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令和4年度中学生被災地訪問参加生徒の感想

2022年10月1日

ページ番号:579567

令和4年8月3日~5日に岩手県を訪問した参加生徒の感想です。

東日本大震災の被害や復興の状況を生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。

 

参加生徒の感想文

野田中学校

三年生  上原 大尚

「津波を未来へ」

 僕は、今回野田中学校を代表して福島区中学生被災地訪問事業に参加しました。この体験で色々な人の話を聞き、学んだことを伝えます。

 被災地訪問を通して僕が強く心をひかれた言葉があります。それは、「国があなたのために何かをしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問うてほしい」という言葉です。今僕は、親のもとや先生たちのもと、誰かに敷かれたレールの上で生活しています。誰かの指示を待ち、その通りに動くことがほとんどです。そんな中実際に被災した当時、津波が来て家がなくなった人々は、国が何かをしてくれるまで待つだけだったそうです。その時動いたのが現在一般社団法人長洞元気村で活躍されている村上さんでした。この方を中心に仮設を使用する順番を決めたり、避難生活に必要な物品の配布など様々な事を自分たちで動いて解決していったそうです。これは、中学校でも先生の指示を言われる前に動いて効率よく動くことにもつながります。率先して動くには前に出るリーダーが必要になります。勇気を持って一歩踏み出す力が大切です。そしてこれは、津波三原則につながります。一つ最善を尽くせ。二つ想定に囚われない。三つ率先避難者になれ。この三つ目につながります。率先避難者とは、リーダーとなりすぐに避難をおこなう人です。二つ目の「想定に囚われない」も本当に大切です。これまでの津波がここまで来たことがないから大丈夫など安易な想定に囚われて亡くなった方も少なくありません。もし津波が来た時はこの三原則を守り1秒でも早い復興のために自分から国のために、行動しましょう。

「生きるためにつかんだラッキー」

 一日目の米沢さんの3,11の追体験で話していた言葉の中によく出ていたのがラッキーという言葉です。地震が起きた時出入口にいた。今日は帰っていいよと母さんが言ったこと、津波が来ないと思っていて米沢ビルにいたことなど色々なラッキーが重なっていました。人が生きて助かる時は運が良いか悪いかだと思いました。でもアンラッキーが多くて死んでしまってはいけない。だからこそ自分の力で生きる力を身につける。ラッキーに頼るのも大切ですが、自分からつかむことも大事だと思いました。

 今回の3日間を通して自分の生活態度を見直すことができました。普段から人の見本となれるように行動しようと思います。このことをみなさんに伝えて1人でも多くの人を助けられる社会にしたいです。

 最後に、このような経験をさせていただいた人支えてくれた人にお礼を言いたいです。本当に充実した3日間になりました。ありがとうございました。

 

二年生  小柳 勇輝 

 僕が三日間の被災地訪問で学んだことは、「油断大敵」ということです。

 例えば、米沢ビルの話では、屋上(約4階程度の高さ)に逃げた米沢祐一さんは助かりましたが、市民会館に避難したご家族の方は津波に飲み込まれて亡くなってしまいました。他にも、「東日本大震災津波伝承館」では、避難しなかった理由の大半が「過去に大きな津波が来なかったから」というデータがありました。その他のプログラムでの話も津波を警戒しておらず、多くの被害が出たことが語られていました。

 これは福島区の防災にも当てはまると思います。

 例えば、大きな地震が起こった際に、もしSNSなどで津波の危険がないと分かった時に、恐らく多くの人は避難せずに、自分の部屋に居続けると思います。しかし、それでは、東日本大震災と同じように、多くの犠牲者が出てしまうかもしれません。

 このことから、僕が一番伝えたいのは「油断せず、津波に備える」ということです。これには災害が起こる前と起こった時の備えを含みます。

 またSNSなどの情報を鵜呑みにしないということも大事なことだと思います。もちろん、全てが嘘というわけではないですが、災害時には人々が混乱しているので、偽の情報が混じりやすいです。間違った情報に流されてしまうと、最悪の場合自分が死んでしまいます。まずは防災無線や自治体の話をよく聞いて、津波に対する避難行動を取るべきだと思います。福島区には高層マンションが多いので、そういった場所が避難場所になると考えました。

 被災した人達の話では、飲食をせずに一日を過ごしたという人もいました。だから日頃から防災グッズ・食品を用意しておくのが大切だと感じました。そして、災害時にすぐに取り出せるように、机の下やベッドの近く、玄関などに置いておくべきです。

 そうすることで、助けが何日も来なくても、生きることができます。

 まとめると、僕が一番思ったことは「津波に対する油断」です。そして、油断してしまったことで多くの犠牲者を出してしまいました。このことを教訓に、防災グッズを準備したり災害に関する知識を学んで偽の情報に惑わされずに正しい避難行動ができるようにするべきだと考えました。そして、そうした災害に関する知識を福島区の広報新聞に載せることで、福島区民の災害に対する意識が高まればうれしいと考えました。

 

二年生  山崎 颯花

 「震災を通して学んだこと」 

 今回色々なプログラムがありましたが、印象に残ったプログラムが2つあります。

 一つ目は、「米沢ビル」の見学です。

 ここでは実際に被災された米沢祐一さんが運営していたビルを見学しながらお話してくださいました。米沢さんは東日本大震災で母、父、弟を亡くされたそうです。ここで学んだのが、「一分、一秒の大切さ」です。米沢さんはラッキーの積み重ねで助かったとおっしゃっていました。あと一分行動が遅かったら自分は助からなかったとおっしゃっていたので一分一秒を大切に過ごしていこうと思いました。

 二つ目は、当時私たちと同じ中学生だった菊池のどかさんに当時のお話を聞きながら避難体験をしたことです。現在中学生である自分たちとかわらないくらいの子どもたちが率先避難者となって、小学生だけでなく大人までも命を救いました。

 これはある日突然できたことではありません。日々釜石の中学校では震災の対策がされていました。その中でも強く言われているのが、「津波てんでんこ」です。津波てんでんことは、津波がきたらてんでんばらばらに高所に逃げ自分の命を守れという意味です。

 この言葉を行動にした子どもたちはほぼ全員助かったそうです。

 災害がおこったときの行動を予測して、訓練することも大事ですが、もし危険に遭遇したら、一瞬で判断し行動する力が必要だということがわかりました。

 この被災地訪問事業を通して、福島区民のみなさんに伝えたいことは、想定に囚われずに率先避難者となり周りの人たちと協力し一刻も早く高い建物へ避難し最善をつくすことが大切だということです。

下福島中学校

二年生  川島 彩楽

 八月三日から五日の三日間で、私たちは岩手県を訪問しました。私にとっては二度目の被災地訪問でしたが、東日本大震災を経験した方のお話を聞くとたくさんの学びがあり、考え続けなくてはいけないと思いました。学んだなかで私が特に大切だと思ったことが四つあります。

 一つ目は、意識することです。地震が起きた後は津波がくるかもしれないと考えたり、十秒二十秒の差が生死をわけるという意識を持ったりすることが重要です。また危険な場所を確認するなど普段の生活でも様々な準備ができると知りました。

 二つ目は、リーダーシップを持つことです。被災された方の思うリーダーシップとは、批判をおそれずに決断することだと聞きました。また地震直後、すぐに避難をはじめたのは子どもの方が多かったとも聞きました。これらの二つをふまえて、子どもであっても正しいと思えば行動にうつすことで多くの命を救えるだのと知り、私もリーダーシップを持った人になろうと思いました。

 三つ目は、経験することです。釜石市にある小・中学校では頻繁に防災学習が行われていたので、子どもが率先避難者となり多くの命を救いました。また、津波の速度、時速三十八キロメートルの車と子どもが走ってどちらが速いかを直接体験し、津波の威力を知るということをした学校もあるそうです。経験することですぐに行動にうつすことができると知りました。

 四つ目は、復興についてです。災害が起こったあとも普段の生活に戻るまではとても長く、岩手県でもまだまだ復興途中だそうです。ですので、復興の仕方を災害が起きる前から考えておくことで、起きたあともすぐに復興に取り組んでいけると思います。

 この三日間、たくさんのことを学び、災害や起こった先までもよく考え直すきっかけとなりました。この教訓を語り継いでいきたいです。

 

二年生  節川 詩音

 私は、岩手県に訪問して地震、津波がどれほど恐ろしいものなのか改めて知ることが、できました。一日目に訪問した米沢さんのお話を聞き、必死に生き延びようとすることが大事だと思いました。ほんのわずかな時間の差で、生死が決まるということを学びました。後、十秒遅かったら亡くなっていたかもしれないと考えた時に、どう行動するかも大切だと思いました。指定されている建物に逃げるのか、それとも津波を想定して高い所に逃げるのかと言う判断が、自分の生死を決めることになるということが分かりました。地震が、終わって安心した瞬間に津波が来て、大半の人は津波が来ることが頭になかったということが生死をわけることになったと思いました。地震や津波は、自然災害であって、いつ起こるかなど人には想定しにくいと思います。実際に想定外のことが起きたということ、想定の倍は来ることをしっかり覚えておくことが大切と思いました。二日目の防災サイクリングでは、災害にあった建物を見たり、陸前高田市の町を見ました。津波の被害を、うけた建物には、どの高さまで津波が来たのかを、印が書いてあり、黒く大きな津波がこの高さまで来ると考えただけで恐ろしくなりました。道中に、地元住民の方にインタビューを行い復興に向き合う姿をとらえました。私が、心に残っていることは、桜ラインという団体の方が復興に向けて、桜を植えていることに、感心しました。団体の方だけが植えるのではなく、たくさんの方と一緒にすることで、桜を植えることに意味があると思いました。三日目の、当時中学生だった方の話が、この三日間の中で一番印象に残りました。自分も今、中学生なので、すごく勉強になりました。地震の後に、津波が来るということは、明治の地震で学び、分かっていたけれど、行動ができず、点呼場所に集まってしまって、先生の呼びかけで、逃げたと聞いて、実際に分かっていても、体が動かなかったりすることもあると考えておくことも大事だと思いました。自分は、死なないと思っていても、想定外はたくさん起きるということも、考えておくことだと思いました。中学生だからこそできることもたくさんあると思います。急なでき事に、不安になったり、パニックにもなるけれど、しっかりと決断することが大事と思いました。津波は待ってくれないし、いつ来ても困らないように日頃から意識を心がけたいです。

 

二年生  山口 拓真

 僕が被災地訪問を経て思ったことは、二つあります。

 まず一つ目は、災害が起こる前から考えておいて、もし災害が起こっても瞬時に判断することの大切さです。なぜそう思ったかというと、一日目の米沢さんと三日目の菊池さんの話を聞いたからです。地震が起き津波が起きてから陸前高田市では、十四人に一人が亡くなってしまいました。この様なことが起きたのは、津波が来る前にここだったら津波は絶対来ないと思いこんでしまったからだそうです。津波は絶対来ないと思いこんでしまうと海からはなれたところに住んでいると逃げないで家にいてしまうそうです。しかも、ここのあたりは避難路もあまりない地域だったので、できるだけ早く逃げなくてはなりませんでした。この話を終えて最後に米沢さんと菊池さんがいっていたことが避難所はいく通りも考え、もし自分が死んでしまっても納得いく所をみつけることが必要ということでした。この理由はもし地震が起きた時、雨だったり台風だったりすると晴れの時とは逃げる場所が変わってしまうということと、市が「ここは避難所です。」といっていたところで自分が死んでしまったら後悔するからです。実際にこの様なことが起きてしまったそうです。もうこの様なことが起きない様に家族とどこに逃げるかなどをしっかり話しておいてください。

 二つ目は「未来に津波の脅威を伝えるサクララインの人たちのおかげで被災が減る」です。なぜそう思ったかというと、二日目の防災サイクリングのインタビュー一人目の佐々木さんの話を聞いたからです。サクララインというのは、東日本大震災による津波がどこまできたかなどをサクラを植えて伝える団体のことです。このサクララインは全国からの募金でサクラを植えているそうです。サクララインというのはボランティアの人たちと、一緒にサクラを植えるそうです。その時にみんなと「地震によって津波はここまで来たんだよ。だからもし大きな地震が起きたら津波が来るかもしれないからできるだけ高い所に逃げましょう。」などと、みんなにこの様なことを教えてくれます。これで家族や友達に伝えて地域の防災能力が、上がれば多くの人たちの命を守ることができます。このようにサクララインのみなさまのおかげで僕たちの命を僕たちで守れる様になると思いました。

 この様なことを知れる機会を作ってくださった、地域のみなさん区役所のみなさん本当にありがとうございました。被災地訪問で学んだことをみんなに伝えれたらいいと思うのでそこをがんばります。

八阪中学校

三年生  陰山 妃菜

 私はこの被災地訪問で、地震や津波の被害を受けた場所を初めて訪れました。この三日間の経験は、災害や防災への意識や、命に対する考え方を変える大きなきっかけになったと思います。

 被災地を訪問して、実際に震災を体験した方のお話を聞いて、自分が今まで災害についてほとんど何も考えられてなかった事に気づきました。大きな地震が起きたら津波が来るから高い所に逃げないといけないという事は分かっていたし、学校の避難訓練もしっかりして避難の仕方も頭に入っていたので、それ以上は深く考えず、「まあ大丈夫だろう」と思っていました。でも、この被災地訪問で、災害が想定通りに起こる事はないという事を強く学んで、例えば災害が起きた時にどこにいるのか、誰といるのか、何をしているのか、天気はどうなのか、など、今まで考えた事が無かった状況やそこで起こる被害について考える事が出来たと思います。

 震災を体験した方々のお話はどれも本当に印象的で、この貴重なお話を実際に被災地で聞けた私たちが、今回学んだ事を沢山の人に伝えて、率先して防災に取り組んでいかなければいけないと強く感じました。その一つが避難訓練で、私たちが普段している避難訓練だけでは想定外の事が起こった時に対応出来なかったり、避難が遅れてしまうと思います。私たちが三日目に行った防災ワークショップなどを使って、もっと災害を身近に考えて備えておいて、災害が起こった時にその場で対応出来る人を増やす事が、町の防災意識を高める事につながると思います。だから私は災害について考えられたこの経験を無駄にせず、沢山の人に伝えて、考えて、自分や周りの人の命を責任をもって守れる人になりたいです。

 まだまだコロナウイルスが収まらない中、このような素敵な経験をさせていただき、本当にありがとうございました。

 

二年生  坂井 郁翔

 僕は、8月3日から8月5日まで被災地訪問で岩手県を訪れました。

 まず米沢祐一さんのビルを訪れました。米沢さんのビルは、テレビでも何回か見たことがありました。しかし実際に訪れてみると、津波到達水位が書いてありあんなに高い所まで津波が来たんだと思いました。そして米沢さんが助かった煙突に登ってみると、予想以上に高くて、足がすくんでしまいました。米沢さんが津波が来た時に煙突に登った時の気持ちは、恐怖と死にたくないの2つだったそうです。そして、地震を通して学んだことは、意識することと経験が大事だとおっしゃっていました。なのでいつ津波が来ても大丈夫なように避難所の確認などをしておきたいです。

 次に印象に残っているのは、村上誠二さんのお話です。村上さんが住んでいた広田町長洞地区では津波の影響で村が孤立してしまいました。そしてライフラインもとだえてしまいました。村上さんたちはまず、行方不明者の安否確認をしたそうです。しかし長くは続けられないので3日で終了したらしいです。次は食料の確保をしたそうです。村で備蓄していたお米や水を使って、おにぎりを作ってみんなに配っていたそうです。最後は宿泊所の確保をしたそうです。村上さんが率先して市役所に行き仮設住宅を建てるようお願いしたそうです。そして地震を通して学んだことは、国が自分のために何かをしてくれるのを待つのではなく、自分が国や家族のために何ができるのかを考えて行動することが大切だとおっしゃっていました。なのでもし津波が来たら村上さんみたいに率先して動けるようにしたいです。そのためには米沢さんがおっしゃっていたように日頃から意識して行動したいと思いました。

 この被災地訪問を通して学んだことは、絶対に忘れません。そして次は僕たちが家族や地域の人に伝える番です。被災地訪問を通して学んだことをしっかり伝えていきたいと思います。

 

三年生  山本 湖雪

 私は昨年も宮城県を訪問し、貴重な経験をすることが出来ました。なので今年も、岩手県への訪問を通して、昨年とは違った角度からも災害について学び、自分の考えを深めようと心に決めて参加しました。

 三日目には、震災当時、私と同じ中学三年生だった、菊池のどかさんにお話を伺いました。のどかさんは高さ十五メートルのところにある建物まで避難した後、さらに山に登ったそうです。その時、どんどん上に逃げようとする、一緒に避難していた小学生に、「上に行きすぎないで。」と声をかけたそうです。私は、少しでも高いところに避難した方がいいのではないか、と不思議に思いました。のどかさんは、津波が来る可能性はもちろんあるけれど、土砂崩れが起こる危険性もあるのではないかと考えたそうです。この事から、災害が起きた時、一つの災害だけについて考えるのではなく、この先、どんな災害が起こるのか考えながら、適切な避難をすることが大切だと思いました。

 ワークショップでは、「自分は大丈夫だ」と考えてしまっている事に気付き、自分や大切な人がけがや病気をしてしまった場合も考える事の大切さを学びました。私は、日頃から、様々な場合を想定して、自分がどのような行動をとるべきか、家族や友達と一緒に考えようと思います。そうすれば、想定外の事が起きた時、柔軟に対応することが出来ると思います。また、災害時の行動を大切な人と共有し、考え方を合わせておくことで、災害時に別々の場所にいたとしても、行動を推測することができ、率先避難をすることにつながると思います。このように、みんなが避難し続ければ、大切な人と、きっと再び会うことが出来ると思います。

 全てのプログラムが終わり、昼食を食べたお店の近くで、美しい海を見ました。大阪でもたくさん海は見てきているはずなのに、胸がギュッとなりました。今、私達に出来る事は、悲しみを受け止め、普段の行動を変えることだと思います。東北と大阪、場所は離れているけれど、災害に場所は関係ありません。この被災地訪問で学んだ事、感じた事を伝え、生かしていこう。幸せな未来のために。

 ※ 感想文については、軽微な言葉の補足や誤字などに修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や感想をお伝えするため、原文をほぼそのまま掲載しています。なお、文中の表現は生徒たちが得た知識の範囲での感想となっておりますので、あらかじめご了承ください。

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