令和6年度中学生体験学習事業を実施しました
2024年10月10日
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被災地 岩手県・宮城県を訪問してきました
福島区内の3中学校の生徒8名と引率者で、7月29日(月曜日)から31日(水曜日)まで、2泊3日の行程で東日本大震災の被災地である岩手県と宮城県を訪問しました。
震災の被害や防災の心がけ、SDGsの取組などについて現地の方々から直接学ぶことができ、非常に貴重な経験をすることができました。
今後、各中学校や区役所などで中学生から報告を行う予定です。
行程1日目
出発式
午前8時40分、福島区役所ロビーで出発式を行った。工藤区長のあいさつに引き続き、参加生徒の代表として下福島中学校2年生の西田さんがあいさつを行った。「勉強したことを福島区で役立てたい」という強い意気込みが伝わってきた。お見送りに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
体験学習1 うのすまい・トモス いのちをつなぐ未来館
被災当時中学生だったガイドの方から、震災の教訓や体験談などを聞いた。
鵜住居地区防災センターから得る教訓
鵜住居地区防災センターは、災害時の「避難所」であったが津波の「避難場所」ではなかった。しかし、津波の避難訓練では、住民が参加しやすいように高台ではなく平地にあるこのセンターを津波の「避難場所」として利用していた。「防災センター」という名称に加え、この誤解を招く訓練の運用が、地震が来たら防災センターに逃げるという誤った意識を住民に定着させた。そしてあの日、避難した住民196名のうち162名もの方がこの場所で亡くなった。
- 「避難場所」(切迫した災害の危険から逃れるための場所)と「避難所」(一定期間滞在し避難者の生活環境を確保するための施設)は違うことを知る
- 本当に安全な場所なのか自分で考える
釜石の奇跡
釜石東中学校の生徒たちは揺れが収まると自主的に校庭に飛び出し整列、すぐに先生の指示で訓練で決められていた高台にある場所に向かって走り出した。その後もさらに高台をめざし避難先を変え移動し、生徒全員無事に避難することができた。また、移動時には、津波が迫る極限状態の中でも小学生の手を引いたり居合わせた園児をおぶったりする中学生も多くいた。
- 迅速な判断・行動ができたのは、地域の人たちと街歩きしながらのハザードマップ作成や津波の疑似体験等、様々な想定を取り入れた体験型の避難訓練の成果
体験学習2 SDGsプログラム~ウニから学ぶ海洋環境学習~(魚河岸テラス)
三陸沿岸地域の海では、海水温の上昇やウニが海藻を食べ尽くしてしまうことなどにより磯焼け(海の砂漠化)が深刻化。また、ウニ自身もやせて商品価値のないものに。釜石では、磯焼け対策とウニの新たな価値を作り出すため、ワカメの加工で出る端材をエサに、2022年からやせウニの畜養を開始。価値のないものに価値を付加し、苦境をチャンスに変える持続可能な海洋保全への取組を行っている。
実際に畜養ウニの殻むきと試食を体験し、地域特産品としての新たな可能性を存分に感じた。
行程2日目
体験学習3 震災遺構 米沢商会ビル
公的な支援を受けずに民間が保存・維持する震災遺構。このビルで被災した米沢さんからお話を聞いた。
直前まで一緒にいた米沢さんの両親と弟は、避難所に指定されていた近くの市民会館に避難したが、津波に飲み込まれ亡くなった。
何かあればすぐに市民会館に行けるからとビルに残った米沢さんは2階の窓から津波を確認、そのまま3階へ。すでに2階建ての家の屋根が見えなくなりそうな津波の勢いに慌てて屋上に逃れ、無我夢中で煙突部のはしごを登った。高さ15mもの津波が足元に迫る中、必死に手すりにしがみつき難を逃れた。
- 市民会館が安全安心という思い込みがあり多くの人が亡くなった。避難所が本当に安全な場所なのか考えることが必要。
体験学習4 防災観光アドベンチャーゲーム(キャッセン大船渡)
キャッセン大船渡エリアの各所に設置されたQRボックスをスマホで読み込み、「いきる知恵」もしくは「わかれ道」を聞きながらゴールの指定緊急避難場所「加茂神社」をめざす防災体験プログラムで震災を追体験した。
東日本大震災では発災から約3分後に大津波警報が出され、27分後に大津波が到達した。
避難行動の猶予はあまりにも短い。土地勘があればすぐに避難できるが、なければ迷う。- すぐに避難開始する
- あらかじめ指定緊急避難場所を調べておく
- その時に最適解を導き出せるよう日頃から備えておく
- 実際の災害時に取るべき行動は一つではない
体験学習5 高田松原津波復興祈念公園
復興の象徴であるこの公園で献花を行い、ガイドの方の案内のもと、震災遺構である旧道の駅「タピック45」や「奇跡の一本松」などパーク内を見学した。
「タピック45」は強固な建物で、建物裏側(海側)が階段と観客席で構成されており、いざという時に建物上部まで上がれるようになっていた。実際にこの建物に避難した人は津波の難を逃れた。
建物本体に大きな損傷はなかったが、内部の壁、天井、床などは破壊され、津波の圧倒的な威力を物語っている。
「奇跡の一本松」は、海側に建つユースホステルのお陰で津波が二手に分かれ、直撃を免れたために耐え残ったとも言われ、二つ併せて希望の象徴とされている。
体験学習6 東日本大震災津波伝承館
津波・地震の脅威を伝える映像や、様々な展示資料を通じて自然災害について学んだ。
津波に押しつぶされた消防車
巨大津波に破壊された橋桁
正常化の偏見
いざ非常事態となった時、その危険性を低く見積もることで不快さをなくそうとすることを「正常化の偏見」という。
根拠もなく、自分だけ大丈夫と思ってしまう。これは避難行動を遅らせる大きな要因となるが、これを取り去る方法はない。
まず、「正常化の偏見」があることを意識し、自分の置かれている状況を判断し、津波から命を守る行動をとることが何より重要。
津波てんでんこ
津波が来たらてんでんばらばらにとにかく逃げるという三陸地域に伝わる教え。
体験学習7 特別講話:東日本大震災について
「南三陸ホテル観洋」の副支配人の昆野さんにお話しいただいた。
このホテルは、自らも被災しながらも復興の拠点となり、ホテルの施設を二次避難所として600人以上の被災者を受け入れるなど、様々な角度から被災者の支援に尽力された。人々の気づきや防災意識向上のために、現在も実体験を伝える「語り部バス」の運行を続けている。「みなさんの学校も避難所に指定されていると思う。そこに避難するみなさんは被災者でもあるが、ぜひ手助けできる人間になってほしい。」とのメッセージをいただいた。
行程3日目
体験学習8 震災遺構 大川小学校
この学校で娘さんを亡くされた佐藤さんから、全校児童の約7割にあたる74名もの子どもたちが犠牲になったお話を聞いた。
あの日、すぐに高台に向かうという適切な避難指示を出さずに先生は子どもたちを校庭に整列させた。避難を開始したのは津波が来る1分前。学校の裏山ではなく橋のたもとに向かって。
津波に向かって逃げた先は行き止まりだった。
- 避難した学校の多くは、あの日、話し合いはしていない。どうすべきか決まっていたから。パニックになる前に逃げた。
- 訓練は本気になれる、本番一発勝負と思えるものであることが必要
- 訓練もハザードマップも研究結果も、すべてそれらを行動に結びつけられるかどうか
- 大川小学校は、校歌のタイトルでもある「未来を拓く」場所
- あの日にふたをせず向き合うことが「未来を拓く」ということ
- 死にたくない、死なせたくないという思いが防災意識の本質
体験学習9 石ノ森萬画館、いしのまき元気いちば
震災の約2年後に完全再開した石巻の復興のシンボル「石ノ森萬画館」を見学した後、「いしのまき元気いちば」で株式会社元気いしのまき副社長の松本さんから復興のお話を聞いた。
「震災後、水産加工会社の社長たちと復興に向けて会社を立ち上げ、「いしのまき元気いちば」を作り、自分たちの商品を置いてPRした。メディアにも取り上げられるようになった。まだまだ前途多難だが、協力し合い活性化中。みなさんも何かあったらここを思い出し、何とかなると、前を向いてやっていってほしい。」
帰阪式
無事に帰阪。参加生徒代表である八阪中学校3年生の佐藤さんが帰阪のあいさつをし、工藤区長から労いのあいさつを受けた。
お迎えに来ていただいた保護者の皆様、先生方ありがとうございました。
中学生体験学習事業報告リーフレット
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