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令和5年度中学生体験学習事業参加生徒の感想

2023年9月14日

ページ番号:606304

令和5年8月1日~3日に宮城県を訪問した参加生徒の感想です。

東日本大震災の被害や復興の状況、現地のSDGsの取組について学んだ生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。

 

参加生徒の感想文

八阪中学校

三年生  木下 千嘉

 三日間、非常に有意義な学習を体験させて頂きました。最初に訪れた「千年希望の丘相野釜公園慰霊碑」では、私は献花をさせて頂きました。献花台横の慰霊碑には、沢山の亡くなられた方々のお名前が刻まれていました。そこで親族を亡くされた方からお話をうかがいました。「慰霊碑を見て、多くの方が亡くなったと思うのではなく、一人ひとりの人生が、震災で突然断たれてしまった、そして今も家族はここでその人を思い、生活している。」と聞き、私の心に響きました。辛い経験を話してくださる方の気持ちに触れ、これからの三日間、しっかり学ぼうと決意しました。

 震災遺構の学校では、先生方が生徒五十八人の「命と心」を守ったお話を聞きながら校内を回り、この建物に対する工夫や震災への準備があったことから守られた命があることを知り、「幸運」は自ら作ることが大切だと大きな気付きがありました。そして今回の訪問で一番、心に残った言葉は「人の心の底に人を思う気持ちがあり、いざとなったら知らない人でも繋がることができる。」です。この言葉は、ボランティアの受け入れや虹を形にした遊具を製作している「チームわたほい」の代表、遠藤さんから門脇小学校で聞きました。私は、これまで「危機に直面した時、知らない人を助ける為の行動をとれるのか?」と思っていました。しかし、実際に大きな災害で地域の方々を助け、支援された遠藤さんからの言葉を聞き、心を打たれました。テレビや新聞で見聞きした時とは心の動きが大きく違いました。「私は動く!自分が何をするべきなのか、常に考えることが大切!私はこのことを忘れない。」と強く思いました。人は災害に勝つことはできませんが、「負けないこと」は出来ます。防災を忘災にすることなく生活していき、安心して暮らせる福島区のために役に立てるようになりたいです。このような機会を与えてくださった地域、区役所の皆さん、ありがとうございました。

 

三年生  山岡 菜々

 わたしが、この中学生体験学習事業を通して学んだことは主に二つあります。

 まず、一つ目は、中浜小学校と門脇小学校の二つの小学校に行ってみて思ったことです。中浜小学校は、海岸から四百メートルほどしか離れてなくて、避難場所の中学校までは二十分かかってしまうので、校長先生は屋上への避難を呼びかけました。一方で、門脇小学校では、避難場所に指定されていた山に避難することを決めました。二つの小学校の避難場所や方法は異なりますが、共通していたことは、集団行動の習慣がついていたということと、定期的に避難訓練をしていて、指示の通る環境がすぐに作ることができたということです。実際にこの二つの小学校に行ってみて、はじめて津波の被害を目にして、津波の恐ろしさ、校長先生の正しくて素早い判断が何十人もの人の命を助けることが出来たことは、とてもすごい事だと思いました。

 次に、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館では、先ほど紹介した二校とは違う被災状況を見ることができました。この気仙沼市での主な被害は、津波火災です。わたしは、この話を聞いたときにこれまで、水の上では火災は起こらないと思っていたけど、津波火災がとても多くの被害を及ぼしているのでとても怖いと思いました。

 わたしが、この二泊三日の中学生体験学習事業を通して、今までで一番東日本大震災について考えるとてもいい機会だと思いました。実際に、津波による被害を目にすることや被災した方のお話を聞いてとても胸が痛くなりました。被災者の方のお話の中に、津波が来たときは、戻ってこず「より遠くへより高く」へということを大阪で、東日本大震災ぐらいの大きな地震が起こったときには、この言葉を心に刻んでおこうと思いました。地震が起こったときは、人と関わって助け合うことも大事だと思いました。地震が起こったとき、学んだことを活用したいと思いました。


二年生 陰山 一輝

 今回の中学生体験学習事業を通して一番に感じたことは、被災地の状況は私たちが想像していた被害状況とまったく違うということでした。ただ地震がおきて、津波がきて、建物がこわれているというわけではなく、二次被害や親戚、家族を亡くした人たちの辛さなどをとても感じました。

 中浜小学校では、校長先生の責任感、違う学年の人とのつながり、土地をかさあげした地域の力などたくさんの人が支えあってたくさんの命が救われたことが分かりました。塩竃市津波防災センターでは、ガイドさんがおっしゃっていた「自分の命は自分で守れ」という言葉が心に残りました。門脇小学校では地震だけではなく、津波と火災の被害がよく分かりました。そして、一番心に残ったのは東日本大震災で3人の子どもを亡くした遠藤さんの話です。遠藤さんは、親戚を心配し見にいったときに3人の子どもを家においていき、そのまま子どもは津波に飲まれたそうです。遠藤さんはそのことをとても後悔して、自分の命を絶つことも考えましたが、仮の避難所の人に支えられ、その避難所の人たちで「チームわたほい」として活動をしました。遠藤さんは、子どもを亡くしたことから、立ち直ったわけではないが、「人を助けるのはいつも人。」「勝てなくても、負けない。」という思いを持ち、今もボランティア活動を続けているそうです。最後の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館でも、震災の後多くの人が協力し、避難したことが分かりました。しかし、川上さんの話ではまだまだ地域での問題が多くあり、被災地のことを関係ないことだと思ってはいけないと思いました。

 すべての体験学習を通して一番大切だと思ったのは、「人とのつながり」です。震災がおきたときに助け合い、辛いときは支え合うことで減災することができると思います。また、学んだことを中学校の全員に伝え、八阪のつながりも作っていきたいと思いました。

野田中学校

三年生  溝辺 剛蔵

 今回の体験学習事業ではまず、震災は非常に悲しい出来事であり、被災地の方々が大切な家や家族をなくし、大変な思いをしたことを改めて感じました。避難所生活を強いられる方も多く、医療や食糧の供給が不足していたり、水道や電気やガスといったインフラの回復も早くない地域がありました。私は、実際に災害が起きた時のために、前もって非常食を袋に詰めたり、懐中電灯や、安全のためのヘルメットや水分も用意しておくことが重要だと思いました。地震が起こってからでは遅いので、これらの準備は、事前に家族と相談して、保存する場所を把握しておくことが大切です。しかし、一人の時や、外にいる時に起こった場合は、あらかじめ避難場所と経路を確認しておく必要があり、自分はまだ家族とも相談をしていないので、決めておく必要があると思いました。このように、災害が起こった時の事を想定し、備えておかなければなりません。常に最悪のケースを予想して準備することが重要です。しかし、想定通りの被害が出るとは限らず、想定外は起こりうるので、その時によって臨機応変に対応する事も必要になってきます。私は、学校での避難訓練で、今後はもっと災害への意識を高めなければならないと思いました。地域のイベントなどに参加するのも一つの備えだと思います。地域の方々との交流も深まって、避難の時に役立つと考えました。被災地の方々はお互い助け合って支え合っていて、その絆の強さや団結力に感動しました。また、復興への意欲や努力も素晴らしく、被災地の再建に向けて進む姿を尊敬します。被災された方々の話を伺っていると、震災に対しての様々な思いがとても強く、どの方も心に響くものばかりで、勉強になりました。被災者の気持ちをそのまま生徒に伝えるのはとても難しいですが、出来るだけ心に響くものを伝える事が私たちの役割だと感じました。様々な話の中で特に心に残った事が、何度地震が来て、津波が来なかったとしても、高台に逃げろ、という事です。前津波が来なかったから大丈夫だと油断するのではなく、いつでも危機感をもって行動することが大切だと感じ、その話にとても共感できたからです。また、自分が助かるか分からなくても、とりあえず高い所に逃げる事が大切だと感じました。迷っている時間はないので、決断することが重要です。実際に小学校の児童全員を避難させて、全員助かったという話を聞いた時は、とても感動しました。

 震災の教訓を生かし、防災意識の向上や、復興の支援に取り組むことが大切だと思いました。地震や津波に限らず、自然災害は、被害を完全に予想することは非常に難しいですが、できる限りの準備をして、被害を最小限に抑えるための努力をすることが必要です。


三年生  任海 冬日 

 私は今回の体験学習事業を通して、震災はいつどこで起きるのか分からない上に、被災した人々の大切な家族や友達を奪い、震災後も心に大きな傷を残してしまう、とても辛く悲しい出来事であるということを改めて感じました。震災後は家が全壊し仮設住宅や避難所での生活を余儀なくされる方も多く、避難所に届く救援物資も不足したり、ライフラインの回復が遅れてしまう地域もあったと知りました。そこで私は、地震が起きたときのために、前からかんぱんなどの非常食や充電できるラジオや懐中電灯、安全のためのヘルメットや水分を備蓄するようにし避難所での食糧が少し遅れても生活出来るようにしようと思いました。さらに、避難する場所についても家庭で話し合っておこうと思いました。なぜなら、災害後に再会しやすくなるからです。私は、学校にいるときや家族と何かしているときのことについては話していましたが、学校や塾に向かっているときや友達とどこかへ出かけているときのことは決めていなかったので、今回の学習で学んだことを活かして、どうするのかを話し合おうと思いました。次に私がとても心に残っている言葉は震災において絶対はないということです。学校では避難訓練をしていれば助かると習ったけれど、それは次くるとされる南海トラフの威力を想定した中でしているからです。実際に、東日本大震災では、それまで最大でも2.5mの津波しかこなかった場所に10mを超える津波がおしよせて来ました。このことから、想定内に収まる地震はなく、絶対に助かるということも無いということを知り、備えることの大切さを学びました。実際に東日本大震災を経験した方々のお話は私の心にとても響きました。被災した人々は知らない人であってもお互い助け合い支え合っていて、その強い絆や優しさ、団結力にとても感動しました。さらに、震災後の復興への取り組みや努力も素晴らしく、被災地を再建していく人々の姿に、その地への強い想いも伝わりとても尊敬しました。たくさんの人からお話を聞きましたが、皆さん一人一人の気持ちが私の心に響くものばかりでとてもいい勉強になりました。今回学んだことを震災を経験していない私たちが生徒にそのまま伝えるということは簡単なことではないけれど、それを生徒たちに出来るだけ被災者の気持ちをのせて伝えることが私のこれからの役割だと考えました。

 さいごに私は東日本大震災の教訓を活かし自分の周りの人に伝えることで次くると予想される南海トラフの被害を少しでも小さくしていくことが出来ると思いました。また、自然災害は時をまってはくれず突発的に発生するもので、日ごろの避難訓練や非常食の備蓄などが、いざという時に自分を救ってくれるものなので、今のうちから備えていこうと思いました。

 

二年生  森内 結香

  私は中学生体験学習事業で、実際に被災地に行くことで、当時の状況を知ることができて、とても勉強になりました。

 一日目に行ったのは中浜小学校です。中浜小学校では、そのとき学校にいた九十人は屋上に避難して助かったそうです。屋上に避難する判断をした校長先生がすごいなと思いました。

 学校の中の教室を見ると、窓から瓦礫が入りこんでいました。校舎の周りと中を見たあと、音楽室で映像を見ました。音楽室の壁には、当時の在校児童が作った横断幕がありました。校長先生の判断で、小学校の児童が助かって良かったなと思いました。

 夜は、ホテルで「東日本大震災について」の講演を聞きました。被災地の現状や復興についてお話がありました。そのほかにも、「桃太郎主義」ということも教えてもらいました。みんなの心を一つにすることの大切さがわかりました。

 二日目は、塩竃市津波防災センターを見学しました。

 塩竃市津波防災センターでは、地震が発生してから一週間の状況が書いてあったり、映像が見れたりして、わかりやすかったです。四日目から少しずつ電気が使えるようになり、七日目で水道が一部使えるようになったそうです。水道や電気は、使えるようになるまでもう少し時間がかかるかなと思っていたけど、意外とはやいなと思いました。地震が起きたときは、食糧は3日分ぐらい、水は1日1人あたり3リットル用意しておくといいそうです。

 次は松島蒲鉾本舗に行って笹かまぼこの手焼き体験をしました。意外と、焼くのに時間がかかるなと思いました。

 次に、門脇小学校に行きました。門脇小学校では、家族を亡くした方のお話を聞いたり、被害を受けた校舎を見学したりしました。当時、学校に残っていた児童は助かったそうです。避難するときに、教壇をはしごにして避難したと言っていました。急に地震が来た時にどうやって避難するか考えておくことが大切だなと思いました。

 三日目は、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に行きました。ここでは、津波で被災した校舎を実際に見ながら、お話を聞きました。教室の中を見ると、津波でドアが流されていたり黒板の黒い部分がはがれていたりしていました。ほかにも、車が三台流されていたところもありました。思っていたより被害が大きくて驚きました。地震や津波が来たときは、できるだけ高い、安全な場所に避難しようと思いました。

 私はこの三日間でとてもたくさんのことを学びました。話を聞くだけでなく、実際に被災地に行ってみることで、当時の状況がくわしくわかりました。今回体験したことを学校のみんなに伝えて、東日本大震災のことを知ってもらえるようにがんばります。

下福島中学校

三年生  川島 彩楽

 令和五年の八月一日、蒸し暑い大阪から離れ三日間、宮城県へ体験学習に行った。体験学習では東日本大震災で被害を受けた場所を訪れ当時の様子や防災について学んだり、SDGsについて考えたり様々な学びのある三日間になった。その中で特に大切にしようと思ったことが三つある。

 一つ目は、災害において油断は絶対にいけないということだ。東日本大震災では地震よりも津波で亡くなってしまった方が多い。実際に津波の威力はとても大きく、軽自動車が三階まで持ち上げられたり、二トンもある石碑が簡単に流されていた。人間では到底たえられないものである。これだけ脅威な津波にもかかわらず大丈夫だと安心し避難しないということはあってはならないと思う。地震があればどんな状況であっても身の周りの安全とともに一度は津波などの情報を確認すべきだと思う。

 二つ目は、人を救うことができるのは人であるということだ。現地で家族を亡くしてしまったご夫婦にお話を聞く機会があった。被災されるまでは今の私と全く変わらない日常があったのに一瞬にしてそれらが無くなってしまった。私の想像を軽く超えるほどの悲しみがあったと思う。しかし、それでも周りの人々が一人にならないようにずっと寄りそったから生きることができたと話していた。私は被災した方々にしかわからない大切なことを学べたと思う。人とのつながりが人を救えることは普段の生活から大事にしたい。

 三つ目は、SDGsは世界中で大切にすべきということだ。十七個の目標一つ一つに意味があり、私たちの未来が良くなるために必要なものである。どの目標も大事で改善されるのを待つ人がいる。自分ができることを一つずつやっていきたい。

 この三日間は他の中学校の人と一緒に防災やSDGsについて考えることのできる良い機会だった。この経験を自分や周りの人の生活に活かしていきたいと思う。


二年生  飯田 真帆

 私が、この体験学習で一番心に残っている学習先は門脇小学校です。そこには、津波火災の様子が生々しく残されていて、私は津波の大きさ、威力や恐ろしさを強く実感しました。それは、テレビで見たものとは、比べものにならないくらいの迫力がありました。

 実際にその体験学習の中で3人のお子さんを亡くされたご夫婦にお話しをしていただき、津波の様子やその後の生活について知ることができました。それは、私が想像していたよりもつらいものでした。そのお話しの中で一番驚いたのは、避難した保育園が避難場に指定されていなかったため、10日間物資が届かず、自分達で食べられそうなものを必死に探し、トイレやおふろを作り、少しどろの混ざった井戸水で米を洗ったり、お湯を沸かしたりしたということです。もし、私がそのような場面に直面したとき、当たり前の日常が奪われ、現実を受け入れることもできなかったと思います。しかし、そこに避難して来た人々は、支え合いながら必死に生き残る方法を探していたと聞き、尊敬しました。一人では受け入れ難い現実も支え合うことで乗り切ることができると知り、互いに助け合うことは大切だと思いました。

 そして、どの体験先でも、「本当に津波が来るとは思っていなかった。」とおっしゃられていました。大阪には津波が来ないだろうと他人事で考えるのではなく、いつ津波が来ても大丈夫なように津波の知識を十分に身に付け、普段から津波に備えて準備しておくことが大切だと思いました。

 私は、この体験学習を通じて津波が与える恐怖を身にしみて感じることができました。そして、今回学んだことをもとに防災・減災について深く考えていきたいと思います。私たちが学んだことをたくさんの人と共有し、一人でも多くの人が津波の知識を身に付けることができたらいいなと思っています。

 

二年生  後藤 大輝

 僕はこの中学生体験学習事業を通して多くのことを学ぶことができました。その中でも特に心に残っている2つの体験学習先について話していきます。

 まず紹介するのは中浜小学校です。ここで写真や映像だけでは感じることができなかった津波の威力を感じることができました。中浜小学校の近くには防砂などのための黒松がたくさん植えられていたのですが、津波に全て襲われてものすごい勢いで波と一緒に流されてきたそうです。その津波の水しぶきで校舎の屋根の瓦が破壊されていたり、波に流された鉄骨が柱にぶつかって巻付いていました。そんな震災の痕が残っている中でも特に心に残ったのが津波が2トンの岩を動かしたものでした。これを見て津波の恐ろしさをより強く感じました。

 次に紹介するのは門脇小学校です。ここでは実際に被災した方の話を聞き、被災した後どうするべきかということを学ぶことができました。被災した方は震災で子どもを3人とも亡くしてしまい、子どもたちの死を受け入れられなかったそうです。しかし周りの人たちが仕事を与え、余計な事を考えさせないようにして寄りそってくれたお陰で今生きていられると言っていました。この話を聞き、人を救えるのは人だけだということがすごくよく分かりました。そして、自分の周りにそのような人がいたら決して一人にはさせずに寄り添ってあげたいと思いました。

 僕のこの中学生体検学習事業を通して、津波がもたらす被害や震災後どう生きていくべきかということをたくさんの資料や実際に被災した方の話を聞いて学ぶことができました。しかし、そのことを知らない人はまだ多くいるので、今回学んだことを周りの人に広めてもうすぐ来るといわれている南海トラフ地震に備えて共通の認識を作れるようにしたいと思いました。

 ※ 掲載の感想文は、誤字などについて若干の修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や自分たちが得た知識の範囲での感想をお伝えするため、ほぼ原文のまま掲載しています。

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