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令和6年度中学生体験学習事業参加生徒の感想

2024年10月10日

ページ番号:633511

令和6年7月29日~31日に中学生体験学習事業で岩手県、宮城県を訪問した生徒の感想です。

東日本大震災の被害や復興の状況、現地のSDGsの取組について学んだ生徒たちがどう感じて福島区に帰ってきたかを感想文として提出していただきました。

 

参加生徒の感想文

野田中学校

三年生 永友 海晴

 僕はこの3日間で、たくさんのことを目の当たりにし、体験させていただきました。そしていろいろなことを学び、災害について深く考えるきっかけとなりました。 

 僕が特に感じたことは、当たり前にあるもの、人、光景は儚く大切なものであるということです。 

 大川小学校で見たものの中に、朝は話せた自分の子どもがもう二度と会えなくなってしまうことがあるということが書かれていました。僕はその文を見てとても寂しく、つらい気持ちになりました。そして校舎のほとんどが津波によって破壊されたこと、また、米沢さんのお話で周りの住宅街が全て更地になったと聞き、津波の強さ、恐ろしさを改めて感じました。 

 そして僕はこの3日間の話を聞き、考えなければならないと思うことが一つありました。それは、避難について話し合って決めることです。まず、様々な状況を想定し、避難訓練を行い、どのような状況になっても臨機応変に対応できるようにすることが大事だと思います。また、避難経路や集合場所を家族や学校で決めることが大切だと感じました。大川小学校は避難経路を決めていなかったために長時間グラウンドで待たされてしまい、津波がすぐ近くに来てから避難を開始したので、ほとんどの人が亡くなってしまいました。一方で、釜石東中学校は避難経路を決めていたので、地震の揺れが収まってすぐに避難し、ほとんどの人が助かりました。なので、僕も避難経路を確認しようと思いました。 

 僕はこれからもっと災害について深く考え、ただ怖さだけを感じるのではなく、どうしたらよりたくさんの人が助かるかを考えることが大切だとこの3日間を通して思い、周りの人にも伝えるべきだと考えました。


三年生 伊藤 ゆうみ

 私はこの3日間に、普段の生活の中では絶対に経験できないような、本当に貴重な体験をさせていただきました。 

 その中で、私は大きく2つのことが特に印象に残っています。1つ目は米沢商会ビルでのお話と体験です。米沢さんは周辺にあった建物のことを私達に教えてくださりました。それは私たちの町と何ら変わりない様子で、そこにも当然のようにあったであろう当たり前の日常を想像し、自然災害が少し身近な存在のように思えてきました。そして、あの日の米沢さんの行動を辿り、私もあのビルの一番上のところに登りました。そこで初めて15mという津波の高さを実感しました。そんな恐怖を味わった後にそこで寒さにも耐えながら一夜を明かすことの辛さは、私達の想像を絶するものだと思いました。 

 2つ目は大川小学校でのお話と、それと対象的だった、うのすまいトモスで私たちに説明をしてくださった方が当時通っていた釜石東中学校のお話です。この釜石東中学校では、事前に様々な防災学習が行われていて、地震発生時も、生徒だけで点呼・整列を完了させたり、避難の際に近くの園児をおぶったりなどというお話を聞きました。しかし、大川小学校は、地震発生から津波到達までに十分な時間も、近くに登り慣れた山もあったにも関わらず、多くの命が失われたと知りました。どの学校でも、先生の生徒を助けたいという気持ちは変わらないと思います。なので、この2つの学校の差は十分な備えをしていたかどうかだと思いました。 

 この2つから、地震や津波の恐怖も、事前の備えがどれだけ大切かということも十分にわかりました。なので、私はこの体験学習事業で学んだこと、私が感じたことをみんなに伝え、福島区を、『事前の備えで地震が起きても対応できる町』にしたいです。

八阪中学校

三年生  佐藤 夏帆

 私たちは、中学生体験学習事業で東日本大震災について、当時被害に遭われた人のお話を聞き、震災遺構を見て、その場でしか感じることのできない貴重な体験をすることができました。

 被災した人々のお話で災害に対する知識や防災に対する知識などの量の差が、災害時には生死を分けることになることや、防災訓練を行っているから大丈夫という誤った安心感や余裕は、時に自分を危険にさらすことになるということを学ぶことができました。

 例えば、本来の避難場所である高い所にある建物で行う避難訓練だと少ない人数しか集まらないため、多くの人に避難訓練に来てもらおうという思いから、避難場所としての役割はないが、多くの人がいる町の中で防災訓練を行っていた地域がありました。結果的には多くの人が集まり避難訓練を受けました。しかし、東日本大震災時には、本来避難場所の役割がない場所で、避難訓練をしていたから安全だという誤った知識によって多くの人が命を落としました。

 そのため、私たちは防災の知識を受動的に得るのではなく、自発的にどの場所が安全か、何が必要かを調べ、正しい知識を得ることが大切です。

 災害は誰にもいつ起こるか、どのような被害になるか予想することはできません。しかし、身につけた知識を臨機応変に活用することが自分を災害から守ることになります。私は、今回学んだことや感じたことを広く伝えていきたいです。 

 

三年生  島田 和奏

 私は、今回の中学生体験学習事業で、震災が起きたら人の命や町の活気など、本当に尊いものが一瞬にして失われるという恐ろしさを実感しました。また、被災してから復興するまでの過程、復興した町の様子からも学ぶことが多かったです。

 うのすまい・トモスでは、避難所と避難場所の違いや避難訓練の正しいあり方など、あまりなかった知識を得ることができ、キャッセン大船渡ではゲームを通して震災を疑似体験し、「あなたは死んではならない」や「解答には正解がない」などの言葉が印象に残り、学ぶことが多かったです。高田松原津波復興祈念公園では奇跡の一本松があり、その松や被災した建物は、犠牲になった方たちや震災の恐ろしさを生々しく物語っているようで、決してその震災から学んだ教訓というものを風化させてはならないし、東日本大震災が起きたという事実を忘れてはならないと強く感じました。米沢商会ビルでは、実際に被災した建物に入り、家族を亡くされた米沢さんがあの日にとった同じ動きをしました。その体験から、津波が目の前まで来ていて、家族の安否もわからない状況で冷静な判断を取るということの難しさや大切さを学びました。震災遺構大川小学校では娘さんを亡くされた、中学校の先生でもあった佐藤さんの講話を聞き、胸がいっぱいになり、今でも熱い想いが込み上げてきます。

 今回の体験で、東日本大震災から得た教訓というものが、これから起こるであろう南海トラフなどに必ず活きてくるものであり、犠牲者を減らすために重要なことだと思いました。このような貴重な体験をさせていただいたからこそできる取組みというものをしていきたいです。


二年生  阪本 仁香

 夏休み、私は中学生体験学習事業で岩手県と宮城県を訪問しました。そこで、陸前高田市で被災された米沢さんから当時のお話を伺いました。

 米沢さんは陸前高田市に「米沢商会ビル」という商業ビルを所有していて、ご両親とご兄弟と一緒に働いていました。3月11日午後、ビル近くにある倉庫で作業していた米沢さんは、地震による大きな揺れを感じました。強い揺れは2、3分ほど続き、立ってはいられなかったそうです。揺れが収まり、家族の安全を確認するためビルに戻る途中近所の人に会い、地震が収まったことに安心しながら会話したそうです。まさかこの後に大きな津波が来るなんて想像すらできなかったと思います。ビルに着き家族の無事が確認でき、ほっとした米沢さんは、「何かあれば市民会館へ行こう」と家族と話し合い、再び倉庫の片付けへと戻りました。倉庫で片付けをしていると、市の防災無線が鳴っていることに気づきました。「津波が気仙川の防波堤を越えてきているので避難せよ」という内容だったので、米沢さんは慌ててビルへと戻りました。家族はきちんと避難していたので、2階の様子を確かめるため階段を登ると、窓から津波が押し寄せてくるのが見えました。急いで3階へと上がり窓の外を見ると、真っ黒い水のかたまりが3階に到達しそうなほどだったので、屋上へ逃げようとドアを開けようとしたのですが、強風で中々開けられず、必死の思いでドアを押し開けたそうです。屋上に出ると急いではしごに登ったけれど、水はどんどん迫ってきます。その時、屋上の最上部にある煙突に昔登ったことがあることを思い出し、無我夢中で煙突によじ登り、津波が引くまでしがみついていました。水は米沢さんの足元まで来ていたそうです。水が引き、なんとか生き延びた米沢さんは、屋上に流れ着いた土砂で「SOS」の文字を作り、ヘリコプターからの救助を待ちました。雪も降る中、寒さ・空腹・いつ来るかわからない恐怖・絶望に耐えながら、屋上の端で1日半ひとりで助けを待っていたそうです。屋上から町の景色を眺め、家族の死を悟ったと聞き、辛い・悲しいという言葉ではおさまらない、想像を絶する恐怖、生の声を聞いて、リアルに感じました。米沢さんは、市民会館が安全だという思い込みで多くの人が亡くなったから、自分が納得する場所に避難することが大切だとおっしゃっていました。また、過去に一度煙突に登った経験が自分の命をつないでくれたともおっしゃっていました。

 私は、与えられる指示を待つだけでなく、1人1人が防災に日常から意識を持つことが自身の命を守ることにつながると考えました。防災訓練もいろいろなことを想定し行うことで防災への関心が高まるのではないかと思います。自身で考えて行動することの大切さを学びました。

 米沢さん、今回いろいろとお話してくださったみなさん、話すことは辛いはずなのに苦しい経験や思いを私たちにお話ししてくださり、本当にありがとうございます。私はこの体験を決して忘れず日々を一生懸命過ごしていきたいです。被災地を訪問するに当たり、寄附をしてくださった方々、お世話になった区役所や旅行会社のみなさま、先生方、本当にありがとうございました。

下福島中学校

三年生  アンドレイ

 私は今まで東日本大震災の存在を知っていましたが、自分が被害を受けたわけでもないので、どこか他人事と思う自分がいました。

 しかし、この3日間で被害を受けた場所へ行ったり、実際に被災された方の話を聞いたりして、自分がいかに浅はかだったのかを知りました。

 岩手や宮城は、私が住む大阪に比べて緑が多く、青い空が一面に広がっていました。ですがそれは、津波により多くの建物が流されてしまったことを表しているようでした。実際、米沢商会ビル等で見せてもらった被害を受ける前の写真と同じとは思えないほど開けていました。

 被害を受けたのはもちろん建物だけではありません。東日本大震災で亡くなってしまった方は15,000人以上もいます。その大半が津波による溺死だそうです。大川小学校の多くの生徒や教員らが津波によって亡くなった話を、当時大川小学校の生徒だった娘さんがいた佐藤さんからお聞きしました。地震が起きて津波が去って、再会した娘はブルーシートを被せられて、まるで寝ているようだったと。話を聞いていてとても辛かったです。自分よりも小さい子たちの命が1日でこんなに奪われてしまうなんてあってはならないことだと思いました。

 ですが、東日本大震災のような被害が南海トラフで再び起きてしまうかもしれません。今回、米沢商会ビルや大川小学校など被害を受けた状態で残された建物を見て、地震・津波の強さを知ることができました。震災遺構に対して「震災を思い出したくないから取り壊してほしい」という意見もある中、残すという選択をしてくださり、同じ悲劇を繰り返さないために私たちの世代に震災伝承を行われているので、それにどう応えていくべきかを考えていきたいです。

 

二年生  黒澤 りん

 私は、中学生体験学習事業で岩手に被災地訪問しに行きました。印象に残った場所が2つあります。

 1つ目は「米沢商会ビル」です。米沢商会ビルでは、東日本大震災での被害がそのまま残されていて、この時に何があったのか、東日本大震災がどれほどの威力なのかが残っています。実際に体験した人のお話を聞いて一番印象に残った言葉が、「市民会館が避難所だったからたくさんの人が避難したが、建物は津波に飲み込まれ多くの人が亡くなった」という言葉です。あくまで避難所というものは仮の拠点として生活する場所であり、避難場所ではないということです。

 2つ目は、東日本大震災津波伝承館です。東日本大震災津波伝承館では、動画で、津波がどれだけの被害をもたらすのかを見ました。どれも衝撃的なもので、南海トラフもこれくらいの被害だったら大変なことになるなと思いました。実際に津波の被害でトラックや駅の看板、橋などがつぶれたりへこんだりしていて、津波はこんなにも大きい被害を与えるんだと知りました。他にも、つぶれた消防車が展示されており、案内の方から「ボランティアの消防団というのがあるんだけど、消防団44人がみんなの避難誘導で時間を使っていたんだよ。」と聞きました。私はそれを聞いて、「だとしたら、みんなの避難がスムーズにいけば44人の人が犠牲にならなかったのでは」と考えました。

 これらを踏まえ、1分1秒でも大切にして、ちゃんと避難所と避難場所を考えて行動し、日々の避難訓練を怠らずしっかりと取組みたいと思いました。

 

二年生  西田 明日葉

 私が中学生体験学習事業で学んだことは大きく分けて2つあります。

 1つ目は津波の恐ろしさです。東日本大震災津波伝承館では、後世に津波の歴史や教訓を伝承するための展示物が4つのゾーンに分けて展示してありました。ゾーン2の「事実を知る」では、被災物がいくつか置いてあり、その中で一番印象に残っているのは、津波によってつぶされた消防車両です。津波の恐ろしさを物語っていました。館内のスタッフさんにお話を伺うと、地震後、津波から高台へ避難する人たちを消防団員が誘導していたそうです。しかし、途中で津波に巻き込まれてしまい、たくさんの団員の方が命を落としてしまったとのことでした。私はそのお話を聴いて、1人1人の避難が素早く完了すれば、消防団員の人たちも逃げることができるはずなので、大きな地震でも小さな地震でも津波が来るかわからないけれど、地震が起きたら高台へできるだけ早く避難することが大切だと思いました。

 2つ目は、日々の訓練と防災学習の大切さです。うのすまいトモスでは、当時中学生だったスタッフさんに避難している時の様子や、なぜ素早く避難することができたのかを教えていただきました。震災発生後、生徒たちだけで整列・点呼をし、3分後には避難を始めたそうです。その後、小学生たちと合流し手をつないで歩きながら高台に避難したそうです。スムーズに避難したため子どもたちは99.8%助かりました。ここまでスムーズに避難できたのは、普段の防災学習で歩きながらハザードマップを作ったり、津波の疑似体験をしたり、毎回違うパターンで避難訓練したりして、先生も生徒もみんな楽しみながら学んでいたからだとおっしゃっていました。

 私たちも釜石の人たちを見習って、福島区の地形や人口、もし近所の人が避難してきたらどう対応するかなど、色々なことを考えて、来るべき日に最善の行動が取れるように、日々備えたいと思います。

 ※ 掲載の感想文は、誤字などについて若干の修正を加えていますが、中学生が感じたままの被災地の状況や自分たちが得た知識の範囲での感想をお伝えするため、ほぼ原文のまま掲載しています。

中学生体験学習事業報告リーフレット

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