令和3年度中学生被災地訪問参加生徒の感想
2022年2月9日
ページ番号:554961
令和3年12月11日~12日で宮城県を訪問した参加生徒の感想です。
東日本大震災の被害や復興の状況を生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。
参加生徒の感想文
野田中学校
二年生 窪田 伊織
コロナウイルス流行中のなか、このようなすばらしい事業を計画していただいた方、引率の先生方や区役所の方々、この事業に関わった全ての方、本当にありがとうございました。
私はこの被災地訪問でたくさんのことを学ぶことができました。
まち歩きガイド・インタビューでは、いつもとはちがった「想定外」、学生が避難所へ関わる、運営する重要さを学びました。まち歩きのガイドをしていただいた方のお話しによると地震が起こったのは合宿中で隣町にいたときだったそうです。その時のことは、避難訓練とは全然ちがった、想定外の連続だったとおっしゃっていました。また、当時中学二年生だったゆうとさんの話によると、避難所づくり、運営など、自主的にした、自分たちが動かないとどうにもならない状況だったとおっしゃっていました。もしそういう状況になったとき、私は動けるのか、力になれるのか、と思い自分の考えが浅はかだったことを知りました。
災害時シミュレーションプログラムでは、「実際に考え、行動する」ことの難しさを学びました。実際に行った避難所でのトラブルについての解決策を考えました。普通に考えても難しい問題がたくさんありました。これを地震がおこり、パニックになっているときに考えるのは大変だと思います。普段からの想像がいざというときにつながるのだと思いました。
大川小学校跡地訪問では、「判断を行動に。」の重要さや、あった出来事にふたをするのではなく、たくさんの人に伝える、そして考えるということの大切さを改めて学びました。佐藤先生の言葉に、「未来を拓く」や「ハッピーエンドの未来まで想定するのが防災」など前向きな言葉がたくさんありました。私はかわいそう・悲劇など暗いイメージをもっていましたが一気に印象が変わりました。また避難する判断が遅れたことで生徒74名、教師10名の計84名が亡くなりました。パニックになっているとき正しい判断をすることは難しいそうです。ですが、99%津波がくると言われていたのに、きちんと想定できていなかったそうです。日頃からの想定・行動が大切だと思いました。
クロスロードでは、地域にあった対策が大切だと思いました。他にも津波火災や大津波警報など命を守る情報をたくさん学べました。
たくさんのことを学ぶことができた被災地訪問。でも学びにいった3人が知っているだけでは命は救えません。命を救うためには、少しでも多くの人に防災について考えてもらう必要があると思います。被災地訪問をきっかけに様々な避難訓練を行う、避難所・問題について日頃から話し合う、そしてそのことをたくさんの人によびかける。一人でも多くの人の命が助かるよう行動していきたいと思います。
二年生 西谷 英汰
「未来を拓く」これは大川小学校の校歌の題名です。大川小学校は七十四名の児童と十名の教師が津波によって命を落としました。どうしてこんなにもの命が奪われてしまったのか。どうやったらその命を助けることができたのか。この二日間で深く考えることができました。
まず宮城県に来てからはじめに行ったのは「まち歩き」です。南三陸町を佐藤さんに案内してもらいました。僕がこの町に来てはじめに思ったことは「何もないな」というものでした。しかし、これはあながち間違いではなかったのです。僕たちが案内してもらったところは津波で流されてしまったというのです。今は完全に住むところと働くところを分けて安全なところにしか住めなくなっていたり、土地の高さを底上げしたりして工夫しています。被災したとき佐藤さんは合宿中で学校におらず、天候も雪で想定していた状況とは違ったそうです。こういうもしもにそなえるのが防災だとおっしゃっていました。震災はいつ起こるかわかりません。その時のために備える。大切な事だと思いました。
次に三人の住人へのインタビューをしました。三人とも違う状況で話の時間は足りないものでした。特に印象に残った言葉が牧野知香さんの「遠くではなく高く逃げる」ということです。これは娘さんに言いきかせていることだそうです。これはあたりまえのことです。しかしこのあたりまえを災害時にできるかどうかが鍵になるのではと思います。
次に大川小学校での避難の方法を学校跡地の説明と共に教えてもらいました。判断のミスでたくさんの命を失ったことから冷静さは大切だと改めて感じました。
最後にクロスロードで主に津波についてより深く教えてもらいました。漠然とした津波の知識しかなかったので驚きがたくさんありました。
このように宮城でたくさん勉強させてもらいました。これらのことをどのように活かしていけるかが防災だと思います。これが未来を拓く一歩だと思うのでその一歩をふみだせるよう、みんなに伝えていきたいと感じました。
二年生 萬 泰輝
「伝えつなぐ大津波」
平成二十三年、三月十一日の金曜日、二時四十六分に東日本大震災が起きて十年した今に被災地訪問として、宮城県に訪れました。そこで見たものは僕の想像をはるかに絶するものでした。
プログラム一のまち歩きガイド・住民インタビューでは忘れてはいけないことを学びました。まち歩きでは、津波の高さや被害規模、復興状況がよく分かりました。当時の南三陸町は、津波の高さが十六メートルにも及んだそうです。また、街が六割もなくなるなど、大規模な被害だったそうです。ガイドの方にこのようなことをくわしく教えていただきました。住民インタビューでは、鈴木さん、阿部さん、牧野さんに来ていただきました。三人とも津波があった当時の状況や町の状態などをくわしく教えていただきました。質問コーナーでは避難時に困った事や大変だった事を教えてくださいました。その中で、それぞれの地域に合った対策や行動をとることが大切だと感じました。
プログラム二の災害時シミュレーションでは、実際に災害が起きたときどうするかをグループで話し合いました。こういう場合どう動くかなどを整理でき、それぞれ色々な意見があり、有意義な時間を過ごすことができました。
二日目のプログラム三である石巻市「石巻市大川小学校跡」では、大川小学校という、津波によって被害を受けた小学校の跡地に訪れました。そこでは、当時生徒が七十人死亡、四人行方不明で、教員は十人死亡したそうです。現地の地形やどのくらいの被害だったかや教員の判断などを知り、大きなしょうげきを受けました。そこには、本当は救えたはずの、たくさんの命がありました。見学しているこっちも、なぜかとても悔しかったです。また、大川小学校の「未来を拓く」というフレーズがとても心に残りました。そこには、昔の経験を生かして未来を拓くという大川小学校だけでなく、宮城県全体の希望が現れているように感じました。
プログラム四の決断ワークショップ「クロスロード」では、徳水博志さんに災害リスクやより安全な逃げ方を教えていただきました。判断力と行動力がよく身につきました。
この被災地訪問では、津波の恐ろしさや対策方法、本当に起こった時、どうするかなどをよく学ぶことができました。これ以外にも本当にたくさんの事を知りました。この経験を生かし、福島区をより安全な地域にしていきたいです。
下福島中学校
一年生 川島 彩楽
十二月十一日から十二日に宮城県へ被災地訪問に行きました。四つのプログラムを通してたくさんの被害状況を知れました。それと同時に私はまだまだ知らないことがたくさんあると実感しました。
まず被害の大きさを知りました。津波の高さに自分が立った時にイメージよりもはるかに高くて本当にびっくりしました。そして、のみこまれてしまった人はどれだけの恐怖に落ちいったのか計り知れないと思いました。普段はおだやかで大好きな海が一瞬にして自分や大事な人の命と財産や文化を全てうばうのは自分には想像もできず心がえぐられるような思いになりました。
次に被災された人の伝えたかったことを知りました。たくさんの人の話を聞きましたがどの人の言葉も重みがありました。特に三つの言葉を忘れたくないと思いました。「冷静に行動し最善をつくすこと。」「今までに普通の生活があったこと。」「行動・判断するのが防災であること。」です。インタビューをしているとどの人も冷静に行動できた人が命を守れていると感じました。そして、今までの日常があったことを知ることで震災にあわれた方の気持ちも知れたと思います。また、考えていても行動にうつさなければその考えは水の泡になることもより深く知りました。
最後にイメージする大切さを知りました。津波の大きさを想定したり避難の仕方を考えたり、あらゆることに対応していくことで命は助かるのだと思います。でも、私はイメージするのが少し怖かったです。悪い想像ばかりしてしまうからです。しかし、現地の方の話を聞いて怖いで終わらせてはいけないと思いました。回避策を考えておくだけで命を守ることができると知ったからです。
被害のこと、宮城県のことをたくさん知ることで毎日の生き方を考えなおすきっかけになりました。これからは東日本大震災での教訓を自分の生活につなげていこうと思います。
一年生 節川 詩音
私は、被災地訪問を通して、東日本大震災の恐ろしさについて知れました。大阪は、あまり地震がこないので、危機感がなかったので油断していました。しかし、実際に体験した方々の話を聞いて、どうなったのかを学べました。私が印象に残ったのは、大川小学校への訪問です。建物を見ながら説明を聞きました。話を聞いて、どんな災害がきたのか、どうやって避難したのかをたくさん知れました。私は、どういう判断をして行動したらいいのかということが大事だと感じました。自分の判断で、変わることもたくさんあると思いました。私もまだ学生なので、大川小学校の話を生かして自分も、どういうことをしたらいいのかを今後にも役立てたいです。私より、小さい年の方達が、どれほど辛い思いをして、亡くなられたかと考えると、本当にこわくなりました。校舎の一番上まで、津波が来ていたり、通路が横に倒れたり、どこまでの高さが来たのか、どれほど強い津波が来たのか、分かりました。実際に体験した方の話を聞きました。赤ちゃんをつれていた方の話を聞きました。私には、小さい弟と妹がいるので、いざというときのことをしっかり学べました。やっぱり地震や津波が来たときは、自分はどうなるのかとか、焦ってしまうこともたくさんあると思うけれど、焦らず自分は何をしたらいいのか冷静になることも大事だと教えてもらい、みんなで協力することも大事だと思いました。誰かが困っていたら、助けることもとても大事と思いました。ボランティア活動で、違う地域の方もきたと聞いて、協力すること、助け合うことが、どれほど大事なのか分かりました。改めて、地震と津波について知れました。あまり地震を体験をしたことがないので、どういう行動をしたらいいのかや、色んなことについて学べました。これからは、説明してもらったことや、教えてもらったことを今後にもしっかりと生かしたいと思います。
一年生 山口 拓真
僕が被災地訪問で勉強しに行った場所は四つあります。
まず一つ目は、南三陸町で行なったまち歩きガイド及び住民へのインタビューです。南三陸町では小学校、中学校、高校は高い所にあるそうです。七十か所のひなんじょのうち半分は津波の被害にあい九千人以上の方々がひなん所せいかつとなってしまいました。ふだんやっていた訓練より大きく16ⅿも沈んでしまいました。それにより6割もの家がなくなったそうです。インタビューでは、まず知香さんに話を聞きました。あかちゃんをつれているとオムツやミルクなどの心配があり病院でもあまり買うことができなくて困ってしまったそうです。一番大切なことは、まず自分がおちつくことだそうです。自分がおちつかないとあかちゃんもないてしまうこともあるので一番大切なのは自分がおちつくことです。次は清美さんです。清美さんは息子の所で津波にあってしまったそうです。津波は、逃げても逃げても波におわれてしまうそうです。津波の中で助かるには、水中では息が出来ないので意識がなくなる前に水から出ることでたすかったそうです。津波にまきこまれないためには自分でここだったら大丈夫と思いこまないことだそうです。次は悠斗さんです。悠斗さんはこのころ中学生だったのでご飯を配ったり、色々な手伝いをしたそうです。情報を知るのはラジオのみだったそうです。技術の授業で作ったラジオのおかげで情報を知ることができたそうです。
二つ目は、災害時シミュレーションプログラムです。
災害時シミュレーションプログラムでは、学校で地しんがあった時のことなどを考えたりしました。このように考えるともし本当に地しんがあった時にここできたえた判断力が大切になってくると思いました。
三つめは、石巻市立大川小学校跡です。ここでは、多くのぎせい者が出てしまいました。ここでは、判断が遅くてすくえた命がすくえなくなってしまいました。しかし、ここは未来を拓く場所ということだけはいつまでもおぼえておきたいと思いました。
四つ目は、決断のワークショップ「クロスロード」です。ここでは津波について正しく知ることと災害リスクを知ることをしました。大津波警報というのは、半分~二倍だそうです。大津波警報10ⅿというのは、平均的な値なのでこういうこともしっかり分かっていないと津波にまきこまれてしまうなということを改めて思いました。
最後にこの被災地訪問を通して僕が思ったことは、ふだんから防災意識を高く持っていたり大津波警報などのいみをしっかりしることがとても大切なことだと思いました。そして大川小学校など東日本大しんさいで亡くなってしまった人が多くでてしまうものが地しんだと忘れたくないと思いました。
八阪中学校
一年生 坂井 郁翔
今回被災地訪問で宮城県をおとずれました。被災地訪問では震災で被災した町を散策したり、住人の方にインタビュー等をしたりして、多くの事を学びました。
一番印象に残っていることは、大川小学校の跡地で聞いた佐藤さんのお話です。大川小学校では、地震直後、運動場に避難しました。その後どう対応すべきか判断するのに時間がかかり、その結果津波で3分の2の児童と多くの教職員が犠牲となりました。佐藤さんは、そのことを忘れないように、また二度と同じ事をくりかえなさいように話し続けられています。
福島区では、大きな地震が起これば津波が来ると言われています。僕は、津波に対する意識があまりありませんでした。話を聞き地震が起こった時に考えるのではなく、日頃から考えておくことが大切だと思いました。
また、自然災害は想定外のことが起こるという言葉も印象に残っています。想定内のことだけ考えていたら、想定外の事が起きた時にパニックになり、すぐに動くことができないと言われてました。話を聞くまでは、ハザードマップなどの情報さえ分かっていれば大丈夫と思っていたけれどその情報をたよりにするのではなく自分達でどうするべきかを考えておくべきだと思いました。
そして、大津波警報は、0.5倍から2倍の高さの津波が来るという言葉も印象に残っています。大津波警報10メートルと言われたら、10メートルの津波が来るのではなく、5メートルから20メートルの津波が来ると言われてました。福島区では、南海トラフ巨大地震が来れば1.7ⅿの津波が来ると言われています。僕は、ただ1.7メートルの津波が来るのではなく、0.8メートルから3.4メートルの津波が来ると思ったらびっくりします。
二日間で学んだことをこんどは僕が伝える番です。家族や友達、地域の方々の防災意識を高めていきたいです。
一年生 成松 愛
私がこの被災地訪問で特に心に残ったのは、菊池のどかさんによるフィールドワークです。
フィールドワークでは、有名な話である「釜石の奇跡」などを中心に被災時の話を聞くことができました。目に涙を浮かべるほどのショッキングだった震災当時をふり返り、親身になって語ってくださいました。震災前から徹底的に行われていたという小学校との合同避難訓練や避難したことを周りに伝える目印の紙を作成し、地域の方々に配付して交流を図る取り組みをしていたことが発災時に役立ったときき、自分達が住む福島区でもこの取り組みを生かしていけば少しでも被害を抑えられるのではないかと感じました。福島区は淀川が近かったり、海抜の低い場所が多いため、災害が起きたらすぐに避難しなくてはいけません。菊池さんのお話のように、普段から近所の人達と交流を図ったり、避難経路を確認するなどして、防災意識を高めていきたいと思いました。実際菊池さんが体験された出来事は、「奇跡」という言葉が使われており、被災していない殆どの人のイメージは「皆生き残ってよかった」というふうに、喜ばしいこととして捉えていますが、実際には九十九パーセント生き残ったけれど、両親や親しい人を亡くした人達ばかりでとても苦しい思いをしたとおっしゃっていて胸が痛くなりました。見慣れた光景も全て消えてしまった人々の心の傷は、震災から八年経った今も深く残っているということを強く感じました。
三日間という短い間でしたが、やはり実際に訪れて体験しなければ分からないことがたくさんあり、とても良い経験になりました。震災は思い出すだけで辛く悲しいものですが、自然現象はいつ起こるか分からないので、私たちがこの出来事を風化させずに語り継いでいき、福島区に住む皆さんの防災意識が少しでも高まるきっかけになればいいと思いました。
私が今回の被災地訪問で思ったことは、東日本大震災と同じような震災は今後、起こってほしくないということです。東日本大震災では、さまざまな人が大変な思いをしました。もちろん地震というのは避けることのできないものです。しかし、いつ地震が起きても、大丈夫なように、防災をしておくことはできます。今回は防災について書きたいと思います。
まず初めに、防災とは何、ということです。私が思う防災とは、地震が起きたときに必要なものを集めておくことです。例えば、避難所で数日間すごすことを考えたとき、必要なものは何でしょうか。そう、水や食料です。また、自分の住む地域ではどのような二次災害が起こるのかなど、情報を知っておくことも大切です。
次に、先ほど、情報を知っておくことが大切だ、といいましたが、情報を過信しすぎてはいけません。実際に、ハザードマップに書かれているのは一例で全く同じ状況になることも少ないでしょうから知っておく程度で大丈夫です。
それから、単に知っておく、といっても、一つでは意味がありません。複数、いろいろなパターンを知った上で正しい判断ができれば大丈夫です。例えば、津波警報10メートルと言えば、10メートルの津波が来る、と思いがちですが、本当は10メートルの二分の一から二倍の可能性もあります。10メートルだと5メートルから20メートルということになります。このような情報も知っておいたほうが良いと思います。
さらに、避難所で必要なものは水や食料だという話をしましたが、本当にそれだけでしょうか。地震により電気がと切れてしまったとき、どのように情報を手に入れたら良いのでしょうか。例えば、手動で充電できるラジオなら手で回せば充電できるので電気が切断されていても情報を手に入れることができます。
最後に、もし地震が起きたとき、安全に避難ができるように、避難した後も困らないように家族で話し合って少しでも防災に取り組んでくれたらいいなと思います。
二年生 山本 湖雪
「未来につなぐもの」
悲しみや恐怖の感情と、温かく楽しい、優しい想いが共にある場所を実際に訪問するのは、今回が初めてでした。
その事を強く感じたのは、大川小学校への訪問でした。黙祷の後の献花の時に、私は足がすくんでしまいました。その時、やさしい想いが私に伝わってきて、不思議と足が前に出ました。そして、この場所は悲しみだけでなく、私達と同じように、大好きな先生や大好きな友達と過ごす大好きな場所だったのだと気付きました。献花の後、お話を聞きながら歩いた校庭でも、私は、楽しい日常を過ごす大川小学校のみんなの笑顔や声が次々と感じられました。被災した建物からは、もちろん震災の恐ろしさも伝わってきたけれど、その恐怖よりも、いつもの楽しい日常と未来が永遠に奪われたことへの恐怖がより強く伝わってきました。同時に、その日常を守ることが防災なのだと思いました。亡くなった方々の想いをつなげる責任が、私達にはあると思います。この被災地訪問を終えた後、これから私達がやらなければならないことが具体的にみえてきました。それは、積極的に自然災害について知ろうとすること、考えること、未来につながる防災意識を常に持ち続け、身近なこととして、学び続けなければならない、という事です。
私はまた、必ず大川小学校を訪れたいです。その時には、より、自然災害についての知識を持ち、いざという時、命を最優先に守るために、より良い判断と行動ができるよう、防災について自分の考えを持った人間でいたいと強く思っています。
※ 感想文については、軽微な言葉の補足や誤字などの修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や感想をお伝えするため、原文をほぼそのまま掲載しています。なお、文中の表現は生徒たちが得た知識の範囲での感想となっておりますので、あらかじめご了承ください。
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