしゃっていて胸が痛くなりました。見慣れた光景も全て消えてしまった人々の心の傷は、震災から八年経った今も深く残っているということを強く感じました。

 三日間という短い間でしたが、やはり実際に訪れて体験しなければ分からないことがたくさんあり、とても良い経験になりました。震災は思い出すだけで辛く悲しいものですが、自然現象はいつ起こるか分からないので、私たちがこの出来事を風化させずに語り継いでいき、福島区に住む皆さんの防災意識が少しでも高まるきっかけになればいいと思いました。

 

 

三年生  山森 晏

 私は今回の被災地訪問のおかげで、今までの意識を変えることができました。もちろん今までも、地震や津波の恐怖は分かっていたつもりだったし、備えようとも思っていたけれどなかなか実行できずにいました。でも、今回の訪問で災害の恐ろしさを詳しく知り、何をどう備えたらいいかなどを学ぶことが出来ました。

 特に私の印象に残っている体験は三つあります。

 まず一つ目は、米沢ビルです。家族が逃げた避難場所のはずの市民会館が水没してしまったり、自分は津波からは逃げれたけれどそこから数日寒さなどに耐えたり、すごく大変で辛い経験をされたんだと思いました。そんな中、震災遺構としてこのビルを残すのはすごく勇気のいる決断だったのではないかなと思いました。でもそれによって、私たちは米沢さんから直接話を聞き、煙突に登って実際にそこからの景色を見るという貴重な体験が出来たので、私たちの役目は、その実際に見て、聞いたこと、ものを伝えていくことだと思います。

 二つ目は民泊体験です。他のところで大変だったことなど、マイナス面のお話が多かった印象ですが、それに対し、私たちがお邪魔させて頂いたお宅では、地震によって起きた良かったことを話して頂きました。それを聞いて、そんな考え方もあるのかと思いました。

 三つ目は菊池のどかさんからのお話です。「釜石の奇跡」と呼ばれる体験は、奇跡ではなく訓練の成果であり実績なんだなとすごく思わされました。そして、大勢の人の命を救ったのに、助けられなかった命と正面から向き合い、「私たちは奇跡と言われてはいけない人間なんだ」と涙ながらにお話されていたのがとても胸に刺さりました。

 今回の訪問から「伝える」という作業を色々な人が繰り返すことで万が一の時に大勢の命が助かるというのを学ぶことが出来ました。

 ※ 感想文については、軽微な言葉の補足や誤字などの修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や感想をお伝えするため、原文をほぼそのまま掲載しています。なお、文中の表現は生徒たちが得た知識の範囲での感想となっておりますので、あらかじめご了承ください。

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